芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

後藤光治個人詩誌「アビラ」18号を読む。

 個人詩誌を運営していくのは、詩作品を発表する喜びだけではなく、詩を中核にした心の全体像へ接近する喜びもあるのではないだろうか。それは丁度、一方の皿に個人詩誌を発行する労力と費用と苦悩が乗せられていて、危ういバランスが取れているのではなかろうか。

 

 後藤光治個人詩誌「アビラ」18号 編集発行/後藤光治 2024年6月1日発行

 

 全体の構成は、まず巻頭に「ロラン語録」。次に「詩作品」。今回は六篇の詩が発表されている。「ロマン・ロラン断章(十八)」、ここには、<ジャン・クリストフ(13)>と、<清水茂断章>が収められている。「詩のいずみ」では野沢啓の著書「詩的原理の再構築」が論じられ、最後は「鬼の洗濯板」で連載三回目の<学校の現実―教育再生への視座(3)>で、教育現場で人間の名誉を重視するのか、それとも人間の尊厳を重視するのか、教育の基本原理をどうするのかを論じている。言い換えれば、人間に与えられたそれぞれの能力を大切にするのか、それともそれに先立つ人間に与えられた命を大切にするのか、どちらを軸にしなければならないのか。このジレンマの中で日々を教育現場で送っている教師はいったいどうすればいいのか。それへの著者の応答だった。

 おのおのの詩の個別の詳細へは言及しない。それよりも今回の六篇の詩作品を読んでみて、いや、従来の作品も含めて、著者の脳裏をつかんで離さない「故郷喪失」について一言しておきたい。私なりの勝手な思いではあるが、今回の詩の中の特に「カラス」が喚起するものについて触れておきたい。故郷を喪失したというが、いったい何を現代人は失ったのだろう。それは著者が少年時代、母とカラスが触れ合う姿をみて、著者自身もその姿を忘却していたことに気付いた痛みだったのではなかろうか。つまり、ひょっとしたら、故郷喪失という事態は、生きとし生けるものへの愛と和解の崩壊が根底に横たわっているのではないだろうか。