芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

シュロモ・ヴェネツィアの<私はガス室の「特殊任務」をしていた>

 この本の著者は、子供の頃、父が理髪店をやっていたので、バリカンの使い方を知っていた。この能力があるため、アウシュヴィッツ強制収容所で囚人の毛を剃る手伝いをするのと引き換えに、ひとかけらのパンにありつくことが出来た。著者

アンネ・フランクの「アンネの日記」

 この本はおそらく、十代の時に読んだ人が多いだろう。感受性豊かだと言われている「青春時代」に読んでこそ、心に残る一冊になるのだろう。だが、ボクはこの歳になって、すなわち七十歳になって、初めてこの本の扉を開いた。 &nbs

十三日の金曜日、その思い出。

 思い出と言っても、まだ数日前の話だが、この歳になってしまうと、未来でさえ、既に思い出だった。  やはり、この十二月十三日の金曜日、一般的に言えばとても不吉な夜ではあったけれど、四人の男、それは山村雅治、北野辰一、國分啓

師走の満月から

 きのうは曇っていて、口惜しい思いをした。でも、きょうは晴れていて、夕方、六時頃、南西の空に金星とその右側に土星が浮かんでいた。きのう、彼等が最接近する日だったけれど。  北西にベガ、西にアルタイル、頭上にデネブ、夏の大

プリーモ・レーヴィの「これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない-」

 この著者は、イタリアの化学者ではあるが、第二次世界大戦中、ナチスのトリノ占領に対して反ファシズムのレジスタンス活動を始める。だが、一九四三年十二月十三日、スイスとの国境沿いの山中で国防志願軍(ファシスト軍)に逮捕され、

今年は、原爆文学を読んだ。

 今年は、といってもまだ一ヶ月近い時間を残してはいるのだが、読書に関して言えば、振り返ってみれば、所謂「原爆文学」を中心にした言語体験だった。今年の自分自身を総括する意味で、いったいどんな「原爆文学」を読んできたのか、煩

「芦屋芸術九号」が出来ました!

 やっと「芦屋芸術九号」が出来ました。「やっと」というのも、四年前の六月十一日に八号を出したきり、ボクの個人的な事情で、休刊状態でした。    「芦屋芸術九号」 著者=藤井章子、山中従子、山下徹 発行所=芦屋芸

國分啓司の「おむすび坊や」を読んだ。

 先夜、北野辰一の紹介で國分啓司を交えて三人で飲み食いを楽しんだ席で、國分から彼の作品の原稿のコピーをいただいた。「おむすび坊や」という作品だが、いい作品だった。未発表作品なのでこれ以上言及するわけにはいかないが、こんな

ヴィーゼルの「夜」

 この本の著者は、トランシルヴァニアのシゲトという小都市でユダヤ人の商人の息子として一九二八年九月三十日に生まれている。一九四四年にナチスドイツはこのシゲトに二つのゲットーをつくり、シゲトに住むすべてのユダヤ人を隔離し、

小倉豊文の「ヒロシマー絶後の記録」

 高村光太郎はこの本の序でこんなふうに書いている。   「この記録を読んだら、どんな政治家でも、軍人でも、もう実際の戦争をする気はなくなるであろう。今後、せめていわゆる冷たい戦争程度だけで戦争は終わるようになっ

「芦屋芸術」の夜

 昨夜七時頃、阪神芦屋駅前の喫茶店「西村」でボクは北野辰一と落ち合った。彼は友人の若い男を連れていた。若い男、國分啓司という男だが、来年発行する「芦屋芸術十号」に寄稿したい、とそういうことで、ボクラ三人はあれこれとりとめ

金井利博の「核権力ーヒロシマの告発」

 平和運動を持続させる、その運動を日常生活の一部として一日一日を送る、それは至難のわざであろう。ボクなどは、平和で楽しい時間を過ごすのはとても好きだが、民衆をかえりみない国家権力によって抑圧されたり破壊されたりした人々の

しし座流星群の話

 きょうは小雨が降っているか、少なくとも曇っているだろうと思っていたが、午前四時頃に起きて、念のため玄関を出て夜空を見上げた。天気予報を裏切って、驚いたことに、下弦に近い月とオリオンがボクの眼前に輝いていた。  きょう、

蜂谷道彦の「ヒロシマ日記」

 先日読んだ福永武彦の小説「死の島」では、広島の原爆で被爆した主人公の女性は自分の被爆体験から一歩も外へ出ることが出来ず、心の内部では破滅した広島の市街を原風景にした虚無の世界に住み、遂に同居している女友達を道連れにして

福永武彦の「死の島」

 ボクは初めて福永武彦の小説を読んだ。何故今まで読まなかったかという理由は後ほど書くことにして、読むに至った理由は、今年の一月からずっと読み続けている所謂「原爆文学」のおかげで、この小説を読むことが出来た。  

リストカットは、止めることにした。

 きのう、午後一時、阪急芦屋川北側の小公園でボクラは落ち合った。彼、北野辰一はジーパンのラフな姿で現れた。二日前に誘われて、これから彼の親友、山村雅治が主宰する「松山庵グレデンザSPレコードコンサート」へ行く約束をボクは

金曜日の夜は、北野辰一と飲んだ。

 午後四時前に、阪神芦屋駅前の喫茶店「西村」で北野辰一と落ち合った。あらかじめフェイスブックで彼の風貌は確かめていたので、すぐに彼だと知れた。  コーヒーを飲みながら、なんだか話がすみやかに転々して、結局、いったい何を話

「芦屋芸術九号」を出版します!

 気が付けば、「芦屋芸術八号」を出してからもう四年以上の歳月が消えていた。言うまでもなく、余りにも個人的な事情だが、ボクのワイフ、えっちゃんを喪ってから、ボクはずっと人間的バランスを崩していた。  そんな状態にもかかわら

ポツン

 台風の影響で、夕方の五時前からどしゃぶりになり、辺りはもう薄暗くなっていた。けれど、六時過ぎになってふいに雨は止み、雲が切れ出した。その間から、月が見えた。  今夜はきっと月の左側に木星が寄りそっているはずだ。ボクは濡

「詩集 龍の看取り」が出版されました!

岩倉律子さんの第一詩集が出来ました。この世を去ることの苦しみ、悲しみ、言いがたい辛さ、そして同時にまたこの世にあることへの感謝が、満ちあふれた言葉の森です。ぜひ、手にとってみてください。    詩集 龍の看取り

北野辰一の「戦後思想の修辞学」

 ボクはわけあって今年の一月から所謂「原爆文学」を中心の読書生活をしているが、ごく最近のこと、井上光晴の「地の群れ」と小田実の「HIROSHIMA」の読書感想文めいたものを「芦屋芸術」のブログに書き終わった時、突然、この

小田実の「HIROSHIMA」

 この本は、所謂「原爆文学」といわれる作品の中では比較的新しく、ジョウという牧場で働いていたアメリカの男が、第二次世界大戦で召集され米軍の空軍に入隊、ヨーロッパ戦線でヒトラーがバンザイした後、日本にトドメを刺すべく爆撃機

大庭みな子の「浦島草」

 ひとくちに欲望といっても、食欲、性欲、金銭欲、権力欲、知識欲、名誉欲、快適生活欲、健康長寿欲などいっぱいあって、また、物欲といっても人間って各自さまざまなものをあれこれ物色するので、欲望とは何かを簡単に誰にでもわかるよ

星と海に助けられた。

 また、胸苦しくなって、わけもなくいかりがこみあげて来て、夜の八時頃、芦屋浜に出た。  うろこ状の雲がたくさん浮いていて、余り期待はしていなかったが、それでも雲の間から、南西の空に木星、その右下にさそり座の赤いアンタレス

大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」

 ひょっとして人は、あるのっぴきならない出来事によって、自分の本来の姿を発見するのかも知れない。そして、その本来の姿を心の奥に大切におさめて、ふたたび生活を始めるのかも知れない。    「ヒロシマ・ノート」 大

中秋の名月に、会えなかった。

 きのう、九月十三日、中秋の名月の日は、未明から雨が降っていた。朝方にはその雨も絶え、一日中、どんよりしている。だが、それでも、夜の七時前、ボクはそそくさと芦屋浜へ出た。コンクリートの階段になっている堤防に座り、空を見上

小林誠の「古事記解読」

 おもしろい本だった。読んで、よかった、そう思った。この本の研究対象としている範囲は、古事記の中でも、まず「天地初發之時」から既に鉄器の文化圏であった神倭伊波礼毘古命(カミヤマトイワレビコノミコト)が南九州から東征して銅

恋の終わり

 芦屋浜まで行って、いま、帰ってきました。七時過ぎに家を出て、帰ってきたら、もう八時を過ぎていました。  誰もいない浜では、南の空で上弦の月と木星が寄りそって、その右斜め下方にさそり座の赤いアンタレスが輝いていました。ず

九月、玄関先の冬の闇。

 午前四時前、雲の多い日が続いて、急に驟雨が走っていた空が、すっかり晴れていて、ダイニングのベランダの軒下からシリウスが見えた。眼鏡をかけ、門灯を消し、玄関から闇へ出た。  オリオン! そして、シリウス、プロキオン、ベテ

山口勇子の「おこりじぞう」

 「わらいじぞう」がどうして「おこりじぞう」になってしまったのか? そのいきさつを書いたのがこの物語です。  ボクは生まれて初めてこの物語を読みました。が、この本の巻末に書かれた作者の解説を読んでいると、小学生の教科書に

津田文子の詩集「夢のような月日が流れて」

 これは津田さんの第三詩集だが、もうずいぶん昔に、第二詩集を読んでいる。このたび出版された第三詩集を読んでいて、ふと懐かしく、津田さんの第二詩集を書棚から抜き出した。    「きょうが逃げていくようです」 津田

夏を忘れる

 この二三日、夜明け前は涼しくて、すっかり夏を忘れてしまう。  午前五時前、我が家の玄関から門までの小さな空間に、ほとんど藍色に近い、薄い闇の空がある。  日の出前の東空にオリオンが最後の光をつつましやかに置き、その下の

いいだももの「アメリカの英雄」

 この小説は、一九四五年八月六日および九日、ヒロシマ、ナガサキに原爆を投下したパイロットが、終戦後、アメリカ本国にスーパー・パイロットとして、すなわち、本土決戦を断念させて日本を無条件降伏に追い込んだアメリカの英雄として

未明の火

             未明。ダイニングの東窓に於いて、              息をひそめて、待っていた。   青い 円形の たましいと たましいが かさなりあって 上下に動いた   そして ひ

岩倉律子詩集「龍の看取り」を出版します!

 岩倉さんは、主に「罫」、「ら」、「サルトビ」などに作品を発表してきましたが、このたび、「芦屋芸術」からそれらの詩業を一冊の詩集にまとめて発表することになりました。    「詩集 龍の看取り」 岩倉律子著 発行

夏の終わりが来た!

  午前四時前、我が家のダイニングのシャッターをあげると、軒下と隣家の屋根の間、東の低い空にオリオンが輝いていた。  あわてて、門を出た。近くの親水公園の方までトロットで急ぐ。  薄い雲が切れて、アルデバランもエルナトも

木星が綺麗だった。

 ずっと天候不順だったが、昨夜八時ごろ、空が晴れていたので、久しぶりに芦屋浜へ出た。  南の空に木星が、明るく、強く輝き、その右方、さそり座のアンタレスが赤い。  頭上にベガ。南東にアルタイル。北東にデネブ。夏の大三角が

井上雅博の「この空の下で」

 言うまでもなく、いかに悲惨な戦争によって身体に障害を残し、あるいは屈辱的な精神の打撃を被っても、終戦後、その心とからだを引きずりながら、おのれの生命の火が消えるまで、人は生を営まなければならない。    「こ

高橋和巳の「憂鬱なる党派」

 この物語の背景を大ざっぱに言えば、戦前、現人神としての天皇をピラミッドの頂点とする軍国主義によって海外侵略した神国日本が、言うまでもなくその神国は明治の日清戦争以降第一次世界大戦まで不敗神話が確立していたが、残念ながら

新詩集「詩篇えっちゃん」が出来ました!

 久しぶりに詩集を作りました。ボクのワイフ、えっちゃんが亡くなってこの七月十九日で五年になります。その日を発行日にしました。    「詩篇えっちゃん」 山下徹著 芦屋芸術 2019年7月19日発行 定価千円(税

井上ひさしの「父と暮せば」

 この戯曲は、広島に住む父子の家庭が原爆に被爆、倒壊した家屋に下敷きになった父を猛火の中で救えず自分だけが避難して生き残った二十歳の娘が、三年後、恋人に出会い、はたして「父を捨てて生き残った」自分が幸福な生活を選ぶことが

堀田善衛の「審判」

 この物語は、一九五九年の社会状況の中で、保守的な大学教授とその妻、その子供たち兄弟姉妹四人、その母方の叔父、彼は戦前、中国の戦線で兵士として民間人の老婆を虐殺している、この彼等家族が住んでいる家に、米国からやって来た男

山口勇子の「荒れ地野ばら」

 この物語は、広島市にある清栄女学院で同じクラスになったふたりの女性、野田槇子と堀井芙由、彼女らはふたごと間違えられるくらい似かよっているのだが、このふたりが、一九三五年から一九四五年の十年間、いったいどのような世の中を

芦屋浜・夜

 このところ雨や曇った日が続いていたが、きょうは昼間晴れていたので、待ちかねて、夜の八時半頃、ボクは芦屋浜へ出た。我が家の周辺は街灯で明るく、暗い浜辺で空を見上げるのが、綺麗だ。  満月と木星が近づいて愛を語り、その右側

松谷みよ子の「ふたりのイーダ」

 歩きながらおしゃべりする椅子が主人公である。この主人公に、小学校四年生の直樹と二歳十一ヶ月の妹のゆう子、それからおそらく二十五歳前後のりつ子、この三人がからみあって物語が展開する。    「ふたりのイーダ」 

井上光晴の「地の群れ」

 ワイフを喪ってからおおよそ五年間、ボクはテレビをまったく見ていない。もともとボクはテレビッ子ではなかった。ワイフが存命中の時でもせいぜいニュースを少し見る程度。そのうえ、今はネットがあるので見たいニュースだけクリックす

永井隆の「この子を残して」

 この書は、長崎の原子爆弾で妻を失い、自らも被爆して余命いくばくもない父が、疎開させていて被爆しなかった二人の子供の戦災孤児としての行く末を危ぶみ、筆をとったものである。将来、子供たちが成長した時、父の真実の思いを知って

新詩集「詩篇 えっちゃん」を出版します‼

 ボクのワイフ、えっちゃんが永眠して、この七月十九日で五年になります。  彼女が亡くなって、なんとかボクは「芦屋芸術」のホームページは維持してきましたが、もう四年間、一冊の本も出せず、「芦屋芸術」も八号止まり。  だが、

永井隆の「ロザリオの鎖」

 一九四五年八月九日の長崎に投下された原爆で、自宅にいた妻を失い、著者自身も長崎医科大学の自室で学生の外来患者診察の指導のためのレントゲンフィルムを選別していた時に被災、傷病をかかえたまま救援活動に徹した記録は著者の書い

永井隆の「長崎の鐘」

 この著作も、原爆の被爆者が書いた他の所謂「原爆文学」と同様に、片岡弥吉の序文によれば、既に一九四六年八月に脱稿していたが、占領軍司令部の発行差し止めにあう。その後、一九四九年一月、日本軍が行った「マニラの悲劇」を付録と