芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

親水公園にて その41

私をいちばん記憶していたのは

四十三年間 同じ屋根の下で暮らした妻だった

 

八年前 彼女は死んだ

その時から 私の記憶の大半は死んでしまった

 

彼女が死ぬということは

私を誰よりも記憶している人を喪うことだった

 

そうだ 私の記憶の半分は死んでいる 八年前から すでに

愛しあった人と死別したのだから 私の半分は死んでいる

 

半分だけで生きている

 

 

*きのうは午後から雨、きょうは曇っていた。正午。芦屋浜への通り道に立っている木。夏場、この木の下で涼をとりながら、幾度私はさまざまな思いにふけっただろう。いま、この木の下に立って、なぜかあなたの二十代の記憶が私の脳裡に流れていた。