我が家にいる時は、私はたいがいダイニングルームで、パソコンや本やペンやメモ用紙やらが積みあげられたダイニングテーブルを前にして、座っている。いつも北向きに腰掛けていて、六年前までは亡妻が私と向き合って、彼女の背後にキッ
月別: 2020年8月
カアカア、不憫。
カアカアは、毎日、三回ないし四回、我が家のウッドデッキやらウッドフェンスに立って沈黙していたり、あるいは、おしゃべりする。 ところが、八月十五日と十六日は、顔を見せない。私は困惑して、我が家の周辺を探索したが、姿はな
心の底で生きているもの
それを 書く いま 脳に浮かんだ それを 夜でもない 夜明けでもない 未明のそれを 一心に 書く 出てくるのは 脳 未明 浮かぶ それ そうだ夜でもない夜明けでもない まだ 暁からは遠く 夜からは離れて 脳の中の未明 し
「えっちゃん祭」を改稿しました!
ことしの一月十二日に私は原稿用紙七十枚くらいの「えっちゃん祭」という作品を作りました。だが、まだちょっと不満で、もう一度書き直し、本日、八月十五日に完成しました。百枚くらいになりました。 ところで、八月十五日には思い
思い残すこと
死が来た 気づかなかった 思い残すことはなかった
「オリオン」35号を読む
この詩誌に関して言えば、昔、といって、ずいぶん昔のお話になるが、同じ同人誌の同人として交流があった。だが私は「同人誌」の世界から足を踏み出してしまったが、もちろん詩作にそれ程夢中にならなくなってしまったばかりではなく、
「リヴィエール」171号を読む
もう三十年近く運営していて、その上、二ヶ月に一回発行している、奥付と編集ノートを読んでいて、その昔、ほんの少しだけ同人誌に関係していた私には、持続する情熱をつぶさに見て、驚きの言葉もない。 「リヴィエー
山中従子の詩、あるいは、途方に暮れること。
最近、詩誌「草束」38号を読んでいて、山中従子の詩に私は出会った。二篇の詩だった。 「山の上の博物館」 「靴」 草束(くさたばね)38号 所収 発行者岸和田市図書館友の会・詩の教室 編集責任者ごと
松川紀代の「夢の端っこ」
久しぶりに松川さんの詩を読んだ。どちらかと言えば、余計な飾りなんて捨てて、透明度が高くて、ちょっと静かで、それでいてオシャレな言葉だけを選んで、モザイク状に組み合わせて、この詩人特有な、くちもとに微笑をただよわせながら
飛べない、カアカア。
カラスが力強く空中を飛翔する姿を、町中であっても、私達はよく見かけている。では、カアカアはどうか? 率直に言って、カアカアの場合、空中を「飛翔」する、そんな英姿を、私は一度たりとも拝見していない。幼い頃に、仲間のカラ
カアカア、無常。
つい寿命のことを考えてしまった。 一般論に過ぎないが、カラスはワンちゃんやネコちゃんとほとんどかわらず、寿命は十年から二十年だった。 カアカアは、だいたい、朝、昼、夕、我が家の軒先にやって来て、私とお話ししながら、
インゲ・ショルの「白バラは散らず」
私達は、各自、互いに、出来る限り、物事を公平に判断できれば、あるいは、判断しようと一心に努めれば、よりよい方向に向かうための厳しい論争はあっても、相手を罵倒し、断罪し、終に相手を殺戮せんとする狂気の幻想に没入するまで理