芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「オリオン」35号を読む

 この詩誌に関して言えば、昔、といって、ずいぶん昔のお話になるが、同じ同人誌の同人として交流があった。だが私は「同人誌」の世界から足を踏み出してしまったが、もちろん詩作にそれ程夢中にならなくなってしまったばかりではなく、私の個人的な資質、若干の厭人癖と孤独癖が集団やサークルから自らを遠ざけてしまったのであろう。

 

 「オリオン」35号 発行所グループ・オリオン 2019年7月15日発行

 

 まず、巻頭を飾る詩人松川紀代は、夢や幻想、あるいは日常生活に侵入する異郷の存在を、想像力を駆使して丁寧に、また、しめやかな言葉で語りかける。その構成された世界には、大きな破れ目や、崩れ落ちるものはない。いちめん静謐である。この辺りの駆け引きが松川紀代の美質であり、逆に言えば、悪魔や狂気、あえて言えば、ほとんど破れかぶれの世界から遠く離れた場所にじっと立ち尽くしているのだろう。

 しかし、次の頁を繰ってみると、そこに登場する詩人東川絹子は、どちらかと言えば松川氏の作品とは異質な、先程ちょっと触れた、「ほとんど破れかぶれの世界」に進んで参入していると言っていい。同じ同人誌でこれほど好対照な詩人が同居しているのは、決して礼を失する意味ではなく、極めて貴重な存在ではあるまいか。なお、まったく個人的な感想に過ぎないけれど、東川氏には、この詩誌にも言及されているが、既に忘却の淵に沈んで非在化した炭鉱文化の廃墟を、新しい言葉で再生していただきたい。

 この詩誌を読んで忘れることが出来ないのは、森沢友日子の詩、「坂の町」だ。私達はよく「奈落に落ちる」、そんな言葉、あるいはそれに類する言葉「地獄」を日常的によく使用するが、それでいて「奈落」とはどのような存在なのか、ぼんやりして、わからない。森沢氏は、この「奈落」という存在を明確なイメージによって表現した。スサマジイ詩だ、私はそう思った。全文を作者の了解を得ず、無断掲載する。おそらく森沢さんは、「ヤマシタ君、止めてくださいな」と制止するであろうが、苦笑いを浮かべて、断念してくれる、私は勝手に判断してしまった。

 

 

  坂の町    森沢友日子

 

狭い坂道が小さな町の真ん中を緩やかに下って

両脇には家家の戸口が並んでいるが

人の出入りはなくとても静かだ

戸口の表札が三時代四時代をすごして頑固にはりついている

横目でそれを見ながら私は一歩ずつ坂を下りていた どこへ行くというあてもない

しばらく下りてゆくと町のふもとあたりに辿り着いた

そこには一軒の宿があり 中へ入った

宿の中には 先祖の誰かのような顔の老人が座っていて

「やっと来たな ここから先は何もない 奈落だ」という

「はやく帰るんだ もう二度と来るな」

さっき来た道を戻ろうとして見上げると

スキーのジャンプ場のように冷たく光った坂だ

そこを這い上がって登ろうとしたが 素手では皮がむける

あの透明で明るかった町はどこへ消えたのか