昨夜、友人から声がかかり、なじみのスナック「リーザ」で飲んで、帰宅したのは午前零時を過ぎていた。
朝遅く六時に起床。家事や朝食、庭掃除。カラスご夫婦とスズメたちに朝ごはん。すべてを済ませて、八時半ごろから毎週土曜日にやっている亀の池の掃除。
セミの声が騒がしい。彼等の合唱を耳にしながら、ふと十年前の七月十九日夜明け前、妻の死を思い出した。あの時もやはり、同じようにセミの声が騒がしかったはずだ。現に、東京から我が家まで泊りがけで来てくれた妻の友人も、セミがやかましくて怖かった、そうもらしていた。万物照応ではないが、おそらく彼女の心の中で死者と蝉の声が照応し、不気味な合唱が氾濫していたのだろう。
不可思議といえばいいのだろうか。私の耳にはセミの声が届かなかった。また、夏の暑さも覚えなかった。妻の死が私の中のすべての感覚を錯乱したに違いなかった。事実、彼女が亡くなった七月十九日の後、八月十五日の終戦記念日まで、私は一心不乱に「二人だけの時間」という文章を書いていた。それを編集・校正して印刷会社に回したのだった。発行日は九月二日、果たせなかった彼女の誕生日だった。彼女への最後の誕生日のプレゼントが「ふたりだけの時間」という小冊子だった。
また、余計なおしゃべりをしてしまった。亀の池の掃除が終わり、シャワーを浴びて、この文章を書き終えた。午前十時十五分だった。
*写真は、我が家の前の路上で遊ぶ亀さん。