「芦屋芸術」の新しいホームページが出来ました。アドレスをお伝えします。 http://ashiya-art.main.jp/ きのうはボクの誕生日で、長男がプレゼントで作ってくれました。ぜひ、アクセスしてください
誰も いない

夜を見ながら 生きて来た 夜を見ながら ペンを走らせるって トテモ ステキ じゃないか 夜の中で 夜を白紙に写し まき散らされた 星の上で からだは 崩れていく ごらん もう この世に 誰も いない
くちびる幻想

かさね あわせて いま 浮かぶ 開く そして あえぎ そして もっと もっと よ ねえ だから もっと じっと 深く 頭から 崩れ 腰へ
彼は 今

線状虫がやって来た いったい 何匹いるのだ 五本前後の黒糸触手をうごめかせ ねばねば 接着音をうめき出しながら 頭から やがて もぞもぞ 全身を覆い尽くした 細かい三角形の卵を寝室にまき散らし 無数の線状虫が孵った 死ね
水の音がする

新しい川が出来た そんな噂を耳にした 彼の住んでいる町には どまんなかに 芦屋川という川が昔から流れている 日曜日 彼は終日 新しい川を探し続けたけれど どこに流れているのか わからなかった 未明 頭の中に 流れていた
冨永滋の「未完の愛の詩集」を読む。

去年の七月の末、物故の詩人冨永滋の妻冨永多津子氏から一冊の詩集をご恵贈いただいた。早速その年の八月、一読した。だが、「芦屋芸術」のブログでご紹介することは出来ずにいた。それというのも、この詩人は私と同じ年に生まれ、二〇
緑の汁

視野が狭くなっていくのが分かった。このまま何も見えなくなるのだろうか。 最初、砕かれていた。微細に。いったいどうしたのだろう。すべてがゴマ状に破砕され、散乱していた。あたり一面、黒点、緑点、紫点、赤点、さまざまな色点
毎日 サヨナラ

書くことは サヨナラすることだろうか だったら あなたに 手紙を 書いて このノートに 別れの 手紙を 書き続けて 毎日 サヨナラ
すっかり

楽しく 生きていくためには 心は 離れなければならない 今まで 出会った すべてのものから すっかり 離れなければならない 楽しく生きるために すっかり すべてから
いっぱい

突然の 別れ あんなに いっぱい くちびるが 空に 浮かんでいたのに けさ 目覚めたら みんな 消えてしまった 畳に 破れて 三日月に似た 赤いゴム状の物 いっぱい
すでに

口に注意しなければならない なぜなら くちびるから すでに 愛ははじまっていた あの時 すでに
詩誌「リヴィエール198」を読む。

永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。 「リヴィエール198」 発行所/正岡洋夫 2025年1月15日発行 十一名の詩人が十三篇の詩を発表している。また、エッセイは六名の詩人がそれ
自覚

やはり思った通りだった。誰もいない舗道を歩いていた。虫はいるだろうか? 一匹でさえいない、絶滅した様子だった。もちろん、言うまでもなく、家一軒、並木もまた見えなかった。山も草も空もない。あるものといえば、一本の舗道の上
芦屋ビーチクラブ その63

土曜日の夜、スナックで遊んで帰宅した時は翌日、ということは今日の午前零時を過ぎていた。夕方から小雨が降り、帰宅時もまだ雨が降り続いていて、日曜日、本日の芦屋ビーチクラブの活動は中止だろう、そう思った。気になっていた作品
ステキな話

家の鍵がいるなら言って あなたなら預けても構わないから そんな話をしているうちに トイレの便器にワカメが浮かんでいた 水で流せば詰まるんじゃないか 心配……どうしていいかわからなかった とりあえず箸でつまもうとしても た
体じゅうの話

追いつめられれば 追いつめられるほど 言葉が 形象が 音が あふれ 出てきます 毎日 です 体じゅう 言葉 形象 音 にまみれて 未明 まんじりともせず 天井を見つめ こうして 生きています
訪問する女

こんばんは。ドアホンを鳴らさず、いきなり玄関フロアの方から夜の挨拶が聞こえた。玄関ドアの鍵を閉めてベッドに横たわったはずなのだが。それにしても今何時ごろなのだろう。こんな夜更けに何用があって、この女はやって来たのだろう
消えたくちびる

この世が終わっていく てのひらを閉じて まなざしは振り返り ふたたび てのひらを開いて あなたと愛しあった この世が やはり 日が暮れていた 振り返った まなざしは絶え てのひらが そして く
常にいる女

途切れ 途切れ の 映像 女が出て来るが 極めて親しみ深い 幼少の頃から ずっと いっしょに暮してきたような そんな 不思議な いったい誰だろう わたしのことを ニックネーム「とんちゃん」 そう呼び続けて
なんとでも言ってください

雨が降れば ボクは傘をさします 傘をささなければ 体が濡れます でも ときたま 事務所に傘を置き忘れたまま 帰宅することがあります 途中で雨が降ると ボクの体は濡れます 忘れる奴は バカな奴さ ええ なんとでも言ってくだ
「芦屋芸術二十二号」を出版します!

「芦屋芸術二十二号」の編集・校正が終わりました、今年初めての出版です。発行日は三月一日。内容は以下の通り。 contents <招待作品> 海辺の誘惑
空が晴れている

いま わたくしは内面の究極を歩いている 頭の中に流れる川は 河口に向かって 限りなくひろがっていく こんな言葉を口ずさみながら 存在するものはみな 永遠の一部 無数のひとかけら すべての一部が消滅す
芦屋ビーチクラブ その62

午前一時過ぎ、ノートに作品を一つ書き、仮眠。三時半ごろ起きて、その作品を「芦屋芸術」のブログに投稿。 きのうの夜から庭の鉢や花壇の植物が気になって仕方がない。少し早めに家事に取り掛かった。午前五時半。 朝食や花の水
未明の幻影から

物事をつきつめはしない 浮かんだことだけを書く だって 未明だから 闇一色だから いま ほら 暗い頭の中に こんな白い文字が 浮かんだ 霊魂は残らない でも 塵は残る
一部

からだの 所有者が わからない あの人に あの人のからだの 所有権などあるのだろうか それとも からだは 永遠の一部だろうか 無限のかけら いま この世に現れた あの人のからだ
しるし

ここは どこだ 夜の果てに 音が している あすの夜も もう一度 ここまで 帰っておいで ひっく たっく そんな しるしの 音が
耳、あなたの。

あわただしい 一日だった それでは まだ あの山では 滝が落ちているのだろうか 滝の音が聞こえているのだろうか もうすぐ 一日が終わる サヨナラ あわただしい 背中 そして唇 夜がやって来たら ベッドに寝転んで もっと
雲

そんな あんな でも だって だったら どう 言葉が ちぎれて 浮かんでいる 青空 あの 究極の方へ 頭に川が流れている
だった、川。

山は青い そんな声が 背後から聞こえた 振り返ったら 川だった あった あんなうれしい時も
帰路不明

JR大阪駅のプラットホームを東から西の方に向かって歩いていると、十メートル余り前方にN議員が秘書を二人連れて立っている。こちらを向いて手を振り、笑っている。一人の秘書は左手にワインのボトルを掲げて、左右に振りながら何か
芦屋ビーチクラブ その61

最近、身辺がせわしない。平日の午前中は相変わらず事務所に顔を出して仕事をし、午後からは、私が運営している文芸誌「芦屋芸術」二十二号の編集・校正を中心に精を出している。そのうえ、「別冊關学文藝」七十号に原稿を二月中旬頃ま
すぐそばに

四十三年間 愛しあった あなたは 十年余り前に 死んでしまったのに 見つめている 笑っている 懐かしい さまざまな服を着て すぐそばに 毎日
白紙に返る

たくさんの魚が泳いでいた 色とりどり わたしは 特に 十年前に亡くなった オレンジ色の服を着た魚が好きだった 今でも ほんとに にぎやかだった 心の水槽では 毎晩 こんなに いっぱい 魚が泳い
記憶の果てで

犬だと聞いているが、犬種はわからなかった。搬入しなければならならなかったが、一匹ではなく、十匹か、それとも数十匹いるのか、それさえわからなった。じゃあいったい何がわかっているのだ、そう詰問されたなら、答えに窮してしまう
脳に描いて

このたびは どうも ありがとう ございました また こんな このたび が ありますように なんども この十年間 夜の枕もとで そう 言いきかせてきましたから ぜひ もういちど
もはや ない

かつて さまざまな人の 唇が開いて 音が流れていた かつて さまざまな唇から さまざまな音が 流れ 溢れ 漂い そして すべて 消えた あれから 七十五年の歳月が過ぎたけれど この脳には 何も
一行の愛

なぜ おまえが 好きになったか それだけは 話しておきたい つまり わたしにとって 愛は 生命でも 人類でも 神でも 理想や理念でもなく 眼前に座っている おまえだけだった おまえと愛しあうこと これが わたしにとって
芦屋ビーチクラブ その60

私の運営している文芸誌「芦屋芸術」の22号を今年の三月一日に発行予定。だからこの間、寄稿者の原稿の編集・校正に没頭していた。ほとんど終了。だが、私自身の原稿の編集・校正が終わっていない。午前四時頃からその作業を中心に時
後藤光治個人詩誌「アビラ」20号を読む。

後藤光治さんから詩誌が送られてきた。 後藤光治個人詩誌「アビラ」20号 編集発行/後藤光治 2024年12月25日発行 構成は従来通りだから、私にはかなり入りやすい詩誌である。 まず巻
「千葉県詩集」第57集を読む。

宮武孝吉さんから詩集を送っていただいた。 「千葉県詩集」第57集 発行人/秋元炯 発行人/千葉県詩人クラブ 2024年11月3日発行 一〇六名の方が詩を寄稿しておられる。それぞれ二頁が割
きた

てのひらの 上に ちいさな かけらが 置かれていた それは 冷たかった だが 溶けなかった 溶けなかったが 冷たかった とても 冷たいまま ついに 凍りついてきた
なにもありません

水鳥のままで

余程のことがない限り、毎日お昼ごろ、私は散歩に出かけている。だいたい同じ場所を歩いている。芦屋浜を歩きながら海を見つめ、公園から六甲山を仰ぎ、さまざまな思いが去来するのにまかせて歩いている。時折、キャナルパークへも足を
輝く未明

ここ数年 空白の中を歩いている ひたひたしていた足音が絶えた 足が消えた 歩くたび 足の裏の形が ひったりして 凹んでいた 少なくとも 九人の足 十八本の足首 すべてが 消えた
詩誌「交野が原」第97号を読む。

金堀則夫さんから送られてきた詩誌を読んだ。 「交野が原 第97号」 編集・発行人/金堀則夫 2024年9月1日発行 三十三人の詩人が三十四篇作品を発表している。そして評論・エッセイが二篇
芦屋ビーチクラブ その59

一月五日日曜日、朝八時。今年初めての芦屋ビーチクラブ。 去年十二月から年始までの夜回りでまだ少し体を崩しているが、よし、ここは一発、積極的に体を動かして、飲酒病からの完治を目指した。 年始早々、気付いたことが一つ。
「百奇妙物語」紹介文の原案

「泳いでいる」というテーマで書かれた百の物語を集成した作品集の紹介文。ここでは、この紹介文の原案をまずご紹介しようと思う。第一話は、「唇が泳ぐ話」。 確かにその館に入れば、サウナ状態になっていて熱い水蒸気がモウモウと
詩誌「現代詩神戸287号」を読む。

永井ますみさんから詩誌が送られてきた。 「現代詩神戸287号」 編集/今猿人・神仙寺妙・永井ますみ 2024年12月10日発行 十七人の詩人が二十二篇の詩、そして「エッセイ」一篇と「あと
夜の食事

スマホのアルバムに 写真百枚分くらい 空白ばかり 残っている JR芦屋近くの いつものお店 2004年ものの 甲斐ワイン おいしいね そんな会話をして 食事をしたのは ついさっき 1月2日 昨夜のことではなかったか スマ
違うとTONはつぶやいた

今年の正月 三日未明 TONの住んでいる芦屋 天気予報では 晴れの予想だった だが いきなり 暴風雨がやって来た だが また なぜだ カーテンの向こう側 窓の外は快晴だった 満天 星星が煌めいている 意外だ
「恋」

秘密裏に脈々と続いている そりゃ そうだろう 続いているから 秘密 続かないから あれは噂かも