芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

亀沢深雪の「傷む八月」

 すばらしい作品集だった。「すばらしい」という言葉にためらいを覚えるが、事柄の真実を、つまり、事実とそれに応答する心情を出来るだけ正確に表現した作品、そういう意味で、「すばらしい」と言っていいのではないか。

 「痛む八月」 亀沢深雪著 風媒社 1976年8月6日 第1刷発行

 まず、この発行日をご覧いただきたい。広島に原爆が投下された三十一年後のその日に、この作品集は出版された。何故この発行日を選んだかは、少し長くなるが、奥付の「著者紹介」を引用してみたい。

 「1928年、広島市生まれ。17歳のとき爆心地から1.3キロの自宅で母ヒデさんと一緒に被爆。すぐ下の妹は全身赤むけに焼きただれ、引きちぎった人形のように無残な姿で死に、15年後の8月6日に原爆症で母も死んだ。<中略>47年6月、突然、左足がふくれあがり、骨髄骨膜炎で足首を手術、以後十年間の闘病生活が続いた。この間、被爆を隠し続けたが、結婚話でわかり破談。被爆17年目に後遺症でまた病状が悪化、医者に見放される。しかし奇跡的に回復、以来、『生き残ったものの使命として』被爆体験にもとづいたテーマを主とした創作活動にとりくむ。」

 この作品集には、「ガラスの女」、「風化」、「傷む八月」、「臨時工」、「問題児」、「石の呟き」、「永代寺男」、以上七篇の作品が収録されている。いずれの作品も、自らの原爆体験をとうして、被爆者として戦後を生きる人々だけではなく、特攻隊の帰還兵、臨時工や問題児と呼ばれる少年、被差別部落に生きる人々等、これらの人々を主体的に、自分の分身であるかのごとく鮮明に描いている。
 趣味や娯楽、ステキな空想や気晴らし、あるいはさまざまなノウハウを読者に提供する本ではない。著者は、どうしても書いておきたい事柄の真実に肉迫する作品を読者に提供する。従って、読後、決して楽しい気持にはなれないが、傷ましい現実を著者と共にして、忘れがたい感銘を読者の心に反響させる、そんな作品である。
 それでは、著者は自らの原爆体験をどのように表現しているのか。これを知りたい人は、すすんで、「傷む八月」という作品を読んでいただきたい。「傷む八月」は、「第一話 ピカキチの唄」、「第二話 夭折」、「第三話 命をかえせ」、以上、三つの話で構成されている。とりわけ、「第一話 ピカキチの唄」だけでも、ぜひ読んでいただきたい。
 この話は、庄造という兵隊が赤痢で広島の江波にある陸軍病院に入院中、被爆、さらに被爆者たちの救援活動をしていて二次被爆を受け、ボロボロの肉体で郷里に帰る。その後、体調は回復するが、家族や村人たちに憑かれたように被爆体験を語り続ける。余りの凄惨な話しに村人たちは庄造を敬遠し、彼を「ピカキチ」と呼ぶようになる。母や四人の娘、帰郷した後に妻のさくとの間に生まれた広一という長男でさえ、被爆体験を狂ったように語り続ける庄造を見捨てる。妻のさくだけが、彼の歌うように語る被爆体験の言葉が真実であると信じ、彼に寄りそって生きていく。十五年後、原爆症が再発して、八月六日、庄造は永眠する。しかし、庄造が歌っていた「ピカキチの唄」を、妻のさくが道を歩くときも、野良へ出ても、夜なべをするときも、哀調をおびたご詠歌のような節で歌い続ける。
 ところで、庄造が子守唄のように歌い続けた「ピカキチの唄」はいったいどんな唄なのか、物語の中ではさまざまな言葉で変奏されるのだが、おおよそ、このような唄だった。

 広島にな、ピカドンが落ちた。
 ピカはな、広島を火の海にして、そこにおったもんを焼き殺した。
 そしてな、灰と骨の街にしてしもうた。
 ピカはな、生きとる人間も幽霊にした。
 殺すだけ殺して、やっと生き残った人間を幽霊にした。

 人間がな、ぼろ屑のように燃えたんじゃ。
 赤ん坊も年寄りも、男も女も、
 兵隊も看護婦も、
 女学生も小学生も、大人も子供も、
 牛や馬、犬や猫、川の魚まで、
 みさかいなく、みんなごみの山のようにしてな、焼かれたんじゃ。
 溶けたものもおる。溺れたものもいる。
 広島はな、火の海になった。
 あとにな、骨が石ころのように転がった。

 戦争はいかんぞ、戦争は絶対にいかん。
 戦争だから、こんな非道なことが平気でやれるんじゃ。

 みんなぼろを引きずってな、
 ぼろと思ったが、よく見ると人間の皮、
 ピカはな、生きとる人間から皮をはぎとった。
 娘さんもな、禿になった。髪の毛をむしりとられたんじゃ。
 それを隠す布切れもない。
 まるでお化け。ピカはな、生き残った人間まで屍にした。(本書126~128頁)