芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「芦屋芸術十五号」が出来ました!

 本日、「芦屋芸術十五号」が出来ました。内容は以下の通りです。     カアカアと、このひとときを(続)   詩画集 原始の領域から   暗中を模索する その4    以上、三篇を収録しています。執筆

親水公園にて その18

あの女に 手紙を書いていた   炎天下 毎日 公園を歩きながら   頭の中で何度も書いていた そして 何度も消していた     *真昼、親水西公園の池のほとりに立って、終わりゆく夏

親水公園にて その17

愛は 言葉ではなかった   鯉も そうだった     *午後六時ごろ、親水西公園の池の鯉をスマホで撮った。まだ空は明るく、辺りは澄みわたり、この夏初めての涼しくてひたひたした夕暮れだった。も

サルトルの「方法の問題」

 先日読んだデヴィッド・クーパーの「反精神医学」、ロナルド・D・レインの「自己と他者」、この論述を読んでいて、彼等より十五年前後人生の先輩の哲学者の名前が出てきた。おそらく彼等が家族という存在を思索する導きの糸として影響

親水公園にて その16

芦屋の海に近い公園の片隅で 私は片隅なりの詩を書いている   好きなら 好きだ きれいなら きれいだ そう書いている   雲や木や風 そこに生きるあの女とお話しをする それが片隅の詩だ  

亀と三十三年半、反復した!

 雨が朝方に止んだので、曇天の下、七時過ぎ、亀の池の掃除を始めた。  池を洗っている間、きょうはなぜか私の足元にくっ付いて彼は離れようとしない。作業も後半になって、やっといつものように庭中あちらこちら散歩しだした。今度は

何故

 どうして二派に分かれて争っていたのか、私にはわからなかった。ただわかっていることは、投石や火炎瓶が渦巻き、見知らぬ暴徒が殺到する中で、私自身も争い続けていたのだった。  夜の街、いや、あれを夜の街というのか、だだっ広い

野間明子の「襤褸」

 友人山中従子の縁で、こんなステキな詩集を読むことが出来た。    「襤褸」 野間明子著 七月堂 2022年7月17日発行    この詩集の特徴は、昔綺麗な濃い空色だった薄紙がいまや変色して灰色に汚れ

親水公園にて その14

親水公園の 木立の奥から あの女が浮かんで 両脚は定かでないが こちらに向かって 笑みを描いて やって来る   狂っているのか     *夜来の雨は朝方にはあがって、降りそうでいて降らない、

親水公園にて その13

不幸を 幸福に変えることはできない だけど 不幸を表現することはできる   そのことをまた 再確認していた しばし橋の前で 空を仰いでいた     *もう夏の終わりが近づいたのか、朝から激し

R・D・レインの「自己と他者」を読む。

 先日読んだ「反精神医学」の著者デヴィッド・クーパーと反精神医学運動を共にしたこの人の本を開いてみた。    「自己と他者」 R・D・レイン著 志貴春彦、笠原嘉訳 みすず書房 2000年5月19日第22刷 &n

親水公園にて その12

 この夏は例年になく暑い日が続いた。それでも真夏日や猛暑日の真昼時、わたくしは毎日親水公園を抜けて芦屋浜まで歩いている。浜の東北端のあずまやから海と空と雲をみつめている。右後方には、入道雲を背後にして六甲山が立っている。

亀さん、現行犯逮捕!

 けさ、七時半ごろから、亀の池の掃除を始めた。ご飯の食べ残しや、彼の汚物、夏の炎天下、一週間前後にわたる水の腐敗。ポリエチレンの池の壁面や底砂をキレイにととのえるのに、毎回、おおよそ四十分を費やしている。その間、亀は自由

いのちの火

まだ燃えていた あなたがいて また もうあなたがいない場所には 骨だけが残り 座っていた 笑っていた 確かに まだ燃えている わたしのこころと あなたの骨が 未明 輝きあって 重なりあって やわらかく開き ついに ふたつ

クーパーの「反精神医学」を読む。

 先日、「臨床精神薬理」第25巻4号(星和書店、2022年4月10日発行)を読んだ。また、その読書感想文を「芦屋芸術」のブログに私は書いた。結論から言えば、所謂「統合失調症」という病の原因は不明だった。あれこれ推論はある

亀と白いキキョウ(続続続)

 朝方、豪雨がやって来た。しかし私は、この土曜日の午前中に二つのお願いを胸に秘めていた。  一つのお願いは、週に一回やっている、庭の池の掃除をやりたかった。もう一つのお願いは、洗濯だった。九時前にはパラつく程度の空模様に

親水公園にて その6

夏の 朝 かよいなれた小径 ここでは 雑木と風と蝉が交響してる   ソレは サーミン ザワミン ザクミン だ     *写真は、朝九時過ぎ、親水中央公園から親水西公園へ向かう小径。

親水公園にて その5

この道を 十九年間 ほとんど毎日歩いた   十一年間は ふたりで 残る八年は ひとりだった     *朝九時過ぎ、我が家の南、親水公園の散歩道をスマホで撮った。芦屋浜にもこの道を歩いて出た。