芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

女(ひと)、それぞれ

   薄暗い廊下をたくさんの女性が列をなして歩いていく。Mはその最後尾で彼女たちの後をついていく。みんな廊下を右に曲がっていくが、彼の前を歩いている女だけはそのまままっすぐ歩いて突き当りの部屋に入っていく。彼は

このまま じっと ずっと ぞっと

 三度三度の食事は今のところ、問題なかった。食べることが出来なくなれば、死が近い、昨夜そんな話を耳にした。寝ている間に耳にしたので、これが例の夢のお告げというものか。  そういえば彼女が亡くなってもう十一年が過ぎてしまっ

YOUはここにいる 第三章

 こんな事件があった。  スナック<ヨコハマ>は、カウンター席とボックス席の間に四メートルくらいの空間があり、静かなチークダンス程度で遊ぶことが出来る。そしてその奥には小さなステージがあり、歌を一人で、時にはデュエットで

芦屋ビーチクラブ その87

 きょうは未明から雨が降り続いている。芦屋ビーチクラブの活動は中止。  町内の自治会の総会があり、また十一月から本年度の役員でもあり、私は朝十時前に潮芦屋交流センターへ出向いた。参加者は十九名。七十戸余りある地区だが。参

亀と悲恋

 昨夜は早くスナックを引き上げた。十一時半には帰宅した。というのも、土曜日は亀の池の清掃を終えた後、午後二時から大阪で「日本詩人クラブ」の例会があり、私は会員ではないがある人から誘いを受けているのだった。  いつも金曜日

文芸誌「対角線」を読む。

 今村欣史さんから詩誌が送られてきた。    「対角線」2号 編集発行人/芦田はるみ・神田さよ・山下輝代 2025年9月1日発行    この文芸誌は十人の作家が、「漢詩」一首、「川柳」十句、「「俳句」

詩誌「ア・テンポ」第68号を読む。

 牧田榮子さんから詩誌が送られてきた。    「ア・テンポ」第68号 発行所/「ア・テンポ」の会 発行人/丸田礼子 編集人/牧田榮子・内田正美 2025年10月25日発行    この詩誌は十人の詩人が

ダメよ 死が玄関で待ってるから

安心なさい   この人差指だけでいいから   しばらく じっと その唇でくわえて   なんだったら この中指も 許してあげる   でも もう ちょっと だけよ ちょっと だけ

こんな時間もありました

 小料理屋のカウンターに二人並んで座って、マユロンは生ビール、Mは日本酒を飲みながら、一ヶ月会わなかった時間を埋めるように、まくしたてているのだった。カウンターの中に立っている六十代のシェフは笑いをこらえて、包丁を握りし

ピエエル・ルイスの「ビリチスの歌」を読む。

 つい先日、「アフロディテ」という作品を読んで十月末にブログに読書感想文を投稿したが、このたび、同じ著者のこんな作品を読んだ。    「ビリチスの歌」 ピエエル・ルイス 鈴木信太郎訳 講談社 1994年6月10

芦屋ビーチクラブ その86

 きょうは十一月最初の日曜日。やはり私は朝、芦屋浜の雑草を抜いていた。  おおよそ一時間、東西を走る堤防の階段近くに生えている雑草とその周辺に落ちているゴミを拾い続けていた。  ずっと気になっていた。堤防のちょうど中間点

亀、晩秋、哀愁。

 昨夜は九時頃まで、それなりに強い雨らしい雨が降り続いていた。一軒目の阪神西宮近辺のスナックを引き上げたのは十一時を過ぎていただろうか。雨は上がっていて、傘を置き忘れてしまった。よくある話だが。  次の芦屋のスナックでも

ピエール・ルイスの「アフロディテ」を読む。

 この長編小説は1896年に発表された、十九世紀フランスの世紀末作品だった。一言でいえば、紀元前一世紀のアレクサンドリアを舞台に繰り広げられた芸術家と娼婦の奇妙な悲恋物語。あえて、「奇妙な」と説明しておいたけれど、極めて

骨の真実

ボクの目の前で 彼女の肉体は 骨になった     愛 が 骨になった     愛 の 焼却炉   突然 雨が来た 真夏の昼下がり それを 骨壺に 入れていた     骨 の 過去

円形の夜

円筒形だからといって 別に悪くないと思います だって 三角形と円筒形と どっちが悪いのでしょうか 長方形だって いい時もあれば 悪い時もある そうじゃないでしょうか 球体が最高形態だという意見もしばしば耳にしますが それ

初めての夜に

メグミ 北海道の畑でレタスとキャベツが百二十個とれたの。もう芦屋まで届いたわ。見て、こんなにタクサン。   M こんなの、食べきれないナア。どこに配ろうか。    おそらくもう夕暮れ時なのだろう。空が

森と女とMと

うっそうとした森が移動している かなりのスピードだ 時速何キロくらいだろうか おそらく二十キロはあるだろう Mは上から ずっと森を眺めている だったら Mも時速二十キロで 上空を移動しているのだろう 森を追跡しながら &

芦屋ビーチクラブ その85

 昨夜来の雨は夜明けと共に去っていた。だからきょう日曜日の朝、芦屋ビーチクラブは活動しているが、また、ラインでもリーダー中村さんのその旨の投稿もあったが、私は参加しなかった。というのも、自治会の役員引継ぎ会が午前中にあり

亀、我が手のひらに戯れて

 夜遊びの連チャン、さすがに疲労コンパイしたのか、昨夜は少し早く十一時半ごろ帰宅、今朝の八時まで眠り続けていた。  おそらく基本的には他の人も同じだと推察するが、わたしの場合、睡眠不足や過労などによって身体が疲弊すると、

でもね ステキなことだった

ずっと 続くものと思っていた いや そんなことさえ考えもしなかった これっぽっちも 頭に浮かばなかった いつも そばにいたから   いいかい 愛しあうって このうえもなく とっても ステキだよ   で

空気みたいに、透明に生きていたい。

サシミン 空気みたいなのがいいよね。わたし、そんなのが好き。二人だけでいて、おたがい存在感はない、接触感がない、接着剤みたいにぐっちゃりしない、くちゃくちゃくっつかない、そんな関係、わたし好きなの。   M 接

どっちが いい

真珠にする それとも 心中にする?   でも とりわけ 笑顔がステキだった   心中にする それとも まんじゅう にする?   中指だけでもいいから もう一度 欲しい

亀と足

 いつも土曜日の朝にやっている亀の池の掃除、今回は出来なかった。朝から自治会が年二回実施している町内近辺の掃除、それから、芦屋ビーチクラブが主催する「第四回プレイフルサンドアートin潮芦屋ビーチ2025」が芦屋浜で今年も

もっと じっと

そのままでいい そのままが ステキだ   窓の外は 雨だけれど どしゃぶりだけれど   そのままでいい じっと もっと   カーテンが揺れるように 窓の中で 白いスカートが揺れている

芦屋ビーチクラブ その84

 2025年10月18日、土曜日。前日までは雨の予想だったが、当日になるとなんと曇り空。ときには晴れ間さえ出ていた。     第四回プレイフルサンドアートin潮芦屋ビーチ2025    もう四年目だっ

ルイ・アラゴンの「イレーヌ」を読む。

 こんな作品を読んだ。    「イレーヌ」 ルイ・アラゴン著 生田耕作訳 白水社 1990年6月10日第2刷    この本は1928年にフランスで発刊され著者不明であったが、現在はアラゴン作だと確定さ

彼女は死んでいた

そうだろうと思っていた そんなところだろうと だって 実際   消えていく 家に住んでいた小さな虫でさえ この世から消えていく なぜって これ以上この世で生きているのが 辛いから   日照り 猛暑 外

エマニエル・アルサンの「エマニエル夫人」を読む。

 最近、エロティシズムを主題にした作品をあれこれ読んでいるが、この本もその一冊だった。    「エマニエル夫人」 エマニエル・アルサン著 川北祐三訳 二見書房 昭和50年2月20日18版    映画で

残されて

残されて 十一年   あたかも まだ あなたが そばにいるかのごとく   馬鹿の一つ覚えか 毎朝 あなたの骨壺の左右に あきもせず   生け花を飾っている あなたの望んだ散骨も出来ず 骨は

芦屋ビーチクラブ その83

 きょうは日曜日。もちろん、言うまでもなく、朝は芦屋浜へ出かけ、芦屋ビーチクラブに参加。浜の北側を東西に走る堤防沿いの雑草を抜いていた。  こんなことがあった。堤防の階段を散歩しているワンチャン連れの友達にあった。「いつ

亀と紫のアメジストセージ

 夜のスナックでグラスを傾けながら、私はさまざまな人とおしゃべりをして楽しんでいる。口の中へは、いつも、基本的には、ウイスキーの水割りを落として。  また、そこで知り合った酔客やスナックのスタッフたちと、別の日、少し贅沢

ベルナール・ノエルの「聖餐城」を読む。

 こんな冒険小説を読んだ。    「聖餐城」 ベルナール・ノエル著 生田耕作訳 河出書房新社 1974年5月28日初版    冒険小説といっても、どこか外部の世界、秘境だとか異星だとかそういった世界を

ひとまず だが どこで?

最近 頭の中に 何も 浮かんでこない   辺りは いちめん 灰と闇のまだら模様   旅は終わったのだろうか ひとまず   だが 港が見えないじゃないか   いったい どこで上陸すれ

結局 あなた ひとり

わたしは ただひとりの読者に向かって 書き続けている   わたしが 去れば この読者も この世から消える ただひとり あなたにだけ この手紙が届けば それでいいのだから   そう思わないか 夜が来れば

ポーリーヌ・レア―ジュの「O嬢の物語」再読

 記憶をたどれば、おそらく、私がこの本を手にしたのは二十代後半だったろう。あれからもう五十年くらい経ってしまった。    「O嬢の物語」 ポーリーヌ・レア―ジュ作 澁澤龍彦訳 角川文庫 昭和51年4月20日12

どうして こんなにも

くちばしを逃れて 生きてきた 紅色の   けれど なぜいとしいのだろう どうして こんなにもいとしいのだろう   地の果てまで 逃れるほどに 紅色の

亀、夜遊び、彼岸花

 今週の夜は、飲み歩くことが多かった。火曜日と水曜日は帰宅したのが午前零時を過ぎていた。そして、きのう、金曜日の夜は、けさ、三時過ぎに帰宅した。  十一時を過ぎて、立ち上がろうとしたこともあったが、そのたび、なじみの客が

その指

夜が 怖い   あたりには くちびる 泳いでいる いっぱい   背中には 歩いている 足 足 足 そして音   でも まだ わたくしは愛しています その指

詩誌「布」四二号を読む。

 先田督弘さんから詩誌が送られてきた。    「布」四二号 2025年9月20日発行    今号は四人の詩人が五篇の詩を発表している。また、<ひとこと>の欄ではそれぞれの詩人の近況や思いなどが語られて

深夜の会話

 午前零時を過ぎていた。深夜のスナック。狭いコの字型に曲がったソファー。小さなテーブルを囲んで、三人の男女がおしゃべりに夢中になっている。しばしMだけ沈黙して、唇にグラスを傾けた。あとの二人の男女は酔眼でよろめきつつたが

ジャン・ド・ベルグの「イマージュ」再読

 この本を読んだのは三十歳前後の頃だろう。過日、マゾッホの「毛皮を着たビーナス」を再読したので、この作品ももう一度読んでおこう、そう思った次第だった。    「イマージュ」 ジャン・ド・ベルグ著 行方未知訳 角

芦屋ビーチクラブ その82

 確かに秋めいてきた。といって、もう九月の終わりに近づいたのだけれど。  きょうも、日曜日の朝は芦屋浜の雑草を抜いていた。バカの一つ覚えだろうか。もちろん雑草だけではなく、その周辺に散らばったタバコの吸いガラ、捨てられた

亀、キキョウ、彼岸花。

 きょう未明、二時過ぎに帰宅。昨夜もスナックで、さまざまな物語が酔客の口もとから流れ出た。男と女と。さまざま。統一理論や統一見解は崩壊した。彼、彼女の常識に毛が生えたような表側の話ではなく、裏側だった。個別の、アナーキー

マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」再読

 この著者の作品は、「残酷な女たち」という中短編集を読みその読書感想文を去年の9月5日の芦屋芸術のブログに投稿している。興味のある方は参考にして欲しい。    「毛皮を着たビーナス」 ザッヘル・マゾッホ著 種村

ひっそり そして やがて

誰もいない庭が 頭の中に浮かんでいる   物音もなく 移動していく   ひっそり 頭の東から 西へ   庭は消えていた やがて 暗い泡に満たされて   いっぱい 静かな泡に

ウォルター・デ・ラ・メアの「ムルガーのはるかな旅」を読む。

 この著者の長編幻想小説「死者の誘い」は今年の五月に芦屋芸術のブログに紹介している。このたび、同じ著者のこんな長編作品を読んだ。    「ムルガーのはるかな旅」 ウォルター・デ・ラ・メア著 脇明子訳 ハヤカワ文

濃緑の液体

 まだら模様が、彼の眼前で、次第に形を成してきた。不思議なこともあるもんだ。全体がつぶつぶのシズクで覆われていたまだら模様の画面に、ひとつの形が、顔だ、顔、間違いない、あの人の顔が。  まだ生きているのかもしれない。なぜ