芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

特別な命

 今夜、ダイニングで焼酎を飲んでいる時、こんな映像が頭の中へ浮かんできた。……芦屋に住んでもう十七年が過ぎてしまったが、このうち、最初から十一年余りまで、亡妻えっちゃんと同じ屋根の下で生活した。愛犬ジャックもいた。愛猫ア

ガッカリがスッカリ

 きょうは午前三時半頃起きて、「芦屋芸術十一号」の原稿の整理をしました。飲食から読書まであれこれほとんどすべて、東窓の飾り棚に亡妻とジャックの遺影と骨壺が置いてあるダイニングでやっているので、まず、例のごとくダイニングの

「芦屋芸術十一号」を出版します!

 今年の七月十九日に出した「芦屋芸術十号」に引き続き、この十月二十五日に「芦屋芸術十一号」を出版します。やはり十号と同様、すべての作品を私一人で書きました。また、十号より文字数がもっと多くなってしまいました。収録作品は以

「風のたより21号」を読む。

 目次を見て、松岡祥男以外は、私には初めて接する作者だった。だから最後まで興味深く読むことが出来た。    「風のたより21号」 発行所 風のポスト 2020年8月発行  住所 〒168-0065 杉並区浜田山

「ハンス・フアプーレ」を再改稿しました!

 この作品は、もとはと言えば、一九七三年冬に私の亡妻「えっちゃん」がガリ版刷りで本にしてくれたものです。その作品を、今年の二月二日に改稿しました。だが、まだ不満だったので、細部に過ぎないのですが、さらに言葉のイメージや音

カアカアは、食事中!

 我が家にいる時は、私はたいがいダイニングルームで、パソコンや本やペンやメモ用紙やらが積みあげられたダイニングテーブルを前にして、座っている。いつも北向きに腰掛けていて、六年前までは亡妻が私と向き合って、彼女の背後にキッ

カアカア、不憫。

 カアカアは、毎日、三回ないし四回、我が家のウッドデッキやらウッドフェンスに立って沈黙していたり、あるいは、おしゃべりする。  ところが、八月十五日と十六日は、顔を見せない。私は困惑して、我が家の周辺を探索したが、姿はな

心の底で生きているもの

それを 書く いま 脳に浮かんだ それを 夜でもない 夜明けでもない 未明のそれを 一心に 書く 出てくるのは 脳 未明 浮かぶ それ そうだ夜でもない夜明けでもない まだ 暁からは遠く 夜からは離れて 脳の中の未明 し

「えっちゃん祭」を改稿しました!

 ことしの一月十二日に私は原稿用紙七十枚くらいの「えっちゃん祭」という作品を作りました。だが、まだちょっと不満で、もう一度書き直し、本日、八月十五日に完成しました。百枚くらいになりました。  ところで、八月十五日には思い

「オリオン」35号を読む

 この詩誌に関して言えば、昔、といって、ずいぶん昔のお話になるが、同じ同人誌の同人として交流があった。だが私は「同人誌」の世界から足を踏み出してしまったが、もちろん詩作にそれ程夢中にならなくなってしまったばかりではなく、

「リヴィエール」171号を読む

 もう三十年近く運営していて、その上、二ヶ月に一回発行している、奥付と編集ノートを読んでいて、その昔、ほんの少しだけ同人誌に関係していた私には、持続する情熱をつぶさに見て、驚きの言葉もない。    「リヴィエー

山中従子の詩、あるいは、途方に暮れること。

 最近、詩誌「草束」38号を読んでいて、山中従子の詩に私は出会った。二篇の詩だった。    「山の上の博物館」  「靴」   草束(くさたばね)38号 所収 発行者岸和田市図書館友の会・詩の教室 編集責任者ごと

松川紀代の「夢の端っこ」

 久しぶりに松川さんの詩を読んだ。どちらかと言えば、余計な飾りなんて捨てて、透明度が高くて、ちょっと静かで、それでいてオシャレな言葉だけを選んで、モザイク状に組み合わせて、この詩人特有な、くちもとに微笑をただよわせながら

飛べない、カアカア。

 カラスが力強く空中を飛翔する姿を、町中であっても、私達はよく見かけている。では、カアカアはどうか?  率直に言って、カアカアの場合、空中を「飛翔」する、そんな英姿を、私は一度たりとも拝見していない。幼い頃に、仲間のカラ

カアカア、無常。

 つい寿命のことを考えてしまった。  一般論に過ぎないが、カラスはワンちゃんやネコちゃんとほとんどかわらず、寿命は十年から二十年だった。  カアカアは、だいたい、朝、昼、夕、我が家の軒先にやって来て、私とお話ししながら、

インゲ・ショルの「白バラは散らず」

 私達は、各自、互いに、出来る限り、物事を公平に判断できれば、あるいは、判断しようと一心に努めれば、よりよい方向に向かうための厳しい論争はあっても、相手を罵倒し、断罪し、終に相手を殺戮せんとする狂気の幻想に没入するまで理

アドルフ・ヒトラーの「続・わが闘争ー生存権と領土問題」

 この本の著者には単純な固定観念があって、その固定観念ですべてを解釈し、主張し、その固定観念以外の考え方や感じ方を批判、場合によっては極めて強く排除する傾向にある。また、特定の固定観念だけでもって現実を観察・理解するため

鳴き方

毎日、カアカアとお話しするようになって、時には大きな声で、あるいは微妙なトーンを変化させて、ボクに語りかけているのがわかった。    カラスにはカラスの  ニンゲンにはニンゲンの  鳴き方がある

七回忌、カアカアがやって来た!

 私は彼をカアカアと呼んでいる。  彼はしばしば我が家の庭先までやって来て、私とオシャベリする。七月の炎天下、さまざまな言葉をまくしたて、お前がちょっと気に入った、とまあ、そういうことらしい。  彼はもう一年余り我が家の

アドルフ・ヒトラーの「わが闘争ー国家社会主義運動」

 私の勘違いではなければ、私達の住んでいる現在の日本においては、思想・信条の自由な社会に生きているので、基本的には、さまざまな世界観があって、各自さまざまな人生を楽しんでいるのだ、私はそう思っている。だが、この本の著者は

アドルフ・ヒトラーの「わが闘争ー民族主義的世界観」

 このところ、所謂「アウシュヴィッツの文学」を読み続けている私は、強制収容所の被収容者およびその関係者の文献だけでなく、確かに「アウシュヴィッツ強制収容所」所長ルドルフ・ヘスの「獄中記」は既に読んではいるが、やはり、強制

清家忠志の「私の青空」

 この作品の舞台となっているN市のM団地、そしてMと言う川、その防波堤、その河川敷、確かにその河川敷にはブルーシートのテント小屋があちらこちらにあり、そこを住まいにしている人々がいて、また、一方、私は妻と友人たちとうちそ

清家忠志の「神は種まく」

 この小説は、ネットの哲学・思想カテゴリーの掲示板で出会った男ふたりの、敢えて言えば、宗教哲学的友情物語である。    「神は種まく」 清家忠志 「文脈」第149号収録 2018年7月発行    開設

鴨のヒナがトテモ大きくなりました!

 ほとんど毎日、近所の親水公園まで、鴨のヒナに向かって歩いている。  二組のお母さん鴨がいて、それぞれ、十羽と十一羽のヒナを育てているのだが、もう二週間くらい経ってもみんなそろって元気だ。ヒナの体もひと回り大きくなった。

誰だ!

否定しようとするものがいる この世から追放しようとしている 誰だ! 出てこい‼   その朝 起きあがると 寝台に 首が転がっていた 胴体だけが歩いていた  

「芦屋芸術十号」が出来ました!

 「芦屋芸術十号」が出来ました。  最近、「芦屋芸術」は私の個人誌の色彩を強くしていましたが、今回は、すべて私の作品だけで出版しました。収録作品は以下の通りです。     えっちゃん幻想   刻印   死の遍歴

親水公園に鴨の、赤ちゃん!

 我が家から歩いて二三分のご近所に親水公園があり、その公園の南端を流れる人工の川に、鴨が十羽の赤ちゃんを産んでいました。ずいぶん長い間、ボクは見つめていました。いま、新型コロナで人の接触が断ち切られているからかも知れませ

「マリアン・コウォジェイ画集ーアウシュヴィッツからの生還ー」の八月十五日について

 きのう、私は「マリアン・コウォジェイ画集―アウシュヴィッツからの生還―」の感想文を書いたのだが、その折、発行日の八月十五日はきっと日本が第二次世界大戦に敗北した日を発行日にして、平和への希望と祈願が込められているのだ、

囚人番号432マリアン・コウォジェイ画集ーアウシュヴィッツからの生還ー

 人は、余りにも苛酷だった体験を、誰にも語らず、口をつぐんだまま、一生を終えることが多々あるのだろう。例えば、第二次世界大戦に敗戦後、自らの戦争体験を語らず、この世を去った元日本兵は数多いただろう。少なくとも、私の父はそ

ブルーノ・ベテルハイムの「生き残ること」

 取り立てて言うほどのことではないが、この本は、訳者あとがきが一九九二年五月に書かれ、そして、一九九二年八月六日初版第一刷発行となっている。また、巻末のプロフィールでも著者はまだ健在で活躍しているように、読者は感じるだろ

今年も、赤いミニバラが

 亡妻は我が家の庭を花でいっぱい飾っていたが、六年が過ぎて、もうほとんど見当たらない。それでも、いまもクリスマスローズが咲き乱れ、彼女が鉢植えから始めて庭に植樹した三本の百日紅は、五月になれば、玄関脇で緑をめぐませ、また

下弦に近い月と、木星。

 きょう、午前三時頃、門灯を消し、玄関先の闇へ出た。  南東の低い空、下弦に近い月の右上方に木星が輝いている。ただ、空は薄いかすみにベールされ、また、強い月の光で土星は見えない、頭上に、ベガ、アルタイル、デネブ、あの夏の

マルグリット・デュラスの「苦悩」

 この作家について、ボクは無知だ。ずいぶん昔、もう三十年近くなるだろうか、「愛人」という映画を観た。また、河出文庫から出ている同名の原作を買って読んだ記憶がある。おそらく、この作家の脳裏にはメコン河のような巨大な泥色の河

サラ・コフマンの「窒息した言葉」

 振り返ってみると、生きている時間には時折、理解不能な、不思議な出来事がやって来る、そんな経験がなかっただろうか? 最近の例で言えば、過日、私はロベール・アンテルムの「人類」を読んだあと、いつとは知れず、この著者の作品が

ロベール・アンテルムの「人類」

 先日、ホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」を読んでいて、ブーヘンヴァルト強制収容所よりもその付属施設の労働収容所の方がさらに苛酷だった、そんなふうに書かれていた記憶が残っている。おそらく、この著者が収容され

「芦屋芸術」10号を出版します!

 「芦屋芸術」10号を7月19日に発行します。この日は、ボクのワイフ、えっちゃんが亡くなって六年目、日本の仏教で言えば七回忌です。今回は、よくよく考えた末、共同執筆者にお願いしなくて、初めてボクの作品だけでやります。作品

春夜、水の夢

ずっと雨が降らなくて からだがすっかりひからびて バケツに水を満たし 頭から浴びた   頭の中に 水草が生え 水面に おぼろ月が浮かんでいる   からだはずいぶん水を吸った    

黒い情熱が、また

あの公園の 雪の中から 黒い情熱が また 歩いて来た   あの日から 狂うべきものは そして 狂った   内部から轟音がした   歯車が崩れていた  

ホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」

 ナチスドイツの製作した人間破壊装置、いわゆる強制収容所を中心にして書かれた作品の中では、これは極めて異色な物語だった。    「ブーヘンヴァルトの日曜日」 ホルヘ・センプルン著 宇京頼三訳 紀伊國屋書店 19

黒いフスマ

 ボクと妻は南側にある兄夫婦の部屋を出て、隣に移り、フスマを閉めた。振り返ると、ボクラの部屋を挟んで、北側の部屋の畳にバケツが置いてある。そして、左の柱の陰から、前傾した父の首から上だけがヌッと突き出し、床を見つめている

ツェラン、あるいは、ビューヒナーの「レンツ」

 先日、「パウル・ツェラン詩文集」(白水社刊)を読んでいて、ずいぶん昔、ボクが二十代の時に読んだビューヒナーの「レンツ」をもう一度読んでみたくなり、確かまだ手もとにあったはずだと思い、本棚を探した。それは二階の本棚で発見

黒い指

実際は 一時停止して 不意に飛び出した その赤い穴に 肌色の軟膏を塗って 再起動する方がいい あるいは この不具合を完璧に修正するためには その赤い穴に 黒い指を差し込み 埋め込んだままその指を切断して 断面に肌色の軟膏