芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

親水公園にて その43

言葉が あふれ出ていた   とめどなく あふれ出ていた       *九月の終わり。午後零時十三分。快晴。夏日のように暑くはあったが、時折さわやかな風が流れて来た。  芦屋浜の西南

親水公園にて その42

生死は表裏一体だった 別れたままで 生きることだった   数日前 あの女と出会った 何も言えなかった   黙って立っていた 崩れていくのが わかった     *きょうは事務所を早く

親水公園にて その41

私をいちばん記憶していたのは 四十三年間 同じ屋根の下で暮らした妻だった   八年前 彼女は死んだ その時から 私の記憶の大半は死んでしまった   彼女が死ぬということは 私を誰よりも記憶している人を

親水公園にて その40

死別したあの人は 記憶だった   記憶だけで 生きていた   だから 記憶しているこのわたくしが死ねば あの人はもうどこにもいない     *親水西公園の東端。正午。池のほとりに赤

親水公園にて その39

毎日 聞いたり 読んだりしている言葉は 生きている人の「こころ」だった   死んでいる人は しゃべったり 書いたりしなかった 言葉はいらなかった    静かに 笑みを浮かべていた   &nb

親水公園にて その37

 きのうの未明、こんな夢を見た。  妻が帰ってきて、立ったまま、開口一番、「水泳大会に参加して、疲れたわ」、うれしそうな顔をしている。確かに彼女は高校時代水泳部で、泳ぐことがトテモ好きだった。 「友達が来るの」  そんな

親水公園にて 序章

夏から 秋へ 日々の 切れ切れな思いが 重なりあって   公園の小さな片隅で 織りあげられた私の心     *お彼岸の中日。お昼ごろ。台風十五号の影響で雨にけむる六甲山を、潮風大橋の南端から

親水公園にて その36

 午前二時過ぎ、まどろみの中で脳裏に言葉が浮かんでいた。ベッドから身を起こし、忘れないうちにそれをノートに書き写した。    あなたと  死別して  八年がたって  わかったことが     ひとつだけ

親水公園にて その35

 耳底で皮をむくような音がしている。ズルズルしたり、ズルリとしている。なんだか全身の皮がむかれているんじゃないか、そんなイヤな気持がして、わたしはベッドから体を引きはがした。午前二時。スッカリ頭が冴えてきた。手持無沙汰だ

親水公園にて その34

 日本海側を北東に進んだため、私の住む町にはこの台風の影響はさほどなかったのではあるまいか。夜更けに目覚めて、静寂の中を、雨だれが何かをたたく連続音が枕もとまでタンタン騒いできた。しかし強い台風の特徴、風の荒々しい絶叫は

親水公園にて その33

あの女と もう一度 話がしたい 道ばたの 赤い彼岸花を見ながら 何故か そんな言葉が浮かんできた     *台風十四号がまだここまでやって来ない、夕方の五時前。親水西公園の川沿いに咲く赤い彼岸花。

親水公園にて その32

 夏の間、毎朝庭の掃除をしていると、早くからもうアリが活動しているのがわかる。私が小さかった頃と違って、最近は黒いゴマの実より細かいアリばかりだ。大きなアリはいない。地中から粉末のような砂を巣穴の周りに積み上げている。彼

亀の海外旅行

 けさ七時半ごろから亀の池の掃除を始めた。あすも休日なのでどうしようか少し迷ったが、台風十四号が近づいている様子で、きょうにした。  余談になるが、この三連休の家事として、きのうは家の掃除だった。一階全部と二階の亡妻の部

親水公園にて その31

歩いていると まだ生きているのが わかる   夏が終わった     *午後五時過ぎ。親水中央公園西側の橋。私は毎日二回、昼と夕にこの橋を渡り、芦屋浜に出て海を見ている。  きょうは台風十四号

わかった

いのち と ひきかえに ことばが あふれていた   ここでは いのち と ことば が 等価だった   こんなせかいが そんざいしているのが わかった

親水公園にて その30

あなたを通り抜けて わたしは歩いて 出た   透きとおっていた それほど 死が近いのだろうか     *朝九時過ぎ。親水公園の西側から東を撮った。夏枯れたアーモンドの木、雑草に埋もれたローズ

後藤光治個人詩誌「アビラ」11号を読む。

 この詩誌を読んだ。    後藤光治個人詩誌「アビラ」11号 編集発行 後藤光治 2022年9月1日発行    まず、この詩誌の特色の一つである巻頭に「ロラン語録」が置かれている。  全体の構成も従来

親水公園にて その29

悲しかったら 悲しいままで   死んでいいと思う     *午後一時前、親水中央公園の西側の橋から東に向かってスマホを向けた。手前に咲いているローズマリーの先、アーモンドの木は、晩夏の苛烈な

「KAIGA」120号を読む。

 この詩誌は、四人の作家、十篇の詩で構成されている。その内の一人、河野晋平は物故の作家だった。    「KAIGA」No.120 編集発行人 原口健次 2022年7月31日発行    編集発行人とはず

「リヴィエール」183号を読む。

 この詩誌を読んだ。    「リヴィエール」183号 発行所 正岡洋夫 2022年7月15日発行    十六人の作家の作品十八篇、六人の作家のエッセイ六篇か掲載されている。  過去とそれに応答する現在

親水公園にて その28

人間は 孤独だから 言葉が あるのかもしれない   孤独だから 話しかけるのかもしれない   孤独だから 好きだと言うのかもしれない   孤独だから 無言で あなたと愛しあうのかもしれない

親水公園にて その27

木の下に立って 好き を考えていた…… 少年時代 トカゲ 好き ヘビ トンボ ホタル カブトムシ チョウ 好き ……モンキチョウ モンシロチョウ アゲハ キアゲハ クロアゲハ ベニシジミ…… 十代から大人になって もっと

親水公園にて その26

 一九六九年秋。私がSのアパートで遊んだのは、あれが最初で最後だった。  遊んだ? いや、私たち二人はじっと見つめあったままだった。三つくらい年上の彼女はベッドの縁に座って私を見上げ、まだ二十歳だった私は勉強机の前に立っ

D.クーパーの「家族の死」

 もうずいぶん古い話だが、一九七〇年前後の頃、個人的に言えば私が二十歳になるかならないか、そんな頃のお話だが、「家族帝国主義」という言葉があった。今でもこの言葉が残っているのかどうか、私は詳らかにしない。それはとにかく、

親水公園にて その25

あの女に 手紙を書いていた   無視されるのは わかっていた   それでも 書いていた   きょうも この木の下に立っていた 手紙を出したのを 後悔して     *お昼過

虫の息

 あの女は巨大だった。私は毎晩、彼女の手のひらの上で寝ていた。  だが、状況が徐々にわかってきた。決してあの女が巨大なのではなかった。姿見に映った私はゴキブリだった。彼女はゴキブリが怖くて、嫌悪していた。明るい台所で私を

親水公園にて その24

愛したために 待つことを覚えた   愛したために 死を恐れなくなった   愛したために すべてを投げ出そうとした   愛したために 捨てられることを知った     *写真

親水公園にて その23

あなたといっしょにいるのが とても楽しくて   別れるなんて 心に浮かびもしなかった これっぽっちも!   そうなんだ 長い歳月 愛しあったので もう 愛しあうことしか出来なかったんだ  

頭 覚醒

頭が澄んでいる 透明な空間が拡がっている 光っている 2022.9.5.23:54 頭 緊張 このまま 破砕するのではないか 破砕…… 2022.9.6.03:34 頭 覚醒 2022。9.6。03:50

眉間

 洗濯機だとばかり思っていた。  衣類を投げ込んだ時、思った以上に底が深いのに気が付いた。そればかりではなかった。穴は垂直な小さい空間ではなく、かなり深く、横にも広がっていて、果てが見えなかった。薄暗く、荒れ果てた、広大

親水公園にて その22

あなたがもうこの世にいなくても 雲はきれい   この空も この雑木も また 足もとに咲くこの九月の花も   きれいは きれいだった     *今日のお昼ごろ、いつものように親水公園

ミシェル・フーコーの「精神疾患と心理学」

 私はこれまで、デヴィッド・クーパーの「反精神医学」、ロナルド・D・レインの「自己と他者」、また、彼等に影響を与えたサルトルの「方法の問題」、こういう順序で三冊の本を読んできた。これらの著作に共通して主張されている事柄は

親水公園にて その21

この歳になって わたしにも やっと わかった   誰でも みんな 自分なりに けんめいに 生きてるんだ   よし わたしも 今夜 あの女に手紙を書こう     *夕方、五時過ぎ、親

親水公園にて その20

大切な人を 喪うということは   自分の中心が 穴になることだ   その穴には 八年間 毎日 苦痛が座っている   けさも 苦痛はあぐらをかいたままで おはよう なぜか優しく そう言った &