芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ロシア文学、一九〇五年前後から一九二〇年前後までを歩く。

 最近、私はトロツキーの「文学と革命」を導きの糸にして、この本で紹介された作家の作品群を渉猟している。もちろん、トロツキーが将来に期待を寄せる作家も、象徴主義や神秘主義や虚無的個人主義者として批判している作家も、双方の複雑な道を現在もなお歩き続けている。何故って、私も、結局のところ、あっち向いたりこっち向いたりしている、トロツキーのいう所謂「小ブルジョア個人主義者」なんだから。いやはや、トテモ楽しい散歩! だが、それにしても、老後の楽しみにしては、いささか、キビシイ、スサマジイ、光と闇が交錯して入り乱れた作品群が立ち並ぶ、混沌とした遊歩道ではあるのだが。……

 この度読んだ「決定版ロシア文学全集第29巻」(日本ブック・クラブ発行、1973年3月20日七版)には、長編一作と短編七作が収録されている。長編のアルツィバーシェフ作「サーニン」と短篇のガルシン作「赤い花」、コロレンコ作「マカールの夢」の読書感想文は既にブログに書いた。収録されている八篇の作品の内、一八八三年に発表された「赤い花」と一八八五年に発表された「マカールの夢」を除き、残るすべての作品は一九〇〇年から二〇年までに書かれたものである。

 読書感想文に書いた上記の三篇以外の作品をあげておく。

 ソログープの「白いお母様」(昇曙夢訳)。この作品は大人のおとぎ話と言ってよいが、つまるところ、孤独な男の妄想譚だった。

 アンドレーエフの「深淵」(石山正三訳)。この作品は一九〇二年に発表されている。人間の凶暴な次元、特に男の性欲だけを切り取って詳細に描いた、厭世の細密画。形而下の深淵がドス黒くグチャグチャしている。なんと後味の悪い小説だろう。十月革命後、ポーランドに亡命。四十八歳でこの世を去っている。

 ブーニンの「生活の盃」(原久一郎訳)。一人の女をめぐった三人の男の物語。淡々と語られてはいるが、登場する男も女も、異様な生き様だった。ひょっとしたら、多かれ少なかれ、あらゆる人は独自な生き様を描いて異様な姿でこの世を去って行くのか? 作者は一九二〇年にフランスに亡命。一九三三年にノーベル賞を受賞している。

 ザイツェフの「静かな曙」(昇曙夢訳)。奇妙な静寂を作品にした散文詩的小説。一九二一年に亡命。パリで永眠。

 クープリンの「生活の河」(昇曙夢訳)。この作品は一九〇六年に発表されている。下層社会の宿屋で生活する人々と、そこに宿泊した学生のピストル自殺の二重奏。下層社会のどん詰まりになった状態が生き生きと描写され、また、学生運動で逮捕されて官憲に仲間を売った裏切り者の学生を主題にして、不安定な崩壊する社会の予感さえ匂ってくる。作者は一九一九年に亡命、後年帰国している。

 余談であるが、ネットで古書店からクープリンの「魔窟」を注文した。他に読まなければならない本が多々あるが、いずれ読了すればブログに感想文を書きたい。

 既に読んでブログにも感想文を書いたベールイの「ペテルブルグ」、マヤコフスキーの「ズボンをはいた雲」、彼は自殺したが、ザミャーチンの「われら」、彼は亡命したが、ピリニャークの「機械と狼」、彼の場合は銃殺されたが、トロツキーの「文学と革命」、言うまでもなくメキシコで暗殺されたが、とにかく、十九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、ロシアではすごい言語作品が咲き乱れている。私は爛熟したこの花園で今しばらく遊ぼうと思う。