確かに宇宙にも ニンゲンにも 根源はないのかもしれない いかなる神も ただ つかの間の愛だけが
無題でいいと思う
芦屋芸術は詩・小説・文学・音楽・絵画・・・etc 同人誌の発行とWEBでの表現を応援する芸術コミュニティサイトです。
確かに宇宙にも ニンゲンにも 根源はないのかもしれない いかなる神も ただ つかの間の愛だけが
ゴミゴミした町を歩き回りながら、スマホを左耳に押し当て、電話をしていた。最初、仕事の話かと思っていたが、どうやらいつのまにか話題が変わっていて私生活の秘密めいた打ち明け話になっているのだった。そうやっておそらく半日以上
昨夜から今日の未明にかけて、無名の歌姫の歌を聴いていた。 通いなれたスナックで昨年十月ごろだったか、出会った女性。彼女の歌、そしてその歌っている姿が、ステキで、少年みたい。 二日目前の金曜日、スナックで飲んでいると
午前零時になってしまった。もっと早く帰るつもりだった。十時ごろになったらタクシーを呼んでね。チーママにこうお願いしておいたのだが、だが、だが、引きとめられて遅くなってしまった。 というのも、喜んでいいのだろう、カウン
ショックで 思い出すことが出来なかった 十年がたち やっと 思い出が よみがえってきた
あなたは かわいそうな人だね もうほとんど 空中分解寸前じゃないか 足首の上に くちびるが浮かんでいる
以前読んだ本でも、まったく記憶に残っていない本、そんな作品もあるのだろうか。その理由は、今となれば、わからなくもないのだが。 「死都ブリュージュ/霧の紡車」 ジョルジュ・ロデンバック著 田辺保・倉智恒夫
水が流れているが どこで流れているのだろう 碁盤の上に並べられたような黒白の石が敷き詰められたゆるやかな斜面を 流れているのは 確かだった だがその先は 見えない そもそもどこから水は流れて来たのだろう 振り返っても 見
ゆっくりだったのかもしれない。いや。ちょっと違うだろう。むしろ、それは、いきなり、だった。川で言えば、山奥を流れる、急流だったと言っていい。岩から岩へと自ら悲鳴を上げながら、裂け、ちぎれ去って滝つぼへ墜落していく……今
今年最初の日曜日。今年最初の芦屋ビーチクラブの活動。 誤解しないで欲しい。「活動」といっても、そんなおおげさな、例えば政治の活動とか、そうじゃなくて、極めてつつましい、芦屋浜から出来るだけゴミをなくしたい、それだけだ
こんなところに財布が落ちている。レンガ色をしたタイル張りの長い階段を上っている途中、踏み面から黒革の財布をMは拾いあげた。ためつすがめつして、彼は確信した。「アレ、これボクの財布じゃないか」。念のためセカンドバッグの中
きょうは確かに一月二日だと思っていたが、早朝三時半に起き、作品をひとつ仕上げ、ブログに投稿していた。そのあと、「芦屋芸術」25号の編集・校正作業。年末から始めて、今号の投稿者の作品を元日までに四名分校正を終え、ゲラを作
人生って 短いでしょ ほんの 一瞬でしょ この一瞬を頼りにして 生きてるんです
朝七時前に芦屋浜へ足を運んだ。 初日の出を見た。 長い間見つめていた。浜の彼方にあがっていく太陽。 おそらく私は強烈なエゴイストなのだろう。今年こそいい作品が書けますよう、祈っていた。私にとって「いい作品」とは、
いつ頃からだったろうか、私がスズメと仲良しになったのは。 思い起こせば、最初、私はカラスと仲良しになったのだ。そのカラスは羽を傷めた、身障者だった。偶然かもしれない。そのカラスとの出会いは2020年7月19日、私の妻
女の横顔。どこか見覚えのある。待てよ。何度か食事もご一緒したり、スナックのカラオケでデュエットまでした仲ではなかったか。ああ、人の心を深い悲しみに沈めてしまうステキなハスキーボイスのあのこでは。だったら、どうして、人っ子
<Ⅰ> メールが入ってきた。契約がしたい、そう言ってきている。だが、その物件の所有者が明記されていないばかりか、依頼者も不明だった。 こんな契約の申し込みなんてほっておいていいのだろうが、なぜかMにはな
今年最後の日曜日、朝八時の芦屋浜。 もちろん、言うまでもなく、芦屋ビーチクラブも今年最後の芦屋浜清掃作業の日。 今年、私は浜の南側を東西に走る堤防付近に生えている雑草を抜き続け、また、その周辺に落ちているゴミを拾っ
昨夜は会社の忘年会。JR芦屋近辺にある竹園で神戸牛のステーキのフルコースを食べた。妻を喪って十一年余り、初めて夕食のフルコースを食べたのだった。普段飲み歩いても、それほど食欲はなく、飲酒中心の遊びだった。だから、もう一
孤独でいいじゃないか 世間に すり寄っても 世間は あなたの慰めにもなりはしない いざとなったら 離れていく 孤独って とてもいいじゃないか 愛しあったあの人のまぼろしを 今夜も 酒を飲みながら いっぱい
はい 今夜も こうして 阪神芦屋駅周辺を うろついて 酒飲んで 生きてます 学校のお勉強なんて大嫌いだった 劣等生の おバカさんはおバカさんなりに なぜかしら 体には恵まれて 病気にはずっと縁
私 歳を取ってしまった。 まだ体はどうということはないが、 耳だ。 特に左の耳が聞きづらい。 いつも聴こえたふりをしているが、 ほんとは 相手が何を言っているのか、 意味不明の時が多々ある。 壁 …… &n
きのう、このブログでご紹介した詩集「風船島奇譚」と同じ著者が、同じ発行日に出したもう一冊の詩集を読んでみた。 詩集「おのれ生え」 永井ますみ著 さいけい舎 2025年11月30日発行 こ
永井ますみさんから新詩集を送っていただいた。 詩集「風船島奇譚」 永井ますみ著 さいけい舎 2025年11月30日初版 この詩集は四十篇の作品で構成されている。 さまざまな内容の作品が
私 何を見ようとしていたのか 自分 またかい 私 そんな冷たいまなざしで 馬鹿にしやがって 自分 怒りっぽいのが 癖なんだ もっと冷静になって 頭の隅々まで探してみな &
愛している人は 朝の光に 浮かんで 闇の中へ 沈んでゆく とわ に です それが 愛だった でも 思い残すことはない もはや 毎日 流
M タナカさんですよね。 それじゃあ、タナカさん、私の会社とあなたの会社とひとつにして、いっしょに明日から頑張ってやろう、結論はそれでいいんですね。 だったら、あとはお任せします。 タナカ ああ、そ
さとう三千魚さんからこんな「作品集」を送っていただいた。 「花たちへ」 さとう三千魚著 浜風文庫 2025年11月29日初版第一刷 なぜあえて「作品集」と表現したかというと、この本には副
先日この著者の短編集「仮面物語集」を読んで、その読書感想文をブログに投稿した。今回は同じ著者のこんな長編小説を読んだ。 「フォカス氏」 ジャン・ロラン著 篠田知和基訳 月刊ペン社 昭和56年11月10日
確かに、見渡せば、歳月とともに、すべてが流れ去っていく。 昔の哲人が言った通りだ。 だったら、すべては砂だろうか。流砂っていうだろ。そんな馬鹿な。違う違う。水か、それとも、少なくとも水のようなものじゃないだ
永遠なんて どこにも ない それだけは あなたにも知って欲しい お忙しいとは 思いますが ひまが少しでもあれば こんな話 ちょっとだけでも 聞いて欲し
余程疲れていたのだろう。昨夜八時半ごろベッドに横たわり、目覚めた時には六時半を少し過ぎていた。 きょうは、どうしても芦屋ビーチクラブの活動に参加したかった。先週は午前中、文学の会があり、芦屋浜へ足を運ぶことは出来なか
池の中をのぞいていた。 この小さな池の中で、今年の三月下旬からつい先日、十二月の初めまで亀が暮らしていた。そして、毎週土曜日の午前中、池を掃除して、ふたりで遊んだ。 私にとって、亡妻とのつながりがある、ただひとりの
こわれたレコードのように いつまでも 回りつづける そんな昔も 確かに ありました 嘘じゃない
後藤光治さんから詩誌が送られてきた。 続・抒情詩篇(「アビラ」24号) 編集発行/後藤光治 2025年12月1日発行 この詩誌は「アビラ」22号の抒情詩篇の続編だった。表紙と裏表紙の帯の
いったい何人でゴルフをラウンドしているのか、皆目見当もつかなかった。山岳コースだった。山頂伝いにゴルフコースは直進を続けた。左右両サイドは断崖絶壁。狭いフェアウェイに差し掛かったら幅二メートルくらいで両サイドにラフはな
金堀則夫さんから詩誌が送られてきた。 「交野が原」第99号 編集・発行人/金堀則夫 発行所/交野が原発行所 2025年8月10日 すべての作品を読んで、私の好みではあるのだろうが、野崎有
振り返ってみれば、三年前に「芦屋芸術」でお付き合いしている藤井章子さんから「千葉県詩集」第55集を送っていただき、その読書感想文を私は「芦屋芸術」のブログに投稿した。 このブログを読まれていた千葉県にお住いの詩人宮武
きょうは土曜日。通常なら亀の池を掃除している。でも、このところ、寒さが厳しくなり、また、亀もご飯を食べなくなって水の中でじっとしている。 私はバケツに腐葉土を入れ、亀を池から出し、甲羅をスポンジで洗った。オヤスミ。そ
どうぞ お願い 前を向いて 歩いて 後に退がっちゃ だめ ずっと ずっとよ このまま あたしのこと ずっと このまま ずっと 忘れて オリコウさん 前だけ見て 歩い
永井ますみさんから詩誌が送られてきた。 「現代詩神戸」291号 編集/今猿人・神仙寺妙・永井ますみ 2025年12月10日発行 今号は二十人の執筆者が二十八篇の詩作品を発表、一篇の書評、
みんな笑顔で迎えてくれる でも けっして 夢ではない 周りには 知らない人もいっぱいいるが いまのところ なんのトラブルも発生していない ただ 少し残念なのは 笑顔から 声が出ない 笑い声が聞こえない まし
原口健次さんからこんな詩誌が送られてきた。 寄稿文芸誌「KAIGA」No.130 編集発行人/原口健次 発行所/グループ絵画 2025年11月30日発行 四人の執筆者が十篇の詩作品を発表
鏡の中に別の世界が始まっている。そうじゃないだろうか。ニンゲン、独りでいると、そんな気分になったり、果ては鏡の中に奇妙な妄想を映し出したりしないだろうか。 そんな作品集を読んでみた。 「仮面物語集」
きょうもまた、朝から芦屋浜の雑草を抜いたり、ポイ捨てされたタバコの吸いガラ、ストロー、チリ紙などを拾ってみたり。でも、地球を美しくしよう、あるいはそれに類似した理念など、私にはさらさらない。ただ、十一年前にあの世へ旅行
土曜日は亀の池の掃除をしなければならないので、昨夜は二軒のスナックを回ったが、午後十一時半ごろ帰宅した。 七時前に起きて顔を洗い、いつものように家事をあれこれ始めた。庭掃除の後、黄金色に枯れてしまった桔梗を剪定。そし
いったい何がしたいんだ。訳が分からない。ダイニングの床暖房の壁スイッチにマヨネーズを渦巻状に絞り出して掛けている。さっきからそんな馬鹿げたことをやっている奴。ここからは後頭部と背中しか見えない。そのうえ画面がぼやけてち
音が聞こえることはないだろうか。ひょっとしたら、これは音じゃないかと。 そんなとき、あなたならどうする? 二三日前にこんな質問をあなたにしたら、即座に逆襲されたね。こっぴどく。「音」っていうけど、それ
特段、これといって重要なことではなかった。従って、私は会社でも報告はしなかったし、家族に、実はこんなことがあった、そんな打ち明け話などこれっぽっちもしていない。 だが、それでも、なぜか心の底では、うずく