芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ジョン・クレランドの「ファニー・ヒル」を読む。

 この小説は周知のとおり一七四八年に獄中で書かれ、その年に第一部、翌年に第二部が発行されたが、猥褻文章として発禁処分となった。その後百年以上にわたって再販が認められなかった本である。

 

 「ファニー・ヒル」 ジョン・クレランド著 吉田健一訳 人間の文学Ⅰ(河出書房新社) 1966年12月20日改訂初版

 

 十五歳の田舎娘ファニー・ヒルが家出してロンドンにやってきて、生きるために娼婦として経験したさまざまな男たちとの性の遍歴を微にいり細をうがち告白した書簡体小説だった。長く発禁処分になっていた事実から、この当時としては極めて大胆な性描写であったに違いない。そのうえ社会の裏側で生息する陰湿な快楽ではなく、快楽の素晴らしさを歌う性の讃歌になっている。作者は以下のように語っているが、まさに無神論だった。それも発禁の原因になったのではないか、私はそう思う。

 

「自分たちこそ快楽が素朴に快楽だった黄金時代を復活するもので、それが後代にいたって羞恥心や罪の意識で不当に歪められることになった」(本書153頁5~7行目)

 

 もちろん、言うまでもなくこの本の魅力は男女の性の快楽の執拗ともいえる表現にあることは論を俟たないが、快楽と愛とが結合されたときが、至上の喜びだ、こんな主張も物語の背景に流れている。以下に引用してこの稿を終える。

 

「それですから、人を愛するということには何か宿命的なものがあるのに違いなくて」(本書136頁10~11行目)

 

「肉体上の楽しみは精神的な楽しみに及ばないと同時に、この二つは相容れないどころではなくて、それが二つともあって変化が生じるのみならず、ひとつは他の一つを洗練するのに役立ち、これは肉体の楽しみだけでは望めないことだ」(本書262頁8~11行目)

 

 また、長くなるので引用は控えるが、273頁から274頁も確認してほしい。ファニー・ヒルにとって愛のない快楽ではなく、愛しあっている者同士の喜びが至高なるものだった。

 作者クレランドは一七〇九年に生まれ一七八九年にこの世を去っている。生涯未婚だった。