芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

瞬間瞬間顔が変化する女

 Mの頭はビヤホールのように大きくはない。けれど今夜も彼の頭の中におおぜいの人が寄り集まってきた。パーティーでも始まるのか。  いったいどうしたというのだろう。Mはゴルフクラブを手にしていた。十一年ぶり。彼はずっとゴルフ

亀の速度

 昨夜は金曜日。恒例となった夜の散策。いつも回るスナック二軒。午前零時過ぎ帰宅。  夜の旅。また変わったことがあった。二軒目のスナックのカウンター、私の右隣に座った男。四十過ぎ。これから芦屋で新しい商売を始めるとのこと。

三本の百日紅

その時は 思いもしなかった 二十年前 あなたが鉢植えから育てた 今 庭に咲く 紅 紫 白 三本の百日紅   *写真は、二十年前に亡妻が鉢植えから育てた三本の百日紅。白い花の百日紅がもっとも大きくなって、次に紫、

流動する未明

未明 まぶたを閉じて ベッドに横たわっていた 無数の 小さなガラス玉が 浮かんでいる 赤 緑 紫 ミルク 透明しずく さまざまな色彩で 光り 輝き 流動している

「私」という異物

 さびれた街だった。人気がなかった。もしかして集団疎開でもしたのだろうか。戦争の噂なんて聞いた覚えもないが。それにしても、目も当てられなかった。すべての風景がほとんど砂に近い状態だった。三日後には崩れ去ってしまうのではな

芦屋ビーチクラブ その78

 きょうは、言うまでもなく、日曜日。私にとって、朝八時から九時まで、芦屋浜でゴミ拾いをする日だった。  やはり雑草抜きが中心で、その周辺に落ちているゴミも拾って。  ボランティアって、もちろん、基本的には、無償の行為。当

亀と家出

 最近、金曜日の夜の恒例儀式になってしまった。だから昨夜も行きつけのスナック二軒を回った。帰宅したのは午前零時を回っていた。  一軒目では、カウンターの右隣に六十代の女性がいて、夫と死別して十年になるという。私は妻と別れ

交霊

無数の線と 無数の線が きゅっ きゅっ 交わって 無数の絡みあいを演じている 時折 ひくひく ぴくぴく そんな音がしている   いつしか溶けてしまった   ひとつになった   二大無数線交接

ふたりで川魚を

 約束した、確かに約束した。彼女ともう一度暮らせるなら、何もかも投げ捨ててもいい、と。    翌朝、目覚めたら、Mはリカといっしょだった、橋の下で。添い寝して。願いがかなった。ずっといっしょだった。すべてを失っ

トマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」を読む。

 こんな長編小説を読んだ。    「競売ナンバー49の叫び」 トマス・ピンチョン著 志村正雄訳 サンリオ文庫 1985年10月15日発行    この作品は、通称ムーチョという男の妻エディパ・マース夫人

ふたたび 庭で

八月十二日から 八月十七日まで 我が家の庭で いつも同じ蝶 キアゲハが遊んでいた 庭掃除している わたしのことを 少しも こわがらず 肩からほほへ ヒラヒラしていた たわむれていた

芦屋ビーチクラブ その77

 きょうは日曜日。朝、芦屋浜へ。  どうしてもやりたいことがあった。この盆休みの間に、さまざまなゴミがまき散らされていた。特に堤防の階段近辺に、ペットボトルを中心にして。過日、浜を散歩していて気になっていた。ヨシ。今度の

亀とケイ・ウンスク

 お盆の十五日ではあるが、昨夜もこの頃よく行っているスナック二軒を回った。  スナックで遊んだら、時折、カラオケで私は歌を唄う。例えば昨夜、一軒目では桂銀淑(ケイ・ウンスク)の「アモーレ/激しく愛して」を唄った。また、ス

それでも やはり

ワインを飲みながら それでも あの時 やはり そう つぶやいていた これが極限値か 赤ワインを見つめていた 白いくちびるが浮かんでいた   八月十五日

耳地獄

 行きたければ行けばいいだろう、そう言われた。間違いない。俺の耳にははっきり突き放すような言葉を投げかけた彼の声が残っている。後になれば誰も信じてくれないばかりか、当事者、彼自身がそんなことを言った記憶はないんだって。

つい また

ユリは悲しい 花瓶から いきなり ハラリ 散っていく 床に落ちた 花びら おしべ   もう買うのはやめよう ユリで部屋を飾るのはやめよう   でもお店で花の前に立っていると つい また ユリに手を出し

愛の終わり

 何度も確かめていた。だってここ数日、財布の中のお札が全部白紙に変わってしまうから。朝起きて、出勤する際、覗いてみたら全部白紙。タンス預金から差し替えて会社に出かけるが、こんなことを続けていたらもうすぐ貯金は尽きてしまう

愛の深さ

なんということだ どこまで つながっているのだ このやわらかい鎖は   紅 緑 紫 しずくの数珠になったつながり ほとり ほとり……

亀と帰宅

 奇遇というものがある。昨夜、二軒目のスナックで、旧知の人と会った。以前、近隣のボランティア活動で何度もご一緒していたが、その後、ある事情があってその活動から私は身を引いていた。マタ、ミンナデ、コノすなっくデ、遊ボウね。

冨永多津子歌集「みづおち」を読む。

 どうしても余分な話をしておきたい。周知のとおり、阿弥陀経で「倶会一処」という言葉が出て来るが、いまさら言うまでもなく、別れた人と浄土で再会できるというのであろう。この教えは、我が国の民衆が浄土系の宗教を信じてきた大切な

冨永滋句集「提外日記」を読む。

 私は俳句や和歌をあまり読まない。また、詠んでみようともほとんど思わない。「ほとんど」と言ったのは、かつて私の個人誌「芦屋芸術」に十代、二十代の時に書いた奇妙な?俳句を若干数発表しているのだから。  だから私はこの本のい

死の意味

離れられないほど 愛しあったために   ボクとあなたは ひとつのからだだった   死は ふたつに割った

未明に声がした

 動いているのは確かだった。指先はすべて問題なかった。一応手足も眺めわたして、大丈夫だよ、Mは微笑んだ。鏡も笑った。よかったね。  ふくらはぎも腰も震えてはいない。だが連日の猛暑の陽射しのせいだろうか、外部は真っ赤っか、

寄稿文芸誌「KAIGA」No.129を読む。

 原口健次さんから詩誌が送られてきた。    「KAIGA」No.129 編集発行人/原口健次 発行所/グループ絵画    この詩誌は四人の詩人が十一篇の詩を発表している。いつものように故人の詩人の二

芦屋ビーチクラブ その76

 昨夜は誰からも声がかからず、また、ひとりで夜の灯りをさまよう気にもならなかった。というのも、きょう、日曜日の昼過ぎから梅田で「別冊關學文藝第七十号」の合評会があり、その席に私は出かける予定だったから。何しろこの雑誌は3

亀と未明

 暑い。灼熱。焦熱地獄。午前九時過ぎ。庭掃除。スズメたちカラスたちのご飯。土曜日恒例の亀の池の掃除。  確かに異常天候。春も梅雨も短く。連日猛暑。朦朧として亀の池を洗い続けるボクという男。亀は庭で楽しく遊びまわっている。

あの時のメモ帳から

 彼の中で何かが壊れていた。それに気づいた時にはすでに手遅れだった。メモ帳にこんな言葉をイタズラ書きまでして。    消えていく  家に住んでいた小さな虫でさえ  この世から消えていく  なぜって  これ以上こ