芦屋芸術|芸術誌・現代詩・小説

亀さんのお池に、もうすぐ、メダカさんがやって来る!

 けさ、七時半ごろ、亀さんの池のお掃除をしていました。途中、ご近所の方がワンちゃんの散歩で我が家の前を通り、ちょっと立ち話をしました。   「亀、飼ってるんですね」 「もう三十三歳。三十四年目に入りました」 「

「日本の昔ばなし(Ⅱ)」を読む。

 引き続きこの本を読んだ。    「日本の昔ばなし(Ⅱ)」 関敬吾編 岩波文庫 昭和49年12月20日第20刷    この第二巻では、有名な昔ばなし、「桃太郎」、「文福茶釜」、「舌きり雀」、「花さか爺

「風のたより」25号を読む。

 これは特異な同人誌といっていいのだろう。    「風のたより」25号 発行所 風のポスト 2022年6月1日発行    なぜ特異かといえば、執筆者五人それぞれがすべて別次元の表現世界に向き合っている

清位裕美の「亀物語」

 我が家に遊びにやって来るカラス、名付けて「カアカア」の物語を私は「芦屋芸術十四号」に発表した。題して「カアカアと、このひとときを」。二部構成だった。  思った以上に評判が良かった。私は続いて第三部を書こうと思っている、

「月刊ココア共和国」2022年4月号を読む。

 こんな詩誌を読んだ。    「月刊ココア共和国」2022年4月号 発行人 秋亜綺羅 発行所 あきは詩書工房 2022年4月1日発行    本誌には、48人の作家の詩の作品が60篇収録されている。ひと

カアカア、お久しぶり!

 けさ、七時半ごろのお話。  庭掃除を終えて、いつもの通り庭に作ったカアカアの食卓に置いてある愛犬ジャックの遺品、ステンレスの食器の水を入れ替えて、庭の池に住んでいる亀にご飯をやり、さて家に戻ろうかと玄関の方に体を向けた

白昼の散歩

 きょうのお昼前、強い陽射しの下を散歩中、潮芦屋緑地の南端に近いポールの手前に立って、私はスマホで六甲山を撮った。手前の樹林が濃い緑に繁茂して、稜線だけがわずかにのぞいている。  確かに陽射しは強かったけれど、空気は澄ん

鹿児島県大島郡の昔ばなし「旅人馬」

 気になることが、ひとつある。  きのう私はブログに「日本の昔ばなし(Ⅰ)」の読書感想文を書いた。その中にこんな一文があるのだが、下に引用する。    「長者が貧乏人に、貧乏人が長者になる逆転劇が多々あったにせ

「日本の昔ばなし(Ⅰ)」を読む。

 数日前、ハイネの「ドイツ古典哲学の本質」を読んでいると、民話についてかなり詳細にわたって言及されていた。私はとても興味深く読み進んだ。ハイネの論の骨子は、ドイツの中世、ローマ・カトリック教会はドイツで宣伝・拡大・維持す

ハイネの「ドイツ古典哲学の本質」

 最近、フォイエルバッハの本を数冊読んだので、言うまでもなく彼は宗教批判やドイツ古典哲学批判などをやっているが、よし、それならば、私はそう思ってこの本を読んだ。    「ドイツ古典哲学の本質」 ハイネ著 伊藤勉

「リヴィエール」182号を読む。

 永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。    「リヴィエール」182号 発行所 正岡洋夫 2022年5月15日発行    十七人の詩人の作品が、巻頭詩を含めて十九篇、このうち七人の詩人がそれぞ

隣家の窓

 外では雨が激しく降りしきっているようだった。  ふたりの体が隠れるか隠れないか、そんな小さな蒲団にくるまって、わたしはあなたと裸になって抱きあっていた。枕もとに座って灰色の服を着ているあなたが、裸になって夢中に愛しあう

清位裕美の「カアカア」

 私は先月、四月十九日に出版した「芦屋芸術十四号」で、「カアカアと、このひとときを」という作品を発表した。この作品を読んで共鳴した、そういうことで私は「カアカア」を描いた水墨画をメールで頂戴した。  ここに、この水墨画の

「月刊ココア共和国」2021年9月号を読む。

 こんな詩誌を読んだ。    「月刊ココア共和国」2021年9月号 発行人 秋亜綺羅 あきは詩書工房 2021年9月1日発行    五十四人の作家が、それぞれの言葉で、様々な作品を書いている、それを収

今年もミニバラは、咲いた。

 妻悦子が永眠してから、今年の春、八回目のミニバラが咲いた。数日前、例年のごとく彼女の骨壺と遺影の前を、二輪で、飾った。  きょうも、ステキな赤い衣装で着飾って、二人で立っている。

シェリングの「人間的自由の本質」

 このところフォイエルバッハの本を読んでいて、彼が批判している哲学者のうち、私はこれを選んで読んだ。    「人間的自由の本質」 シェリング著 西谷啓治訳 岩波文庫 1980年2月20日第26刷  

水音

 久しぶりに私は泳いでいた。妻とはスポーツジムのプールでよく泳いだ記憶がある。多い時には週に三回ないし四回も泳いでいた。三十年前後昔の話になるが、マスターズの水泳大会に出場して、高校時代水泳部にいた彼女はメダルさえ取って

私の町の広場が、芦屋市主催の「オープンガーデン」に参加しました!

 私の町の街区には、二カ所広場があります。海洋北広場と南広場です。  このたび、芦屋市の主催する「オープンガーデン」に町の有志で数年前から活動している海洋町ガーデン倶楽部が参加しました。そのメンバーを中心に住民が協力して

Mという女

 最近、といってもここ数年のことになるが、ずっと疲労の中で私は生きていた。  何故? 理由はわからなかった。疲労の渦中にあるものにとって、理由を考えることそれ自体が、いよいよ加速して疲労の中へ落ちてゆくのだった。  こん

カアカアに、何があったんだ?

 けさ、庭の掃除が終わった後、五月十一日から芦屋市が催すオープンガーデンに町内が参加したので共用の花壇の掃除をお手伝いして自宅に帰った時、八時前、我が家のウッドフェンスの縁の上にカアカアがいた。 「カアカア、ちょっと待ち

カアカア、ちょっとおもやつれして。

 今日の午後一時頃、一か月近く姿を見せなかったカアカアが、いつもの場所、我が家のウッドフェンスの縁に立っていた。心なしかおもやつれした姿だった。  彼女は先月の九日以来、一度も姿を見せなかった。近くの公園の木に巣を作り、

新詩集「七年の後に」が出来ました!

 新詩集が出来ました。    フォト詩集「七年の後に」 山下徹著 発行所 芦屋芸術 発行日2022年5月19日 定価千円    我が家の近所を散策中、ふいに浮かんだ言葉と、その言葉を誘発した場所をスマ

フォイエルバッハの「唯心論と唯物論」

 フォイエルバッハは、一八〇四年七月二八日にバイエルンのランズフートに生まれ、一八七二年九月一三日、ニュルンベルクの近郊レッヒェンベルクで没している。六十八歳だった。  いままで私が読んだこの著者の作品を時系列であげてみ

晩年の夢

 昔、かなり親密な取引があった建築会社のオーナー、もう三十年近く音信が途絶えているが、彼とまた新たに取引が始まっていた。  すでに彼の会社は息子の代に変わろうとしている途上だった。時代は、AIまで導入して人件費を限りなく

亀さんの、お住まい訪問!

 きょうは、連休の予定表通り、予定表といっても紙ではなく頭の中に書いているだけですが、また、きのうの大雨も上がって晴れ間が出てきたので、朝から亀さんのお池のお掃除です。早速、彼のお住まいを訪問しました。  まず、亀さんを

「KAIGA」No.119を読んだ。

 原口健次さんから詩誌が送られてきた。いや、正確に言えば、この詩誌をずっと送っていただいていた。    「KAIGA」No.119 編集発行人 原口健次 発行所 グループ絵画 2022年3月31日発行 &nbs

「ゆすりか」132号が、津田文子さんからやって来ました。

 この詩誌には、津田文子の詩が六篇掲載されている。    「ゆすりか」132号 編集・発行 五味里美 発行所 ゆすりか社 2022年4月1日発行    海を捨てて地上で生きた鯨を描いた「海から上がった

「座」71号が、津田文子からやって来た。

 津田文子さんから送られてきた詩誌を読んだ。    「座」71号    この詩誌は七人の詩人で九篇の詩が収録されている。  私には初めての経験だが、この詩誌には奥付に発行日も発行者も一切記載されていな

「詩的現代」40号が、山中従子からやって来た。

 山中従子から詩誌が送られてきた。    季刊「詩的現代」40号  2022年3月18日発行    山中従子は「わたしは観葉植物」という作品を発表している。廃屋の居間の窓際に置かれたまま取り残された観

「現代詩神戸」276号を読む。

 永井ますみさんから送っていただいた詩誌を読んだ。    「現代詩神戸」276号  編集 永井ますみ・田中信爾・今猿人 2022年3月10日発行    この詩誌は、十八人の詩人の作品三十二篇、特集とし

フォイエルバッハの「将来の哲学の根本命題」

 先日、この著者の「キリスト教の本質」を読んだ。この本は宗教、特にキリスト教を論じたものだった。結論から言えば、神は人間の本質を超越的存在として人間の外部に人間が客体化したものだった。だから、神は人間の本質である、この命

「リヴィエール」181号を読む。

 永井ますみさんから送っていただいた詩誌を読んだ。    「リヴィエール」181号 発行所 正岡洋夫 2022年3月15日発行    この詩誌は、二十人の詩人の作品二十一篇、八人の詩人のエッセイで構成

列車と吊り橋

 この物語は、列車に同席した男性から始まる。いや、それ以前からずっと物語は続いていたようだが、「それ以前」はボンヤリして私にはわからなかった。  男性にはまったく見覚えがなかった。小太りした中年のこの男性は、スーツにネク

フォイエルバッハの「キリスト教の本質」

 このところキリスト教神秘主義関連の本を読んでいるので、やはり、その対極に立っている本も読んでおくのが、事柄の公平性を求める私にとっては必然だった。    「キリスト教の本質」上 フォイエルバッハ著 昭和43年

カアカアは、いずこへ。

 先週の土曜日からちょうど一週間、カアカアの姿が見えない。四月に入って、一日数回来ていた彼女が、一回ないし二回しか我が家に訪問しなくなった。お元気そうだったのに、何故だろう? そう思っていた矢先、フッツリ姿を見せなくなっ

「芦屋芸術十四号」が出来ました!

「芦屋芸術十四号」が出来ました。ちょうど、去年出版した十三号から一年が経ちました。両書とも「編集後記」は三月十九日、発行日は四月十九日です。十九は、私にとって特別な数字です。それはともかく、収録作品は以下の通り。 &nb

工場街の路地にて

 記憶に鮮明に残っているが、ここだ、そう特定できない場所がある……頭の中を流れてゆく映像を見ていて、ふと私はそんな感慨を抱いているのだった。  損害賠償をされているのでその分野の仕事をしているあなたにぜひ立ち会ってほしい

消えた両足

 耳もとでザラザラしたノイズが騒いで、前頭葉に張り付くような砂の映像がカチカチ固まり始めた瞬時、私はベッドに寝ころんだまま闇に浮かぶ天井を見つめていた。午前二時十六分。何故か耐えがたい寂寥感にかき乱されていた。すべては無

カメさん、庭をお散歩!

 お昼過ぎ、カメさんの池の水替えをした。今年初めての水替え。  池といっても、プラスチックで出来た小さな人工の池。以前飼っていた熱帯魚の水槽の底砂を池に敷いて、レンガを積んだ小さな島。この島の上で、カメさんはのんびりお昼

無縁の人

 昼過ぎ、いつものように芦屋浜の散歩から帰ってくると、我が家の庭に、おそらく私と同世代の七十代半ば前後だろうか、男と女がいた。  男は前庭の西側の隅に立って、ややうつむき加減の姿勢で、スマホのようなものを見つめている。右

新詩集「七年の後に」を出版します!

 新詩集「七年の後に」を今年の五月十九日に出版します。  既に原稿は出来上がって、USBにPDFで入力し、いつもお願いしているコーシン出版に送付してこのまま印刷・製本していただけば、いつでも本になります。しかし、五月十九

カラムクドリさん、きょうも来た!

 最近、近所の親水中央公園でカラムクドリをよく見かける。公園の北側、中央辺りの枯れた草むらをピョコピョコ跳ねながら移動する。  カラムクドリがいる時は、「きょうは、いるな」、すぐに私は了解する。何故って、おそらく珍鳥なの

カメさんの朝ご飯。

 きのう冬眠から目覚めた私のライフパートナー、イシガメさんは、はやばやと今朝、午前八時ごろ、ご飯を食べました!  まあ、ご飯とはいっても、私は生物に関してはまったく音痴で、事実、学生時代、生物の成績は極端に悪かった、とい

カメさんが冬眠からめざめた!

 春だというのに、冷たい日が続いていた。きょう、やっと、春らしい春が来た。  私は少し不安だった。この七年余りの間に、妻も金魚も愛犬も愛猫も失った私には、三十三歳のイシガメさんが最後のパートナーだった。カメさんの寿命は二

やれなかった自分が

やりたいことを あるいは やらなければならなかったことを やれなかった自分が   闇を 歩いていた   それは 誕生から現在までの さまざまな自分だった   それを書いていた

午前一時三十四分

 階段を下りると、薄暗いタイル張りの地下街に出た。太い円柱が林立して天井を支えている。  私は円柱の林の奥へ足を入れた。    午前一時三十四分……    枕もとの近くに置いているスマホで時間を確認し

さまざまな映像の破片が砕け散った

闇が 消えるまで 記憶だけの世界で 遊んでいた   そこでは 記憶の破片が さまざまに組み合わされて 昼間とは違った映像界と音響で ひしめきあっていた   どす黒い物が 座っていたり 立ってみたり い

「芦屋芸術十四号」を四月十九日に出版します!

  「芦屋芸術十四号」を出版します。詳細は以下の通りです。        収録作品 ・「カアカアと、このひとときを」           ・「詩画集 脳の軌跡」           ・「暗中を模索する その3」

「カワラヒワ」を見た!

 最近、芦屋浜に近い公園、芦屋市総合運動公園や親水公園辺りに多くのアマチュアカメラマンがやって来る。みんな望遠レンズを装着したカメラや様々な付属品を持って、重装備をしている。我が家とも近接しているので、散歩しているとよく

わからなかった

長い階段を下りていった 下は闇だった 何が存在するのか わからなかった なぜお化け屋敷のようなところへ下りてゆくのか わからなかった