僕が長谷川博之の文章を読んだのは、快傑ハリマオ6号(2011年2月20日発行)で二度目だ。一度目は同じ雑誌の第2号で「瀬沼孝彰の詩業」を読んだ。しかし僕は瀬沼孝彰の詩を読んだこともないし、ましてそれを論じた長谷川博之の視
月別: 2011年4月
北爆
3月14日。 船上での目覚め。朝靄にけむるハロン湾。午前9時30分頃下船し、ふたたびハノイ。 1966年2月。タイビン村虐殺事件。大韓民国陸軍が婦女子を含む住民65名を殺害。 1968年1月30日。フエ事件。南ベトナム民
ハロン湾
3月13日(日)。 ハノイから3時間余りバスに乗ってトンキン湾の北西、ハロン湾に向かって。 1964年8月2日、4日トンキン湾事件。 8月4日の事件は後日明らかになった通り、米国の捏造である。 僕の記憶に間違いがなければ
ハノイまで
3月12日(土)。 ホテルを午前8時過ぎに出て、アンコール・トムへ。 アンコールは都市国家、トムは大きいという形容詞で、アンコール・トムは大都市国家という意味。高さ約8m、周囲約12kmのラテライトの城壁で囲まれている。
シェムリアップ第二夜
3月11日(金)。 5時過ぎに起きて、アンコール・ワットの中央塔からあがる朝日を西参道から見るために。 バスの車窓からやがて薄明の中に浮かび上がる堀とその向こう側でじっとうずくまる暗く固まったジャングル。東西約1500m
シェムリアップ第一夜
011.3.10(木)。ホーチミン市11:40発ベトナム航空VN-827、シェムリアップ国際空港12:40着。 国際空港といっても、タラップを降りると、ターミナルまで100mくらいのんびり歩いていく。 シェムリアップは人