芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

後藤光治個人詩誌「アビラ5号」を読む。

 私が「芦屋芸術13号」を送った御礼にこの詩誌は送られてきた。私たちは一面識もないが、お互いの作品を知れば、旧知の友に再会した気持がする。

 

 後藤光治個人詩誌「アビラ5号」 編集発行 後藤光治 2021年3月1日発行

 

 詩誌全体は五本の作品で構成されているが、私は全体にわたる著者の作業を見据えながら、≪詩作品≫に絞り込んで考えてみたい。

 この詩誌に書かれた詩作品は六篇ある。中でも、巻頭におかれた「堤防」という作品は、この作家の心に最も近接している言語宇宙ではないだろうか。敢えて「宇宙」という言葉を使ったのも、著者が発表している他の作品、例えば、「村道」、「星月夜」、「松山ん窪」(いずれも「アビラ4号」所収)、「井戸」、「岩」(二作とも「アビラ6号」所収)、この「堤防」と併せてこれらの作品を一読していただければ、通底しているものの宇宙的全貌が読者の脳裏に浮かんでくるのかも知れない。

 さて、「堤防」という作品は、生家の前の村道を下っていくと波止場があって、そこから突き出た長い堤防で仲間と遊んだ、子供時代の夏の夜物語だった。眼前には漁火が揺れ、頭上では星々が満天キラめいていた。少年たちのたまり場。すべてはもう昔語りで、その昔語りは著者の脳のどの辺りかに刻まれたまま、折に触れ浮揚して言葉化するのだった。もちろん、まことに不可思議ではあるが、この脳のどの辺りかでは若死にした三人の幼なじみも健在でいまもオシャベリしながらこちらを向いて笑っている。

 死者とその背後にかつて存在した風景が極めて鮮明に浮揚する、こうした言葉の流れ方は、この著者の大きな特徴の一つと言えるだろう。この詩誌に収録された他の作品、「力丸」、「あつっさん」、「義父」という三篇も、言ってみれば死者の言語による現前化だった。「機関車」という作品は生の落日とその沈黙を言語化したもので、やはり死に近接した言葉だった。著者は、<「存在」と「意識」(1)>の中で、こう述べている。

 

 「死んだらどうなるか」という問は、昔から私の重大な関心事であった。(同書31頁)

 

 六篇の作品の中で「カプサイシン2」だけは違った趣向だった。現在の人間関係を激辛に描いた愛情表現だった。