芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「芦屋芸術」の新しいホームページが出来ました!

 「芦屋芸術」の新しいホームページが出来ました。アドレスをお伝えします。  http://ashiya-art.main.jp/   きのうはボクの誕生日で、長男がプレゼントで作ってくれました。ぜひ、アクセスしてください

亀と白いキキョウ(続)

 いつものように、けさ、庭やそれに面した歩道を箒でキレイにした後、亀の池の掃除にとりかかった。先週の日曜日からちょうど一週間たっていた。  掃除が完了すると例のごとく、しばらく亀と遊んだ。庭を探検するのが大好きな彼は、先

カアカア、捨てられた家。

 六月五日以来、三日か四日に一回、妻のカアカアだけが一人で我が家にやって来る。もう甘えた声を出さない。無言で、辺りの様子をうかがっている。急いでご飯をほおばり、以前のようにオカワリを催促しないで、あわてて飛び去って行く。

カアカアだけじゃなかった、スズメまで来た!

 カアカアは決して鳴かない。ウッドフェンスの上からじっとダイニングルーム側のガラス戸を見つめている。私が彼を見つけるまで、一声もあげない。  きのうの朝などは、向かいの家の庭から我が家の方へ歩道を無言で小刻みに移動しなが

請求書

 久しぶりに豆腐が食べたくなった。  豆腐といえば、もう六年前に亡くなってしまったが、ジャックがとても好きだった。そもそも、八年前に亡くなった私のワイフがプリン代わりにそれを彼のデザートにしていた。彼に過剰な塩分を与える

「日本の昔ばなし(Ⅲ)」を読む。

 引き続きこの本を読んだ。    「日本の昔ばなし(Ⅲ)」 関敬吾編 岩波文庫 2002年8月26日第52刷    これで全三冊を読み終わった。今回は、有名な「一寸法師」、「浦島太郎」、「さるかに合戦

清位裕美のメダカ

 亀が住んでいる我が家の庭の小さな池にメダカもいっしょに飼ってみよう、先日そんな文章を私はブログに書いた。するとさっそく、清位裕美からメダカの絵が四点、メールで送られてきた。なかなかステキなのでそのうちの一点をご紹介する

亀と白いキキョウ

 けさ、前から気になっていた庭の鉢に生えた雑草を抜いて、その勢いで池の掃除を始めた。掃除をやっている四十分前後の間、亀は庭をウロウロして楽しんでいる。どこかに入り込んでしまうと行方不明になってしまうし、それよりも、道路に

カアカアに、私は教えられた。

 けさ七時ごろ、玄関ドアを開けると、階段下の隅っこでカアカアが私を見上げていた。  私はきょうも三時半ごろ起きると、長男と私の朝ご飯を作ったり、パソコンでニュースを見たり、本を読んだり、それから、昨夜の酒が抜け落ちてスッ

朝六時半、ホラ、きょうもカアカアが!

 六月になって、夜明けはいよいよ早くなった。朝の六時半だと辺りはもうすっかり明るくなっている。我が家のウッドフェンスに止まっているカアカアも、ダイニングルームのガラス戸越しにハッキリ見えた。  きょうは朝から洗濯をして九

「オリオン」38号を読む。

 松川紀代さんから詩誌を送っていただいた。    「オリオン」38号 編集人 松川・東川 2022年6月15日発行    この詩誌には、東川絹子の詩作品七篇、エッセイ一篇、松川紀代の詩作品が一篇、一篇

カアカア、浄土。

 本日四回目のカアカアが、午後三時半に来た。我が家のウッドデッキの縁に立って、私とおしゃべりをした。三十分くらいしてた。私はこんな詩を口ずさんで、彼にささやいた。    別れていた君と  もう一度 出会うという

カアカア、君はお昼前までボクの帰りを待ってくれた。

 けさ、九時半ごろカアカアと別れて、いつもと同じ仕事を事務所ですまし、午前十一時半ごろ帰宅すると、我が家の門前で彼が立っていた。私をじっと見上げている。カアカア、君はお昼前まで私の帰りをずっとここで待ってくれたのか。

身障者のカアカアが、生きていた!

 今年の四月十九日に出版した「芦屋芸術十四号」に、私は「カアカアと、このひとときを」という作品を発表した。この作品は二部で構成され、第一部は「カアカア、帰らず」という題になっていた。  私は我が家の庭に遊びにやって来るカ

「現代詩神戸」277号を読む。

 永井ますみさんから詩誌を送っていただいた。    「現代詩神戸」277号 編集・校正 永井ますみ・田中信爾・今猿人 2022年6月10日発行    この詩誌は、十九人の同人が発表した三十篇の詩と一篇

後藤光治個人詩誌「アビラ」10号を読む。

 詩誌のすべての文章を自分一人で書いている、といって、言うまでもなく他の作家の「引用文」は別ではあるが、その「引用文」を選別したのは自分であってみれば、文章全体の流れの出どころは、ただ一人の「自分」に帰するのだろう。 &

芦屋の親水西公園のお池で、今年もカモのヒナに出会いました。

 きのう、近所の親水西公園東端にある池に、お母さんガモが八羽のヒナを連れて遊んでいました。今年もカモのヒナに出会いました! どうぞ、みんな元気で育ってください!  また、この池にはコイが住んでいて、いま、たくさんの子供が

亀さんのお池に、もうすぐ、メダカさんがやって来る!

 けさ、七時半ごろ、亀さんの池のお掃除をしていました。途中、ご近所の方がワンちゃんの散歩で我が家の前を通り、ちょっと立ち話をしました。   「亀、飼ってるんですね」 「もう三十三歳。三十四年目に入りました」 「

「日本の昔ばなし(Ⅱ)」を読む。

 引き続きこの本を読んだ。    「日本の昔ばなし(Ⅱ)」 関敬吾編 岩波文庫 昭和49年12月20日第20刷    この第二巻では、有名な昔ばなし、「桃太郎」、「文福茶釜」、「舌きり雀」、「花さか爺

「風のたより」25号を読む。

 これは特異な同人誌といっていいのだろう。    「風のたより」25号 発行所 風のポスト 2022年6月1日発行    なぜ特異かといえば、執筆者五人それぞれがすべて別次元の表現世界に向き合っている

清位裕美の「亀物語」

 我が家に遊びにやって来るカラス、名付けて「カアカア」の物語を私は「芦屋芸術十四号」に発表した。題して「カアカアと、このひとときを」。二部構成だった。  思った以上に評判が良かった。私は続いて第三部を書こうと思っている、

「月刊ココア共和国」2022年4月号を読む。

 こんな詩誌を読んだ。    「月刊ココア共和国」2022年4月号 発行人 秋亜綺羅 発行所 あきは詩書工房 2022年4月1日発行    本誌には、48人の作家の詩の作品が60篇収録されている。ひと

カアカア、お久しぶり!

 けさ、七時半ごろのお話。  庭掃除を終えて、いつもの通り庭に作ったカアカアの食卓に置いてある愛犬ジャックの遺品、ステンレスの食器の水を入れ替えて、庭の池に住んでいる亀にご飯をやり、さて家に戻ろうかと玄関の方に体を向けた

白昼の散歩

 きょうのお昼前、強い陽射しの下を散歩中、潮芦屋緑地の南端に近いポールの手前に立って、私はスマホで六甲山を撮った。手前の樹林が濃い緑に繁茂して、稜線だけがわずかにのぞいている。  確かに陽射しは強かったけれど、空気は澄ん

鹿児島県大島郡の昔ばなし「旅人馬」

 気になることが、ひとつある。  きのう私はブログに「日本の昔ばなし(Ⅰ)」の読書感想文を書いた。その中にこんな一文があるのだが、下に引用する。    「長者が貧乏人に、貧乏人が長者になる逆転劇が多々あったにせ

「日本の昔ばなし(Ⅰ)」を読む。

 数日前、ハイネの「ドイツ古典哲学の本質」を読んでいると、民話についてかなり詳細にわたって言及されていた。私はとても興味深く読み進んだ。ハイネの論の骨子は、ドイツの中世、ローマ・カトリック教会はドイツで宣伝・拡大・維持す

ハイネの「ドイツ古典哲学の本質」

 最近、フォイエルバッハの本を数冊読んだので、言うまでもなく彼は宗教批判やドイツ古典哲学批判などをやっているが、よし、それならば、私はそう思ってこの本を読んだ。    「ドイツ古典哲学の本質」 ハイネ著 伊藤勉

「リヴィエール」182号を読む。

 永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。    「リヴィエール」182号 発行所 正岡洋夫 2022年5月15日発行    十七人の詩人の作品が、巻頭詩を含めて十九篇、このうち七人の詩人がそれぞ

隣家の窓

 外では雨が激しく降りしきっているようだった。  ふたりの体が隠れるか隠れないか、そんな小さな蒲団にくるまって、わたしはあなたと裸になって抱きあっていた。枕もとに座って灰色の服を着ているあなたが、裸になって夢中に愛しあう

今村欣史の詩集「恒子抄」

 一冊の詩集を、数十分で一気に読んだ。    詩集「恒子抄」 今村欣史著  編集者 水間貴保 2022年4月22日    なんの説明もいらない。結婚五十年を記念して編まれた、そのままで立っている、そん

清位裕美の「カアカア」

 私は先月、四月十九日に出版した「芦屋芸術十四号」で、「カアカアと、このひとときを」という作品を発表した。この作品を読んで共鳴した、そういうことで私は「カアカア」を描いた水墨画をメールで頂戴した。  ここに、この水墨画の

「月刊ココア共和国」2021年9月号を読む。

 こんな詩誌を読んだ。    「月刊ココア共和国」2021年9月号 発行人 秋亜綺羅 あきは詩書工房 2021年9月1日発行    五十四人の作家が、それぞれの言葉で、様々な作品を書いている、それを収

今年もミニバラは、咲いた。

 妻悦子が永眠してから、今年の春、八回目のミニバラが咲いた。数日前、例年のごとく彼女の骨壺と遺影の前を、二輪で、飾った。  きょうも、ステキな赤い衣装で着飾って、二人で立っている。

シェリングの「人間的自由の本質」

 このところフォイエルバッハの本を読んでいて、彼が批判している哲学者のうち、私はこれを選んで読んだ。    「人間的自由の本質」 シェリング著 西谷啓治訳 岩波文庫 1980年2月20日第26刷  

水音

 久しぶりに私は泳いでいた。妻とはスポーツジムのプールでよく泳いだ記憶がある。多い時には週に三回ないし四回も泳いでいた。三十年前後昔の話になるが、マスターズの水泳大会に出場して、高校時代水泳部にいた彼女はメダルさえ取って

私の町の広場が、芦屋市主催の「オープンガーデン」に参加しました!

 私の町の街区には、二カ所広場があります。海洋北広場と南広場です。  このたび、芦屋市の主催する「オープンガーデン」に町の有志で数年前から活動している海洋町ガーデン倶楽部が参加しました。そのメンバーを中心に住民が協力して

Mという女

 最近、といってもここ数年のことになるが、ずっと疲労の中で私は生きていた。  何故? 理由はわからなかった。疲労の渦中にあるものにとって、理由を考えることそれ自体が、いよいよ加速して疲労の中へ落ちてゆくのだった。  こん

カアカアに、何があったんだ?

 けさ、庭の掃除が終わった後、五月十一日から芦屋市が催すオープンガーデンに町内が参加したので共用の花壇の掃除をお手伝いして自宅に帰った時、八時前、我が家のウッドフェンスの縁の上にカアカアがいた。 「カアカア、ちょっと待ち

カアカア、ちょっとおもやつれして。

 今日の午後一時頃、一か月近く姿を見せなかったカアカアが、いつもの場所、我が家のウッドフェンスの縁に立っていた。心なしかおもやつれした姿だった。  彼女は先月の九日以来、一度も姿を見せなかった。近くの公園の木に巣を作り、

新詩集「七年の後に」が出来ました!

 新詩集が出来ました。    フォト詩集「七年の後に」 山下徹著 発行所 芦屋芸術 発行日2022年5月19日 定価千円    我が家の近所を散策中、ふいに浮かんだ言葉と、その言葉を誘発した場所をスマ

フォイエルバッハの「唯心論と唯物論」

 フォイエルバッハは、一八〇四年七月二八日にバイエルンのランズフートに生まれ、一八七二年九月一三日、ニュルンベルクの近郊レッヒェンベルクで没している。六十八歳だった。  いままで私が読んだこの著者の作品を時系列であげてみ

晩年の夢

 昔、かなり親密な取引があった建築会社のオーナー、もう三十年近く音信が途絶えているが、彼とまた新たに取引が始まっていた。  すでに彼の会社は息子の代に変わろうとしている途上だった。時代は、AIまで導入して人件費を限りなく

亀さんの、お住まい訪問!

 きょうは、連休の予定表通り、予定表といっても紙ではなく頭の中に書いているだけですが、また、きのうの大雨も上がって晴れ間が出てきたので、朝から亀さんのお池のお掃除です。早速、彼のお住まいを訪問しました。  まず、亀さんを

「KAIGA」No.119を読んだ。

 原口健次さんから詩誌が送られてきた。いや、正確に言えば、この詩誌をずっと送っていただいていた。    「KAIGA」No.119 編集発行人 原口健次 発行所 グループ絵画 2022年3月31日発行 &nbs

「ゆすりか」132号が、津田文子さんからやって来ました。

 この詩誌には、津田文子の詩が六篇掲載されている。    「ゆすりか」132号 編集・発行 五味里美 発行所 ゆすりか社 2022年4月1日発行    海を捨てて地上で生きた鯨を描いた「海から上がった

「座」71号が、津田文子からやって来た。

 津田文子さんから送られてきた詩誌を読んだ。    「座」71号    この詩誌は七人の詩人で九篇の詩が収録されている。  私には初めての経験だが、この詩誌には奥付に発行日も発行者も一切記載されていな

「詩的現代」40号が、山中従子からやって来た。

 山中従子から詩誌が送られてきた。    季刊「詩的現代」40号  2022年3月18日発行    山中従子は「わたしは観葉植物」という作品を発表している。廃屋の居間の窓際に置かれたまま取り残された観

「現代詩神戸」276号を読む。

 永井ますみさんから送っていただいた詩誌を読んだ。    「現代詩神戸」276号  編集 永井ますみ・田中信爾・今猿人 2022年3月10日発行    この詩誌は、十八人の詩人の作品三十二篇、特集とし

フォイエルバッハの「将来の哲学の根本命題」

 先日、この著者の「キリスト教の本質」を読んだ。この本は宗教、特にキリスト教を論じたものだった。結論から言えば、神は人間の本質を超越的存在として人間の外部に人間が客体化したものだった。だから、神は人間の本質である、この命