七月二十三日のブログで私は「痴人の告白」という長編小説の読書感想文を書いた。この作品は昭和三年十一月二十日に新潮社から発行された「世界文学全集 第28巻」に収録されていた。この本には同じ作者の作品で、戯曲が二曲と短編集
月別: 2021年7月
ひとりでに出てくるものは
ひとりでに出てくるものは ひとりでに出ていく まっ青な夏が来た 雲が浮かんでいた だけど秋が来て 雲ひとつない 帰って欲しいものは 帰って来ない
ストリンドベリの「痴人の告白」
先日読んだ戯曲「春のめざめ」、「地霊」、「パンドラの箱」の著者ヴェデキントは、一八九一年頃、パリで十五歳年上のスウェーデンの作家ストリンドベリと出会っている。そして、彼はストリンドベリが二度目の離婚をした時の妻、オース
夜明け前の恋
梅雨明けが来て空が白むのはずいぶん早くなったけれど、まだ未明なのか、黒々とした室内のベッドに寝転んでいる私の脳の上に亡妻「えっちゃん」が生き生きとして動いていた。もちろん、後付けで「脳の上に」という表現をしてみたが、睡
脳の真相
脳が 誤作動した…… 目が回る 机が ベッドが 天井 窓 フローリングが ドアが 皿 惣菜 茶碗 箸が 飯が カーテンが ジュータン 椅子 スリッパが パンツが 脳を中心にして 空中回転する
ヴェデキントのルル二部作「地霊・パンドラの箱」
7月10日のブログに読書感想文を書いた「春のめざめ」は、性に目覚めた良家の少年少女たちが家庭や社会(学校)の道徳や規則などの制度=抑圧から自らを解放せんとして、十四歳のメルヒオルとヴェンドラが性交したり、高等普通学校で
存在しているのだ
こんなことを 書くために いま 存在しているのだ 午前二時四十三分
また出た
また 出た 午前二時三十五分
もういないのに
最近 会っていないから 今度の 日曜日には えっちゃんと 買い物に行こう そう思って 目覚めた 午前二時二十二分
ヴェデキントの「春のめざめ」再読
一九〇八年四月といえば確かトロツキーはウィーンに亡命している時だったと記憶しているが、その折、彼は「作家フランク・ヴェデキント」という一文を草している。この文は、「文学と革命 第Ⅱ部」(内村剛介訳、現代思潮社)の175
ロシア文学、一九〇五年前後から一九二〇年前後までを歩く。
最近、私はトロツキーの「文学と革命」を導きの糸にして、この本で紹介された作家の作品群を渉猟している。もちろん、トロツキーが将来に期待を寄せる作家も、象徴主義や神秘主義や虚無的個人主義者として批判している作家も、双方の複
後藤光治個人詩誌「アビラ5号」を読む。
私が「芦屋芸術13号」を送った御礼にこの詩誌は送られてきた。私たちは一面識もないが、お互いの作品を知れば、旧知の友に再会した気持がする。 後藤光治個人詩誌「アビラ5号」 編集発行 後藤光治 2021年3
後藤光治個人詩誌「アビラ4号」を読む。
この詩誌は、同じ作家が五つの世界を表現した特異な言語集だった。まず第一の世界は、自作の詩を六篇発表し、次にロマン・ロランのガンジー論を解説し、その流れの中で敬愛する清水茂を紹介して、「詩のいずみ」のコーナーでは第二次世
カアカアは、やっかい者!
わが家の玄関先の一本道を西に向かって百歩程度で、葉をいっぱい茂らせたクスノキが一本立っている。五月になって見上げると、葉叢の中にカラスが巣を作っていた。この町が出来て十八年、やっとカラスも町になじんだのだろう。 巣作
めのまえにいる
こころのなかだけではない めのまえにいる あなた
コロレンコの「マカールの夢」
この作品は一八八五年「ロシア思想」に発表されたもので、極地ヤクウトの密林の中に住む貧農の夢を描いている。実際、作者自身が政治犯としてシベリアに追放されて働きながらその地で生き抜いているので、雪に覆われたスサマジイ自然と