個人詩誌を運営していくのは、詩作品を発表する喜びだけではなく、詩を中核にした心の全体像へ接近する喜びもあるのではないだろうか。それは丁度、一方の皿に個人詩誌を発行する労力と費用と苦悩が乗せられていて、危ういバランスが取
後藤光治個人詩誌「アビラ」18号を読む。
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芦屋芸術は詩・小説・文学・音楽・絵画・・・etc 同人誌の発行とWEBでの表現を応援する芸術コミュニティサイトです。
個人詩誌を運営していくのは、詩作品を発表する喜びだけではなく、詩を中核にした心の全体像へ接近する喜びもあるのではないだろうか。それは丁度、一方の皿に個人詩誌を発行する労力と費用と苦悩が乗せられていて、危ういバランスが取
私は所謂「現代詩」と呼ばれている作品を三十代半ばあたりから余り読んでいない。従って、日本現代詩人会から送られてきたこの本に掲載されている詩をすべて読ませていただいた。 「現代詩2024」 編集・発行/日
頭が言った 侮辱するな 足が答えた ごめんなさい 尻が鳴った ほんとにごめん 不満が噴き出した 脇が濡れて ほっぺがふくらんだ時 思わず平手打ちした ちょっと待て 私はその手の指を見つめ
脳は上がってゆく すいすいしている 果てはない 脳よ お前は超自然物体だ 脳は 既に無数 それぞれの脳は 固有の宿命を生きた だから かつて無数の宿命が存在した そして今もなお上がってゆく 宇宙にちりばめられた無数の宿命
この文芸誌を松村さんから頂いた。私はこの4月の末に縁あって松村さんが経営している出版社澪標から「散乱詩集 一日、一詩。」という詩集を出したが、私の詩集の広告がこの文芸誌に掲載されているので送ってくれたのだろう。この文芸
これ以上 行き場がない 空間 空間であって もはや空間でない どんづまり 何も浮かばない 時折 ミシ ミシ という どこか 破れているのか 破れ目から 何かがやって来るとでもいうのか
きょうは五月最後の日曜日。芦屋浜の清掃の日。 思ったよりゴミの漂着は少なかった。そのぶん、タバコの吸いガラが目立つ。おそらく暖かくなってきて、海を見つめ、タバコを一服。ステキな気晴らし。そして足もとに吸いガラ。愛煙家
朝八時過ぎから、亀の池の掃除。五月最後の土曜日だが、晴れわたっていて、まるで初夏の朝。 きょうは愛犬ジャックの月命日。亡くなって七年七ヶ月になる。そんな思い出を胸にして、作業を終え、亀さんと二十分くらい庭で遊んだ。
こころと からだというが からだが すべてだった あなたのからだが ここにないから わたしは 闇へ落ちた むしろわたしが死んだほうがよかった
死が近づいてきた ボクの中を通り過ぎた 裏側へ出た 無数の穴 みんな生きていた
この5月11日に開催された日本詩人クラブ関西大会は大阪キャスルホテルが会場となったが、大会終了後の懇親会、それは夕方の五時半ごろから始まった。その折、初対面ではあるが同じ食卓に同席した竹西さんからこんな詩誌を頂戴した。
出版社「澪標」の松村さんに誘われて、日本詩人クラブ関西大会へ参加した。その席上で、永井ますみさんと出会った。郵送で詩誌の交換はしているが、会うのは初めて。直接手渡しでこの詩誌を戴いた。 「リヴィエール」
小説、短歌、詩、エッセイなど、さまざまな作品で構成されているこの文芸誌を読んだ。 「別冊關學文藝」第六十八号 編集人/浅田厚美 発行人/伊奈忠彦 2024年5月10日発行 読みごたえがあっ
この小説は周知のとおり一七四八年に獄中で書かれ、その年に第一部、翌年に第二部が発行されたが、猥褻文章として発禁処分となった。その後百年以上にわたって再販が認められなかった本である。 「ファニー・ヒル」
けさは快晴で、八時ごろから亀の池の掃除を始めた。作業をやっていると、汗ばんでくる。 亀はよく遊んだ。あちらこちら歩き回った。冬眠から目覚めて二か月近くになって、ごはんもそれなりに食べ、動きも見違えるようになった。
しばらく命とそれに応答する身体について論じてみよう。この学説は、ちょうど三日前の夜、シャワーを浴びてくつろいでいた際、突然ひらめいたものである。 爪が伸びるというのは 生きている証拠だ。 爪を切るとい
芦屋芸術二十号を七月一日に出版します。編集・校正の作業は終了し、後は印刷会社へ送るだけです。 内容は以下の通りです。 contents <招待作品> ほのかに薫る花冷えの回遊
水が 届いてくる ふとんの中まで ひとすじ 流れて 流し台から落ちていたり やかんに溜まっていたり 耳をそばだてれば 家じゅう あちら こちら 水音が聞こえてくる 今夜は なぜか
あと三十分だけ やらせて そしたら はいっていく 森の中へ だから あと三十分でいいの ねえ やらせて ね ちょっとだけ
二日前には人差指が宙に浮かんでいたが、きょうは魚が浮かんでいた。ダイニングテーブルの左端辺りから一メートルくらいの高さの空間だった。別に泳いでいるわけではなかった。魚の種類には疎い私でよくわからなかったが、背中が濃い灰
きのう、土曜日、午後から大阪で日本詩人クラブの大会に参加して懇親会も終わり阪神芦屋駅に帰って来たのは午後八時前。チョット飲み足りない。そのままリーザへ。ここはカラオケスナック。お店の終了時間、夜十二時まで。後はタクシー
もうその方向に逆もどりは出来ない 一方通行だった 背後に足跡と靴音を残して 今は こんな赤い袋の中から 青空を見あげている やがて足跡も靴音も途絶えた すべてが消えていた ただ 眼前に 未来へ向かって 人差指だけが一本
ずいぶん昔に買った本だが、いまさら手にして開いてみて、私はこんな感慨を持たざるを得なかった。この本を最後まで読んだ人は、この日本に現在何人いるのだろうかと。 「ロクス・ソルス」 レーモン・ルーセル著 岡
こうしてふたりは離れてゆくのだろうか 手ぶらのままで すべてを忘却して 右足さえ残さず くちびるから浮かぶ この黒い泡とともに
しんなりした てのひらが 踊っていた 水の中 すいすい していた 底の方から くちびるが ねっちゃり 浮かんできた 開いていた ふくふく 噴き出した ふくふく ふくふく 連続音が ふとんに寝ころんでいた わたくしの耳もと
来る日も来る日もわたくしは真昼になると近所の公園を通り抜け、芦屋の海辺を散策している。五月に入り、真夏日かと思われる日もあり、炎天下、たとい帽子をかぶっているとはいえ、頭の中では陽炎に似たゆらめきが立ちこめている。
家事は終わった。庭掃除のとき、雑草が目につき、あちらこちらそれをむしっていたため、いつもより遅くなってしまった。雨の気配がする中、朝九時前から、予定していた亀の池の清掃に取り掛かった。 余談になるが、きょうは連休の最
真っ暗な高速道路を軽乗用車で突っ走っている。夕刻になって冷蔵庫がほとんど空なのに気づき、あわてて晩御飯の食材を求めて彼は飛ばしているに違いなかった。しかしわざわざ真っ暗闇を走る危険を冒して高速道路のサービスエリアを探し
きょうは五月五日。こどもの日。日曜日。快晴。朝八時から芦屋ビーチクラブの活動開始。 浜の水際数メートルまであちらこちら雑草が。少し目に立つほどにまで伸びて。その雑草抜きをした。浜の雑草は根が深い。園芸用スコップで掘り
<原因> 酩酊して じっと椅子に座ってると 頭の中に どっと言葉が出て来た <結果> 脳に死 ごめん 詩が 陳列されていた 無音のまま
終わった きょうは もうすぐ あしたが来る このベッドで 一寝入りしている間に いや ひょっとしたら このベッドの上で あの世が来るのかも
すべては体内へ復帰する こんな一行が頭に閃いた わたしはこの歳になって もう冗談なんて言うつもりなどさらさらない 晩年はとても生真面目に生きていたい ところで さらに閃光が頭の中を駆け抜け 二行の言葉の足