芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

後藤みな子の「樹滴」

 ほんとうはこの著者の作品集「刻を曳く」(河出書房新社、昭和四十七年八月発行)から読み始めるつもりだった。ネットで探し、値上がりして八千円余りしたが、注文した。だが、在庫ナシ、そんな返事が入った。同時に注文していた同じ著

福田須磨子の「われなお生きてあり」

 一九四五年八月九日、自宅にいた父と母と長姉は、原爆によって家もろとも灰燼に帰し、著者は勤め先で被爆、壊滅した長崎の原子野のかつて自宅があった場所に父の欠けた湯飲み茶碗を発見し、そこを掘ってみると三体の白骨が出てきた。お

みんなそうだと思う

ボクのワイフ えっちゃんの死は この世の片隅の 小さな出来事だったけれど ボクにとっては とても大きな悲しみだった みんなそうだと思う

秋月辰一郎の「死の同心円」

 最近、所謂「原爆文学」を読み続けているが、そういう心境に達したのも、ボクのワイフ、彼女をボクはいつも「えっちゃん」と呼んでいたが、彼女の死が強く作用していると思う。  えっちゃんが永眠してもうすぐ五年になるのだが、そし

亀沢深雪の「広島巡礼」

 歳をとるということは、おそらく、今まで身に着けてきたさまざまな衣装が、晩秋、木の葉が散り落ちていくように、すっかり落ちて、本来の赤裸な姿に帰っていくことではないか。もちろん、歳月の中で、織りあげ、紡いできた夢や虚構もす

もうあきらめていた。だが……

 夕方、芦屋浜まで出た。きょうの昼間は晴れていたので、ボクは期待に胸をふくらませていた。  けれども、すっかり裏切られてしまった。空は薄曇り、星はなく、細い月だけがボンヤリ浮かんでいた。  何度も振り返って月を見上げなが

亀沢深雪の「傷む八月」

 すばらしい作品集だった。「すばらしい」という言葉にためらいを覚えるが、事柄の真実を、つまり、事実とそれに応答する心情を出来るだけ正確に表現した作品、そういう意味で、「すばらしい」と言っていいのではないか。  「痛む八月

いいことがありそうだ

夜来の雨が すっかり晴れて 午前五時過ぎ いちめん うすい藍色の空 その 東 細い月と 金星が恋人のように寄りそって 浮かんでいる やがて 背後から 祝福の 日の出がやって来た きっと きょうは いいことがありそうだ