この一月はとてもせわしなく過ぎた。今年の一月は今日、三十一日火曜日でやっと幕を降ろす。 やることが多くて、ほとんど限界値を生きていた。振り返ってみれば、確かにそうだった。 概略を書きつらねても、平日は毎日午前中、事
清 位裕美が詩を書き始めた!

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この一月はとてもせわしなく過ぎた。今年の一月は今日、三十一日火曜日でやっと幕を降ろす。 やることが多くて、ほとんど限界値を生きていた。振り返ってみれば、確かにそうだった。 概略を書きつらねても、平日は毎日午前中、事
そもそもの発端は、トロツキーの「文学と革命」だった。この本を読んで私は一九〇五年のロシア革命の挫折の前後、十九世紀末から一九二〇年代までのロシア文学に興味を持った。あれこれ作品を読み漁った。このたび読んだ作品もその流れ
今頃になってこんな話になってしまった。だったらこの先どうなってしまうのか。私の頭は混乱して荒野をさまよっている。 確かに誰にも中継点があるのはわかっていた。その中継点で様々な会話が交わされている。言うまでもないが、他
初雪が来た。庭の水道栓が凍結していた。私の住んでいる町では珍しい出来事だった。 昨夜、友人四人と連れ立って、阪神芦屋駅近くの宿六という居酒屋で七時ごろから飲み始めた。十時過ぎ、雪の降り止んだ帰路は凍結していた。タクシ
きのう、不思議な話だが、八年余り前に死んでいるワイフといっしょに散歩した。いつのまにか二人は近所の動物園、阪神パークの檻の中へ入っている。ちょうど真ん中あたりで、オスのライオンがぐったりして伏せていた。傍らの床の上には
KMに捧げる あなたは椅子を抱きしめています 椅子を抱きしめて眠っています わたくしの壊れてしまった椅子を バラバラに砕けてしまった椅子の夢を あなたは やさしく たいせつに 両手
この三日間、午前二時ごろ起きて、「芦屋芸術十六号」の編集・校正を終了しました。ワードで打ち込んだ原稿をPDFに変換して、校正刷りもしました。ちょうど190ページの雑誌になりました。内容は以下の通りです。
永井ますみさんから詩誌が送られてきた。 「リヴィエール」186号 発行所 正岡洋夫 2023年1月15日発行 この詩誌は、十三人の作家で表紙裏の詩を含めて十六篇の詩、五篇のエッセイで構成
この長編小説を読んでみよう、そう思ったのは、以前ローザルクセンブルクの所謂「ロシア文学論」(ローザルクセンブルク選集第四巻189頁以下参照)にこの著作が言及されていたからだった。何事もその裏付けを取っておく、私のそんな
死んでから あなたに 愛しているこの気持ちを 伝えることは出来ない だから この歳になって ちょっと恥ずかしいけれど ひょっとして好きになったら 生きてるあいだに 思い切って あなたを愛しています なんて
きのう、一月十三日金曜日午後三時ごろ、以前から一度お会いしましょうと約束していたAさんと阪神芦屋駅前の喫茶店西村でコーヒーを飲みながらおしゃべりをした。 Aさんは芦屋芸術に好意的な人で、自分でも何か書いている、そんな
金槌さえあれば、私の人生なんて粉砕することもたやすい。 君のてのひらは 五月のお花畑のように 花のつぼみを芽ぐもうとしています 君の顔は 九月の宝石箱のように そのまつげは
この本は既に廃坑となっている三池炭鉱のある一時期を回想した、そう言った回想録だ、そういう風に読める本だろう。確かに三井三池炭鉱は一九九七年三月三十日に閉山されているのは周知のとおりである。また、この本は日本の特異な場所
第一章から 遺書 洟をかむと 花紙の真ん中に 鼻が残されていた 第二章から 境 狐の嫁入りの 境を行けば 右半身は 雨に濡れ 左半身は 乾いている
この二年間というもの、何ものかに見つめられている、得体も知れない何ものかに……そんな苛立たしい妄想に悩まされて、わたくしは憔悴した日々を送っていた。殊に深夜から未明にかけて巨大な眼球にじっと凝視され観察されている不安に
正月は終わった 酔っぱらって 倒れた 目は目を見つめ 唇は唇を訪ね たがいの手のひらを探して 足は足を追う そんな束の間だった ここに正夢は消えた これからは 歳末まで 悪夢に悪夢を 月日に刻んで いよいよ深くするのであ
一月一日元旦。午前三時ごろ起床。今年どうしても出版したい作品「えっちゃんの夏」を推敲。午前七時前、我が家を出発。芦屋マリーナへ。おおよそ七分前後、速足で到着。新年の日の出をスマホで撮りました。キレイだった!おめでとう!