芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「マリアン・コウォジェイ画集ーアウシュヴィッツからの生還ー」の八月十五日について

 きのう、私は「マリアン・コウォジェイ画集―アウシュヴィッツからの生還―」の感想文を書いたのだが、その折、発行日の八月十五日はきっと日本が第二次世界大戦に敗北した日を発行日にして、平和への希望と祈願が込められているのだ、

囚人番号432マリアン・コウォジェイ画集ーアウシュヴィッツからの生還ー

 人は、余りにも苛酷だった体験を、誰にも語らず、口をつぐんだまま、一生を終えることが多々あるのだろう。例えば、第二次世界大戦に敗戦後、自らの戦争体験を語らず、この世を去った元日本兵は数多いただろう。少なくとも、私の父はそ

ブルーノ・ベテルハイムの「生き残ること」

 取り立てて言うほどのことではないが、この本は、訳者あとがきが一九九二年五月に書かれ、そして、一九九二年八月六日初版第一刷発行となっている。また、巻末のプロフィールでも著者はまだ健在で活躍しているように、読者は感じるだろ

今年も、赤いミニバラが

 亡妻は我が家の庭を花でいっぱい飾っていたが、六年が過ぎて、もうほとんど見当たらない。それでも、いまもクリスマスローズが咲き乱れ、彼女が鉢植えから始めて庭に植樹した三本の百日紅は、五月になれば、玄関脇で緑をめぐませ、また

下弦に近い月と、木星。

 きょう、午前三時頃、門灯を消し、玄関先の闇へ出た。  南東の低い空、下弦に近い月の右上方に木星が輝いている。ただ、空は薄いかすみにベールされ、また、強い月の光で土星は見えない、頭上に、ベガ、アルタイル、デネブ、あの夏の

マルグリット・デュラスの「苦悩」

 この作家について、ボクは無知だ。ずいぶん昔、もう三十年近くなるだろうか、「愛人」という映画を観た。また、河出文庫から出ている同名の原作を買って読んだ記憶がある。おそらく、この作家の脳裏にはメコン河のような巨大な泥色の河

サラ・コフマンの「窒息した言葉」

 振り返ってみると、生きている時間には時折、理解不能な、不思議な出来事がやって来る、そんな経験がなかっただろうか? 最近の例で言えば、過日、私はロベール・アンテルムの「人類」を読んだあと、いつとは知れず、この著者の作品が

ロベール・アンテルムの「人類」

 先日、ホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」を読んでいて、ブーヘンヴァルト強制収容所よりもその付属施設の労働収容所の方がさらに苛酷だった、そんなふうに書かれていた記憶が残っている。おそらく、この著者が収容され

「芦屋芸術」10号を出版します!

 「芦屋芸術」10号を7月19日に発行します。この日は、ボクのワイフ、えっちゃんが亡くなって六年目、日本の仏教で言えば七回忌です。今回は、よくよく考えた末、共同執筆者にお願いしなくて、初めてボクの作品だけでやります。作品

春夜、水の夢

ずっと雨が降らなくて からだがすっかりひからびて バケツに水を満たし 頭から浴びた   頭の中に 水草が生え 水面に おぼろ月が浮かんでいる   からだはずいぶん水を吸った    

黒い情熱が、また

あの公園の 雪の中から 黒い情熱が また 歩いて来た   あの日から 狂うべきものは そして 狂った   内部から轟音がした   歯車が崩れていた  

ホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」

 ナチスドイツの製作した人間破壊装置、いわゆる強制収容所を中心にして書かれた作品の中では、これは極めて異色な物語だった。    「ブーヘンヴァルトの日曜日」 ホルヘ・センプルン著 宇京頼三訳 紀伊國屋書店 19

黒いフスマ

 ボクと妻は南側にある兄夫婦の部屋を出て、隣に移り、フスマを閉めた。振り返ると、ボクラの部屋を挟んで、北側の部屋の畳にバケツが置いてある。そして、左の柱の陰から、前傾した父の首から上だけがヌッと突き出し、床を見つめている

ツェラン、あるいは、ビューヒナーの「レンツ」

 先日、「パウル・ツェラン詩文集」(白水社刊)を読んでいて、ずいぶん昔、ボクが二十代の時に読んだビューヒナーの「レンツ」をもう一度読んでみたくなり、確かまだ手もとにあったはずだと思い、本棚を探した。それは二階の本棚で発見

黒い指

実際は 一時停止して 不意に飛び出した その赤い穴に 肌色の軟膏を塗って 再起動する方がいい あるいは この不具合を完璧に修正するためには その赤い穴に 黒い指を差し込み 埋め込んだままその指を切断して 断面に肌色の軟膏

黒い虫

過ぎ去っていたあやまちの時間 もうすっかり忘れ去っていた過失 すなおに謝罪しなかった汚点 自分が義しいんだと人を裁いた出来事 けれど そんなあなたの罪を罰するために きょう このいまわのきわに おびただしい黒い虫が ぞろ

「プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せぬ時に」を読む。

 胸の中には寒さと飢えと虚無しかない  心の中では最後の価値も壊れた。(本書「ブナ」から、9頁)    この言葉は、観念的な虚無の世界を描写したものではなく、ナチスドイツによって製作された人間破壊装置「アウシュ

「パウル・ツェラン詩文集」を読む。

 ボクはまだ二十代前半だったか、もう五十年近い昔の話になってしまうが、梅田の旭屋書店でこの著者の本を立ち読みした記憶がある。「迫る光」という書名の詩集だったと思う。何度か立ち読みした。言葉が発光しているのか、「痛いくらい

ボクの二十四歳の時の作品「月光と白薔薇と」を、改稿しました。

 ぼくが二十四歳の時に書いた作品を改稿しました。    「月光と白薔薇と」 山下徹著     一九七四年五月七日 初稿                 発行日 一九七四年五月二十八日 ガリ版二十部       

ボクの二十四歳の時の作品「月首」を、改稿しました。

 ボクが二十四歳の時に書いた作品を、このたび改稿しました。    「月首」 山下徹著       一九七四年二月十七日 了              発行日 一九七四年五月十五日 ガリ版二十部         

くらやまこういちの「詩集生きっちょいさっさ」

 この詩集の書名は「生きっちょいさっさ」となっている。この言葉は著者の生活する都城地域の方言で、「生きている間」、と言う意味である(本書57頁参照)。    「詩集生きっちょいさっさ」 くらやまこういち著 本多

ジャン・アメリーの「罪と罰の彼岸」

 なんとも言いようがない本に手を出してしまった。それでも勇を鼓して読書感想文めいたものを、ボクは書こうと思う。  取り敢えず、理解しやすいところから、この本の中へ侵入しようではないか、と言って、理解しやすいのかどうか、余

黒いフタ

狂気のフタが開いた 幾千のアリが出た 幾万のウジが出た 幾億の死体が出た 早逝した父が 精神を病んだ母が ギャンブルに溺れた兄が すい臓ガンで死んだ妻が 蒲団の上で仰向いているボクが 死体の山からヌルリと出てきた 足もと

ベンジャミン・ジェイコブスの「アウシュヴィッツの歯科医」

 一九一九年にポーランドのヴァルテガウ地方のドブラに生まれた著者は、一九四一年から一九四五年に解放されるまで、おおよそ四年間、ユダヤ人だという理由だけで強制収容所を転々する。その間の著者自身が経験した生活をこの書は描いて

ボクの二十三歳の時の作品「ハンス・フアプーレ」を、改稿しました。

「ハンス・フアプーレ」 山下徹著 発行日 一九七三年冬 ガリ版二十部                      二〇二〇年二月十六日 改稿    この作品も前作「刻印」と同様、ボクのワイフ、えっちゃんがガリ版で

ボクの二十二歳の時の作品「刻印」を、改稿しました。

 「刻印」 山下徹著 一九七二年四月十七日発行 ガリ版20部            二〇二〇年二月二日 改稿    この作品は、ボクが二十二歳の時に書いたもので、ボクのワイフ、えっちゃんがガリ版で本にしてくれた

ケルテース・イムレの「運命ではなく」

 この書は、アウシュヴィッツで十四歳の少年が十六歳と偽ってガス室送りを免れ、強制収容所で労働者として一所懸命に苛酷な状況に適応して生き抜くけなげな姿が描かれている。    「運命ではなく」 ケルテース・イムレ著

フランクルの「夜と霧」

 この本の著者は、ボクの心に極めて強い印象を残している思想家の一人である。というのも、個人的な話になってしまうが、ボクは一九六九年四月二十八日の沖縄デーで、反戦運動に参加して、新橋・有楽町間の線路上で機動隊に逮捕され、二

アンネ・フランクの「アンネの童話」

 この本を、十四歳くらいの少女が書いたなんて、誰も信じないと、ボクは思う。その上、ナチスドイツが人間とは認めないユダヤ人を収容所に送り、労働能力のある人間は強制労働、その能力のない人間、例えば老人や子供や病人や強制労働を

プリーモ・レーヴィの「溺れるものと救われるもの」

 この歳になってボクにもハッキリわかってきたことは、人はみなそれぞれ独自で一回限りの時間を生きているのであってみれば、他人の生きている時間を理解することは、トテモ困難な事柄だ、逆に言えば、この「ボクの生きている時間」を他

「えっちゃんへの手紙」を書いた。

 おとついからきょうまで、ボクはほとんど制御不能のハイ状態になって、一篇の詩を書いた。それは「えっちゃんへの手紙」という詩で、四章百二十行だった。この詩は、えっちゃんの連作の最後を飾る言葉だった。書名は、「えっちゃんの絵

「えっちゃん祭」が出来ました!

 やっと「えっちゃん祭」を書き上げました。この作品の端緒は、ボクのワイフ、えっちゃんが亡くなる一年前に書いた「東京マザー」から始まります。「東京マザー」は、えっちゃんの写真とボクの文章のコラボで、「芦屋芸術」の別冊として

プリーモ・レーヴィの「休戦」

 「出発したときは六百五十人いた私たちが、帰りには三人になっていた」(本書352頁)。いったい二年にも及ぶこの旅はどのような日程だったのか? どのような施設への旅だったのか? そして、また、何故このような旅に出かけたのか

ルドルフ・ヘスの「アウシュヴィッツ収容所」

 正月早々、重い話をかかえこんだ。……というのも、ボクも長い人生の中で、激昂の余り、他人を絶対否定しようとする傾向になったことは一度ならずある。しかし、そんな状態はいつまでも続かない。ボクの場合、怒りが冷めてくると、たい

「えっちゃん幻想」が出来ました!

 けさ、サイゼリアの裏の波止場まで足を運んで、初日の出を見た。毎年、芦屋浜で仰いでいるが、いま、高潮対策で護岸工事をしているため、芦屋浜は立入禁止になっている。  東の低い空には雲が出ていて、雲上に太陽が出たのは日の出時

すべてをやりとげた!

 去年の年末、ボクは<来年やります!>と叫んで、三つの誓いを立てた。  <そのⅠ>えっちゃんが亡くなってから書き続けている「ふたりだけの時間」という物語を完成させます。  さて、これが第一の誓いだが、本年八月十五日、ボク

シュロモ・ヴェネツィアの<私はガス室の「特殊任務」をしていた>

 この本の著者は、子供の頃、父が理髪店をやっていたので、バリカンの使い方を知っていた。この能力があるため、アウシュヴィッツ強制収容所で囚人の毛を剃る手伝いをするのと引き換えに、ひとかけらのパンにありつくことが出来た。著者

アンネ・フランクの「アンネの日記」

 この本はおそらく、十代の時に読んだ人が多いだろう。感受性豊かだと言われている「青春時代」に読んでこそ、心に残る一冊になるのだろう。だが、ボクはこの歳になって、すなわち七十歳になって、初めてこの本の扉を開いた。 &nbs

十三日の金曜日、その思い出。

 思い出と言っても、まだ数日前の話だが、この歳になってしまうと、未来でさえ、既に思い出だった。  やはり、この十二月十三日の金曜日、一般的に言えばとても不吉な夜ではあったけれど、四人の男、それは山村雅治、北野辰一、國分啓

師走の満月から

 きのうは曇っていて、口惜しい思いをした。でも、きょうは晴れていて、夕方、六時頃、南西の空に金星とその右側に土星が浮かんでいた。きのう、彼等が最接近する日だったけれど。  北西にベガ、西にアルタイル、頭上にデネブ、夏の大

プリーモ・レーヴィの「これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない-」

 この著者は、イタリアの化学者ではあるが、第二次世界大戦中、ナチスのトリノ占領に対して反ファシズムのレジスタンス活動を始める。だが、一九四三年十二月十三日、スイスとの国境沿いの山中で国防志願軍(ファシスト軍)に逮捕され、

今年は、原爆文学を読んだ。

 今年は、といってもまだ一ヶ月近い時間を残してはいるのだが、読書に関して言えば、振り返ってみれば、所謂「原爆文学」を中心にした言語体験だった。今年の自分自身を総括する意味で、いったいどんな「原爆文学」を読んできたのか、煩

「芦屋芸術九号」が出来ました!

 やっと「芦屋芸術九号」が出来ました。「やっと」というのも、四年前の六月十一日に八号を出したきり、ボクの個人的な事情で、休刊状態でした。    「芦屋芸術九号」 著者=藤井章子、山中従子、山下徹 発行所=芦屋芸