午後零時過ぎ きょうも散歩に出た 朝から曇ってどんよりしていて もうここまで梅雨が来たのだろうか 親水公園を抜け 芦屋浜の東屋から 砂浜をたどり 浜辺に立った 水際でカラスの群れが遊んでいる 何羽も波を浴びて水浴を楽しん
十年 一昔だった
真昼の 暑い盛りに きょうも 芦屋浜から 総合公園に入った 中程に ビオトープへ向かう 道がある 人工の細流があって 小さな石橋がかかっている 昔は ジャックと 彼女がそばにいて 確かに小さいけれど とても晴れやかな場所
ヘンリ・ミラーの「北回帰線」を読む。
最近私はM・ミオ―&J・ランジュの「娘たちの学校」、ジョン・クレランドの「ファニー・ヒル」を読んだので、そう言った流れの中でこの本を読んだ。 「北回帰線」 ヘンリ・ミラー著 大久保康雄訳 新潮文庫 平成
六月の赤トンボ
真昼時 曇天の下 いつものように 芦屋浜から 総合公園を散歩した ムクドリが飛び交い カラスやスズメがはしゃぎまわって 木々も 芝生も 雑草も いちめん 六月のみどりに塗られている 西公園の池には コイが泳ぎ 今年初めて
わざわざ
ボクを慰めるために ボクの心の中まで 言葉がやってきた わざわざ ボクを慰めるために ボクはそれをノートに写した
不帰
チャリリン という音がした 耳をかしげた いったいなんだろう そのまま 首をかしげていた 午後三時から 夕暮れまで 音は二度と帰らなかった
亀と日曜日
きのう、土曜日に亀の池を掃除する予定だった。けれど、きのうのブログに書いた作品「男やもめ」の通り、午前三時ごろに起きて作品「診察室第三夜」を書いた後、五時前後からぶっ倒れて寝込んでしまった。 従って、まだ体は本調子で
歳月の過失
あちらこちらの街角や路地を歩いていた。果物屋の前を通り過ぎるとき、二人の男女が店先でしゃがんで、顔を彼の方へもたげている。男が立ち上がって中腰になり、女を指さしながら彼に話しかけてきた。 「この子があなたと一緒になりた
男やもめ
Ⅰ六月十五日朝五時過ぎ こんなことがあった めまいがして 倒れて 意識が 離れてしまった 夢だけになってしまった 帰れなかった Ⅱ朝八時過ぎ &nb
診察室 第三夜
(博士が語る) これはこれは。昨夜は眠れましたか。えッ? 眠れない? そいつはいけませんなあ。一日十時間、いや、それ以上に充分睡眠をとらなきゃあ。脳ミソがパサパサになって、粉末状に、つまり黄な粉になって荒れ狂いますよ。
「芦屋芸術二十号」が出来ました!
「芦屋芸術二十号」が出来ました。内容は以下の通り。 contents <招待作品> ほのかに薫る花冷えの回遊 藤井章子 5 人間性の回復
旅行に行っている
こころがなくなるより からだがなくなるほうが もっとつらい だから こんなふうに思えばいい まだ あなたは生きている きょうは 旅行に行っている *真昼の炎天下、午
浮かんでいた
ふたりのときは なにも浮かばなかった ひとりになってから 浮かんでいた いっぱい あふれるくらい あなたと遊んだ さまざまなときが *きょうのお昼、零
財布
薄暗い長い橋を渡って、この料亭で酒を飲み、支払いの段になってから、会議があったホテルのロッカーに上着をかけっぱなしだったのを彼は思い出した。上着の内ポケットに財布が入っているのだ。店に事情を説明して、灯りに浮かんだ階段
告知日
孤独なのか 悲しみなのか わからなかった わからなかったけれど きょうも 歩いていた *きょうは真夏日に近い暑さだった。午後零時過ぎ。散歩の途中、親水公園の木陰に立って真昼の空を
診察室 第二夜
(博士が語る) 君はなんだなあ、結局、夢を見ているんだ、夢を。 夢を見るのはいい。だが、君のように、夢を生きちゃあ、ダメだ。わかるかい? そうだろ? ベッドから起きて寝間着姿で長靴を履いて、近所の公園で遊ぶなんて。君
診察室
(博士が語る) 正常値なんてないのではないか。すべては大なり小なり狂っているのではないか。だって、もし正常値があるなら、いつの時代でも同じ正常値、同じ常識だけで生きていけるのであってみれば、人間の世界は苦のない世界、楽
激流になるまで
楽しい一夜を過ごした。そういえばこんな夜は久しぶりだった。酒もなかった。女もいなかった。ひとりぼっちだった。まわりは闇が囲んでいた。しかし、幸せだった。水の音がした。その音は、彼を拒絶するのではなく、和解しようとしてい
亀と蚊取り線香
普段から毎日家で酒を飲んでいるが、誰かに誘われない限り、滅多に一人で飲み歩くことはない。誘いの手が、この火曜日と木曜日にやって来た。夕方六時頃から、はしごして、午前零時頃まで飲んだ。 きのう、金曜日は午前中だけいつも
白昼夢
夢の中を列車が走っていた 運転手の姿が見えないので きっと おもちゃの電車だ そんなことを 考えながら 列車の座席に座っていた 大きな黒犬を連れた女が 通路を左から右へ歩いて 消えた 悲鳴が聞こえた あの女の声に違いな
唇に耳
破綻したのか 叫んでも 無音 壊れてしまったのか
来世
なにがなんだかわからなくなってきた 冷蔵庫に生ハムを入れておいたのに 子ブタが座っていた ボクの左手の人差指をくわえた 一気にのみ込んだ 大きくなって 冷蔵庫が破壊された モウと鳴いた 牛が立っていた そうか ボクの来世
書けない?
しばらく自問自答していた。書かないか、書けないか、あるいはもう書きたくもないのか、いったいどうしたというのだろう。ここ数日来、彼の頭には言葉が浮かばなくなった。不毛な自問自答だけが流れ続けていた。頭の中はもう空っぽだ。
芦屋ビーチクラブ その39
今朝のビーチには驚いてしまった。漂流物、つまり浜は流れ着いたゴミだらけ。大きな流木もある。八時から一時間くらいの清掃作業ではとても原状回復は無理。 それでも自分たちの出来ることはすべて、やりきった。メンバー、みんな、
亀と植木屋
昨夕、友人から電話があり、いつものスナックで落ち合った。帰宅したのは十一時半ごろだった。明日は朝八時ごろ我が家の庭の剪定に植木屋さんがやってくる予定だった。といって、もうほとんど明日になっているのだが。 朝、五時過ぎ
後藤光治個人詩誌「アビラ」18号を読む。
個人詩誌を運営していくのは、詩作品を発表する喜びだけではなく、詩を中核にした心の全体像へ接近する喜びもあるのではないだろうか。それは丁度、一方の皿に個人詩誌を発行する労力と費用と苦悩が乗せられていて、危ういバランスが取
「現代詩2024」を読む。
私は所謂「現代詩」と呼ばれている作品を三十代半ばあたりから余り読んでいない。従って、日本現代詩人会から送られてきたこの本に掲載されている詩をすべて読ませていただいた。 「現代詩2024」 編集・発行/日
時間への後悔
頭が言った 侮辱するな 足が答えた ごめんなさい 尻が鳴った ほんとにごめん 不満が噴き出した 脇が濡れて ほっぺがふくらんだ時 思わず平手打ちした ちょっと待て 私はその手の指を見つめ
脳、それは超自然物体だった。
脳は上がってゆく すいすいしている 果てはない 脳よ お前は超自然物体だ 脳は 既に無数 それぞれの脳は 固有の宿命を生きた だから かつて無数の宿命が存在した そして今もなお上がってゆく 宇宙にちりばめられた無数の宿命
「季刊イリプスⅢrd07号」を読む。
この文芸誌を松村さんから頂いた。私はこの4月の末に縁あって松村さんが経営している出版社澪標から「散乱詩集 一日、一詩。」という詩集を出したが、私の詩集の広告がこの文芸誌に掲載されているので送ってくれたのだろう。この文芸
危ぶない
これ以上 行き場がない 空間 空間であって もはや空間でない どんづまり 何も浮かばない 時折 ミシ ミシ という どこか 破れているのか 破れ目から 何かがやって来るとでもいうのか
芦屋ビーチクラブ その38
きょうは五月最後の日曜日。芦屋浜の清掃の日。 思ったよりゴミの漂着は少なかった。そのぶん、タバコの吸いガラが目立つ。おそらく暖かくなってきて、海を見つめ、タバコを一服。ステキな気晴らし。そして足もとに吸いガラ。愛煙家
亀、ジャックの月命日。
朝八時過ぎから、亀の池の掃除。五月最後の土曜日だが、晴れわたっていて、まるで初夏の朝。 きょうは愛犬ジャックの月命日。亡くなって七年七ヶ月になる。そんな思い出を胸にして、作業を終え、亀さんと二十分くらい庭で遊んだ。
闇へ落ちる
こころと からだというが からだが すべてだった あなたのからだが ここにないから わたしは 闇へ落ちた むしろわたしが死んだほうがよかった
生きている穴
死が近づいてきた ボクの中を通り過ぎた 裏側へ出た 無数の穴 みんな生きていた
たけにしよしかず個人誌「季刊ぽとり」第68号を読む。
この5月11日に開催された日本詩人クラブ関西大会は大阪キャスルホテルが会場となったが、大会終了後の懇親会、それは夕方の五時半ごろから始まった。その折、初対面ではあるが同じ食卓に同席した竹西さんからこんな詩誌を頂戴した。
詩誌「リヴィエール」194を読む。
出版社「澪標」の松村さんに誘われて、日本詩人クラブ関西大会へ参加した。その席上で、永井ますみさんと出会った。郵送で詩誌の交換はしているが、会うのは初めて。直接手渡しでこの詩誌を戴いた。 「リヴィエール」
「別冊關學文藝」第六十八号を読む。
小説、短歌、詩、エッセイなど、さまざまな作品で構成されているこの文芸誌を読んだ。 「別冊關學文藝」第六十八号 編集人/浅田厚美 発行人/伊奈忠彦 2024年5月10日発行 読みごたえがあっ
ジョン・クレランドの「ファニー・ヒル」を読む。
この小説は周知のとおり一七四八年に獄中で書かれ、その年に第一部、翌年に第二部が発行されたが、猥褻文章として発禁処分となった。その後百年以上にわたって再販が認められなかった本である。 「ファニー・ヒル」
亀と遊ぶ。
けさは快晴で、八時ごろから亀の池の掃除を始めた。作業をやっていると、汗ばんでくる。 亀はよく遊んだ。あちらこちら歩き回った。冬眠から目覚めて二か月近くになって、ごはんもそれなりに食べ、動きも見違えるようになった。
ある発生論
しばらく命とそれに応答する身体について論じてみよう。この学説は、ちょうど三日前の夜、シャワーを浴びてくつろいでいた際、突然ひらめいたものである。 爪が伸びるというのは 生きている証拠だ。 爪を切るとい
芦屋芸術二十号を出版します!
芦屋芸術二十号を七月一日に出版します。編集・校正の作業は終了し、後は印刷会社へ送るだけです。 内容は以下の通りです。 contents <招待作品> ほのかに薫る花冷えの回遊
ふとんの中へ
水が 届いてくる ふとんの中まで ひとすじ 流れて 流し台から落ちていたり やかんに溜まっていたり 耳をそばだてれば 家じゅう あちら こちら 水音が聞こえてくる 今夜は なぜか
もうちょっとだけ
あと三十分だけ やらせて そしたら はいっていく 森の中へ だから あと三十分でいいの ねえ やらせて ね ちょっとだけ
宙に浮かぶ魚
二日前には人差指が宙に浮かんでいたが、きょうは魚が浮かんでいた。ダイニングテーブルの左端辺りから一メートルくらいの高さの空間だった。別に泳いでいるわけではなかった。魚の種類には疎い私でよくわからなかったが、背中が濃い灰
芦屋ビーチクラブ その37
きのう、土曜日、午後から大阪で日本詩人クラブの大会に参加して懇親会も終わり阪神芦屋駅に帰って来たのは午後八時前。チョット飲み足りない。そのままリーザへ。ここはカラオケスナック。お店の終了時間、夜十二時まで。後はタクシー
指先から
もうその方向に逆もどりは出来ない 一方通行だった 背後に足跡と靴音を残して 今は こんな赤い袋の中から 青空を見あげている やがて足跡も靴音も途絶えた すべてが消えていた ただ 眼前に 未来へ向かって 人差指だけが一本
レーモン・ルーセルの「ロクス・ソルス」を読む。
ずいぶん昔に買った本だが、いまさら手にして開いてみて、私はこんな感慨を持たざるを得なかった。この本を最後まで読んだ人は、この日本に現在何人いるのだろうかと。 「ロクス・ソルス」 レーモン・ルーセル著 岡
黒い泡
こうしてふたりは離れてゆくのだろうか 手ぶらのままで すべてを忘却して 右足さえ残さず くちびるから浮かぶ この黒い泡とともに
右足
しんなりした てのひらが 踊っていた 水の中 すいすい していた 底の方から くちびるが ねっちゃり 浮かんできた 開いていた ふくふく 噴き出した ふくふく ふくふく 連続音が ふとんに寝ころんでいた わたくしの耳もと