芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「W・Sひょうご 20年のあゆみ」を読む。

 ウカツだったとはいえ、私はいままでDVに関してほとんど無関心だった。そしておそらく私だけではなく、おおぜいの人々が、いまだ無関心ではなかろうか。各自、さまざまな事情によって。例えば、私たちは、「たち」とはつまり私と六年

レーニンの「なにをなすべきか?」

 私がこの本を手にしたのはもうずいぶん昔、まだ十代の青年だった。おそらく私の同時代人で若い頃に革命思想に興味を持った方なら、胸に手を当てて思い出して欲しい、あなたもきっとこの書を開いたはずだった。    「なに

夜明けの頭

どこか違うところへ出かけている頭 いったい何がしたいかわからない頭 ひとつの頭だけで五、六人が会議する頭 この頭 迷子になった頭! 午前一時からゲラゲラ笑いつづける頭 天井に浮かぶ頭 ああ この頭 ふすまを唇でくわえて開

ヤン・ポトツキの「サラゴサ手稿」

 或る奇書研究家からのご教示により、この方はフランスの奇書の翻訳も既に複数ものしているが、私はこの本を手にしたと告白しなければならない。そして一読、成程! 合点した。    「サラゴサ手稿」 ヤン・ポトツキ著 

アニーの死

あたりまえの話だが すべては消えてゆく そんな アニーが死んだ夕暮れ 十一月十九日 あの人の月命日 午後五時四十六分 少し風が騒ぎはじめた 薄闇の中を 公園に出る うっすら雲が出ている 南西の空に 月と木星 東の空に 火

アニーが永眠しました。

 アニーが我が家にやって来てから、もう十九年と八ヶ月余りが過ぎていました。亡妻「えっちゃん」がご近所から彼女をいただきました。飼う人がいないので、預かってください、そういうことでした。けれど、アニーを一番かわいがっていた

カール・マルクスの「フランス語版資本論」を読む。

 思えば、私は二十三歳の時、「資本論全三巻」を必死で、正に文字通り必死になって、頭のデキが悪いクセにそれこそガマンにガマンを重ねてついに読了したのだった。厖大な本なので、より深く理解しようと宇野弘蔵の諸著作を前後して学ん

八原博通の「沖縄決戦」

 厖大な悪夢を見ていた。そしてそれは悪夢ではなく、現実だった。より正確に表現するならば、現実が悪夢を超えて押し寄せてきた。    「沖縄決戦 高級参謀の手記」 八原博通著 中公文庫 2015年6月25日再版発行

松岡祥男の「吉本隆明さんの笑顔」

 この記録は、吉本隆明が書いた文章の熱心な一読者が、いつの間にか、読者でありながら、読者を超えて、吉本隆明を中心に据えたさまざまな交流や、あるいは、批判、反批判が入り乱れ、それらすべてがひとつになって一輪の花が咲くように

松岡祥男の「ニャンニャン裏通り」

 やっかいな本に手を出してしまった。何故やっかいかと言えば、著者が余りに博覧強記のため、この本に登場するさまざまな人々について私はほとんど無知であるばかりでなく、この社会や文化に対する著者の食いつき方の主体的な深さに、呆