芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「今度」

 よせばいいのにと言ったはずだ。しかし、君は人の助言を一切聞こうとはしない。とっとと失せろ! 出ていけ! こんなふうに怒鳴った瞬間、心の底から快感が込み上げてきた。人を裁く喜び。酒より刺身よりずっと旨い。ここで一発、パシ

芦屋ビーチクラブ その46

 先々週は雨、先週は風が強く雨の予報だったので芦屋浜の掃除は休んだ。きょうは曇天だが雨の予報はない。  朝四時に起床。「暮らしの糧」と題した詩と挿絵を芦屋芸術のブログへ投稿。しばらくネットでニュースを見て、六時から家事。

暮らしの糧

 奥では、例えば石も馬も草も指も鴉も女も、すなわちこの世に存在するすべてをたたみ重ねて、保存している。どうやら長い時間をかけて熟成し、ドロドロに溶けあって、さまざまに変形しているではないか。奇妙な仮面、時には蜥蜴状に引き

亀、我が家を訪問。

 いつも金曜の夜に遊ぶスナックから零時半ごろ帰宅。今夜はお店の人から深刻な人間関係の話を聴いて、あれこれ長い間オシャベリした余韻を残したままベッドに横たわった。  六時半に起床。家事や朝食、庭掃除、スズメたちやカラス、き

百年後

 ここは荒廃していた。手をあげるとシャツの袖ぐりが破れた。右足を出して歩こうとするとベルトが外れた。かまわず左足を出したら、ズボンが落ちて両足に絡まり、遊歩道で倒れた。何という荒廃だろう。オイ。笑うな! 貴様だって左手で

料理教室

 なかなかその気になれなかった。そんな時って、誰にでもやって来るんじゃない? どうだろうか?   やろうと思っている。絶対やるんだと意気込んでいる、そのくせ、なかなか腰があがらない、あげることが出来ない、そんな時って。

佐川亜紀詩集「その言葉はゴーヤのように」を読む。

 こんな詩集を読んだ。    「その言葉はゴーヤのように」 佐川亜紀著 土曜美術社出版販売 2024年9月1日発行    四章で構成されていて、(Ⅰ)六篇、(Ⅱ)四篇、(Ⅲ)九篇、(Ⅳ)六篇、最後に「

浮かびあがる水滴

 パソコンで遊んでいると、視線の下、キーボード下端と彼の腹部との間のテーブルの上に小さな葡萄型の水滴が零れていた。人差指と中指の先で拭き取って、ふたたびパソコンの画面を見つめ、海外のニュースを興味の趣くままあれこれクリッ

変身と水浸し

 三十キロくらい入った米袋のような焦げ茶色の物体がガサガサ動き回っている。ひとりでコロコロ転げ回ったり、床から一メートルくらいピョンピョン飛び跳ねながら前後左右見境なく移動したりしている。これは一体何だ。つい声をあげて難

亀とブラジル

 今朝は曇天で、風やや強し。昨夜、少しスナックで飲んだが、早く帰宅した。午後十時半。そそくさとベッドに寝転んだ。だが、午前二時。頭に言葉とイメージが浮かび、ガバッと起き上がるや勉強机に座ってノートに散文詩を書く。また同時

ある愛の果てに

 吸うものがいる。というか、それはずっと吸い続けている。唇はあるが、顔はない。だいたいにおいて頭部が存在しない。もちろん胴体や手足なんてどこにも見当たらない。  唇だけがあって、穴はある。直径五センチ余りだが、奥は深そう

冬の台風

 時代はすっかり変わってしまった。冬が台風シーズンと呼ばれていた。  まだ十年しかたっていないのに、十日に一度は洪水で、水が引くまでの三日間、トイレの便器も水没。世界の三分の二の地域は水没便所だった。紙はいらなかった。出

このまま あの音が消えるまで 横たわっていよう ベッドの上で じっと   音 あたかもあの人の声のような

夜の宴

靴を脱いであがった 狭い廊下だった 壁と壁の間が五十センチ前後か 横を向いて渡った その先だった 宴という場所は とりあえず 右手の人差指と左足の親指が切り落とされた シチューのダシだ みんな どこか無かった 切断されて

アンナ・カヴァンの「氷」を読む。

 こんな長編小説を読んだ。    「氷」 アンナ・カヴァン著 山田和子訳 サンリオ文庫 1985年2月28日発行    この作品の著者は一九〇一年に生まれ、一九六八年にこの世を去っている。二度結婚し二

亀、駆け出す。

 昨夜は比較的早く帰宅した。午後十時半。左程酔っ払っていない。しかし、今週は負荷の多い週だったので、余程疲れていたのだろう、翌日、朝五時半まで寝てしまった。  パソコンを覗いて、三十分ほど読書。それから家事・朝食。庭掃除

湿っている枕

未明 窓ガラスをたたく雨の音で目覚めた ガラスに雨滴が いくすじも たれていた   左肩を下にして 眠っていた よだれがひとすじ くちびるの左端からたれていた 枕が少し湿っていた

円形

 愛猫アニーが歩いている。ダークグレーな空間を。そこはおそらく薄暗い廊下なのかもしれないが。  猫トイレの中にうずくまっている。そう思った瞬間、彼女の姿は消えて、猫砂の上に、円形の柔らかい、ほとんどスープ状の排泄物が残さ

「芦屋芸術二十一号」の編集・校正が出来ました!

 「芦屋芸術二十一号」の編集・校正が出来ました。今年の11月1日が発行日です。収録作品は以下の通りです。   contents <招待作品> イメージの扉                   山中従子  5 予

秋の菜の花

 出発しなければならないのはわかっていた。振り返ってみれば、先程まで眠っていたベッドは消えていた。背後に帰る場所はなかった。  前には、まだダイニングテーブルは置いてあるが、徐々に薄いガラスになって透き通り、やがて消えよ

すべては微細になっていく

父性遺伝子が砕けていた さらさら 音がしていた さらさら さらこん   ああこのままじゃ みんな分解して 分散して ガラス塵になって 無数の微細遺伝子になってしまう 児性遺伝子は心配で どきどき はらはら はら

芦屋ビーチクラブ その45

 昨夜も行きつけのスナックで遊び、帰宅したのは午前零時を過ぎていた。  今朝は六時半ごろ起床。そそくさと家事を済ませ、芦屋浜へ。  ゴミがたくさん漂着している。また、雑草もあちらこちらに伸びていて、そのうえ、この暑さ。な

亀の池は秋だった。

 昨夜は十二時前にスナックを出て、タクシー。帰宅は丁度午前零時。  けさは六時前に起床。家事朝食を済ませ、庭掃除。きょうはカラスは一羽だけ。スズメはたくさん。おそらく五十羽くらい。彼等の朝ごはん。  それから、土曜日なの

ここ数日 脳の中は静かだ 何も出てこない 誰の姿も見えない 空洞だ 空洞が膨らんでいく 薄闇ではあるが 月も星もない 言葉もない 音もしない 一本の線もない 「私」もいない 破裂前だが 破裂しない もうすぐ 空洞の正体が

マゾッホの「残酷な女たち」を読む。

 昔、この著者の代表作「毛皮を着たビーナス」を読んだ。周知のとおり、精神科医クラフト・エビングがマゾヒズムという言葉を生み出したその源泉、「マゾッホ」である。    「残酷な女たち」 マゾッホ著 池田信夫/飯吉

九月の雲

一言で 雲 と言っても 同じ雲は 二度と帰らない ここに 二度と     *写真は、きょうの真昼、芦屋総合公園の西南端あたりから撮った雲。九月になっても真夏日が続いている。

苗村和正詩集「子規の庭」を読む。

 詩作品といっても、さまざまな作品がある。だから、詩とは何かといっても、さまざまな何か、そう答える他に適切な言葉を私は持たなかった。  こんな詩集を読んだ。    「子規の庭」 苗村和正著 土曜美術社出版販売 

もう一度 息つぎがしたい

甘くはないぞ そんな声がした 甘くみるなよ   底は深いぞ 取り返しがつかなくなるぞ いや もう終わっている   貴様 終わったな もう取り返しなんてつかない   両足を引っぱってる 底はな

無底の穴に

 会いたい、しかし、いない。  これから先も、何が起こるかしれないけれど、これからも、この世を去るまで、待ち続けようと思う。これから先も。きっと。きっと、だ。    溺れていた  この湖には 底がなかった &n