芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

フランクルの「夜と霧」

 この本の著者は、ボクの心に極めて強い印象を残している思想家の一人である。というのも、個人的な話になってしまうが、ボクは一九六九年四月二十八日の沖縄デーで、反戦運動に参加して、新橋・有楽町間の線路上で機動隊に逮捕され、二

アンネ・フランクの「アンネの童話」

 この本を、十四歳くらいの少女が書いたなんて、誰も信じないと、ボクは思う。その上、ナチスドイツが人間とは認めないユダヤ人を収容所に送り、労働能力のある人間は強制労働、その能力のない人間、例えば老人や子供や病人や強制労働を

プリーモ・レーヴィの「溺れるものと救われるもの」

 この歳になってボクにもハッキリわかってきたことは、人はみなそれぞれ独自で一回限りの時間を生きているのであってみれば、他人の生きている時間を理解することは、トテモ困難な事柄だ、逆に言えば、この「ボクの生きている時間」を他

「えっちゃんへの手紙」を書いた。

 おとついからきょうまで、ボクはほとんど制御不能のハイ状態になって、一篇の詩を書いた。それは「えっちゃんへの手紙」という詩で、四章百二十行だった。この詩は、えっちゃんの連作の最後を飾る言葉だった。書名は、「えっちゃんの絵

「えっちゃん祭」が出来ました!

 やっと「えっちゃん祭」を書き上げました。この作品の端緒は、ボクのワイフ、えっちゃんが亡くなる一年前に書いた「東京マザー」から始まります。「東京マザー」は、えっちゃんの写真とボクの文章のコラボで、「芦屋芸術」の別冊として

プリーモ・レーヴィの「休戦」

 「出発したときは六百五十人いた私たちが、帰りには三人になっていた」(本書352頁)。いったい二年にも及ぶこの旅はどのような日程だったのか? どのような施設への旅だったのか? そして、また、何故このような旅に出かけたのか

ルドルフ・ヘスの「アウシュヴィッツ収容所」

 正月早々、重い話をかかえこんだ。……というのも、ボクも長い人生の中で、激昂の余り、他人を絶対否定しようとする傾向になったことは一度ならずある。しかし、そんな状態はいつまでも続かない。ボクの場合、怒りが冷めてくると、たい

「えっちゃん幻想」が出来ました!

 けさ、サイゼリアの裏の波止場まで足を運んで、初日の出を見た。毎年、芦屋浜で仰いでいるが、いま、高潮対策で護岸工事をしているため、芦屋浜は立入禁止になっている。  東の低い空には雲が出ていて、雲上に太陽が出たのは日の出時