こんな本を読んだ。 「馬的思考」 アルフレッド・ジャリ著 伊東守男訳 サンリオ文庫 1979年4月5日発行 遅々と進まぬ読書体験だった。読了するのにかなりの日数がかかってしまった。昔買っ
アルフレッド・ジャリの「馬的思考」を読む。

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こんな本を読んだ。 「馬的思考」 アルフレッド・ジャリ著 伊東守男訳 サンリオ文庫 1979年4月5日発行 遅々と進まぬ読書体験だった。読了するのにかなりの日数がかかってしまった。昔買っ
左耳にくちびるを近づけて何やらしゃべっている。何をしゃべっているのかわからないが、吐息が耳たぶをつつんでいる。時折、くすぐったくなる。だから、こんな場合、吐息がしゃべっている、こう表現すれば真実めいてくるのだろうか。ど
これは序文だと言われた。よく見ると、彼の左手の中指と薬指の間から一本、細い管が突き出している。これだ、これが序文だ。 おまえが昨夜書いた本文、「いわれなき汚名」、あの短編作品の序文が、お前の体内で悲鳴を上げて、ごらん
未明 ベッドに寝転んで 天井を見あげながら つぶやいていた <会いたい> でも いったい わからなかった 誰に <会いたい> ただ 言葉だけ <会いたい> 浮かんでいた 天井に 何度も
原子力関連施設の一室で彼女と落ち合った。テーブルをはさんで、対面して。 核の重要性について、それを研究・保管する施設の必要性について、彼女は語り続けていた。……将来、人類の存亡をかけた戦い、絶滅か、それとも人類の最終
じっと 見つめあっていた なんでもないのよ 彼女は目を落した
白くなっていた。これからだと思った。これから開いていくのだ。 ただ恐ろしいことに、開いたままだったけれど。 三年後。開かれた地平に向かって、白砂が流れていた。眺め渡したがわからなかった。
机が、テーブルが歩きだした。 夜中に目覚めると、寝室にダイニングテーブルが置いてある。驚きあわててダイニングルームに駆け込むや、中央に勉強机。長年、寝室で使い古した奴が。 元通りに入れ替えるのは彼ひとりの力に余る。
「芦屋芸術二十二号」が出来ました。今年初めての出版です。内容は以下の通りです。 contents <招待作品> 海辺の誘惑 鍋谷末久美 5 蜉蝣(か
本棚の片隅から一冊の文庫本を探し出した。ある事情で、とても読みたくなった。その本は、これだ。 「老妓抄」 岡本かの子著 新潮文庫 平成20年8月5日58刷 この本には九編の短編小説が収録
未明になると いつも 彼は 解体していく とろけ ねば ねば ねば ずる 胴体は 紅色と緑色の混色ゼリー くずれ 首から上 両手 両足 はずれ ずるずるして ずるりん ぴくぴくし
なにもかも なつかしくなってきた この世で出会ったこと すべて なつかしいなんて あの時の その時の この時の あんなにイヤだって シリゴミしたことだって いまじゃア いっしゅん シーン と した &nbs
二週連続で休んでしまった。日曜日の朝、芦屋浜を訪れなかった。理由は簡単。シンプル。つまり、夜遊び。飲んで、酔って、場合によっては帰宅したら午前二時をゆうに過ぎていた。ただ、この歳になって、深夜、飲み屋を徘徊できるなんて
ビリビリになってしまった 過去が 一枚の紙の上に縮小され それを 彼女の両手の親指と人差指が つまみ ひねり 破り 捨てた まだ 生きてはいるが いま 彼は もう 彼ではなかった 一枚の 新しい 紙きれが
彼は刀なんて持ったこともないし、まして使った記憶なんてさらさらなかった。なのに、刃渡り一メートルくらいの日本刀らしき鍔のない、物珍しい鞘に納められた刀を携えているのが分かった。鞘はやけに華やかな絵柄、深い緑色の渦巻きの
彼の 眼前に 今でも 残された 彼女は 指 だけ とりわけ 左手の 人差指と 親指 二本 手首は なかった
夜を見ながら 生きて来た 夜を見ながら ペンを走らせるって トテモ ステキ じゃないか 夜の中で 夜を白紙に写し まき散らされた 星の上で からだは 崩れていく ごらん もう この世に 誰も いない
かさね あわせて いま 浮かぶ 開く そして あえぎ そして もっと もっと よ ねえ だから もっと じっと 深く 頭から 崩れ 腰へ
線状虫がやって来た いったい 何匹いるのだ 五本前後の黒糸触手をうごめかせ ねばねば 接着音をうめき出しながら 頭から やがて もぞもぞ 全身を覆い尽くした 細かい三角形の卵を寝室にまき散らし 無数の線状虫が孵った 死ね
新しい川が出来た そんな噂を耳にした 彼の住んでいる町には どまんなかに 芦屋川という川が昔から流れている 日曜日 彼は終日 新しい川を探し続けたけれど どこに流れているのか わからなかった 未明 頭の中に 流れていた
去年の七月の末、物故の詩人冨永滋の妻冨永多津子氏から一冊の詩集をご恵贈いただいた。早速その年の八月、一読した。だが、「芦屋芸術」のブログでご紹介することは出来ずにいた。それというのも、この詩人は私と同じ年に生まれ、二〇
視野が狭くなっていくのが分かった。このまま何も見えなくなるのだろうか。 最初、砕かれていた。微細に。いったいどうしたのだろう。すべてがゴマ状に破砕され、散乱していた。あたり一面、黒点、緑点、紫点、赤点、さまざまな色点
書くことは サヨナラすることだろうか だったら あなたに 手紙を 書いて このノートに 別れの 手紙を 書き続けて 毎日 サヨナラ
楽しく 生きていくためには 心は 離れなければならない 今まで 出会った すべてのものから すっかり 離れなければならない 楽しく生きるために すっかり すべてから
突然の 別れ あんなに いっぱい くちびるが 空に 浮かんでいたのに けさ 目覚めたら みんな 消えてしまった 畳に 破れて 三日月に似た 赤いゴム状の物 いっぱい
口に注意しなければならない なぜなら くちびるから すでに 愛ははじまっていた あの時 すでに
永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。 「リヴィエール198」 発行所/正岡洋夫 2025年1月15日発行 十一名の詩人が十三篇の詩を発表している。また、エッセイは六名の詩人がそれ
やはり思った通りだった。誰もいない舗道を歩いていた。虫はいるだろうか? 一匹でさえいない、絶滅した様子だった。もちろん、言うまでもなく、家一軒、並木もまた見えなかった。山も草も空もない。あるものといえば、一本の舗道の上
土曜日の夜、スナックで遊んで帰宅した時は翌日、ということは今日の午前零時を過ぎていた。夕方から小雨が降り、帰宅時もまだ雨が降り続いていて、日曜日、本日の芦屋ビーチクラブの活動は中止だろう、そう思った。気になっていた作品
家の鍵がいるなら言って あなたなら預けても構わないから そんな話をしているうちに トイレの便器にワカメが浮かんでいた 水で流せば詰まるんじゃないか 心配……どうしていいかわからなかった とりあえず箸でつまもうとしても た
追いつめられれば 追いつめられるほど 言葉が 形象が 音が あふれ 出てきます 毎日 です 体じゅう 言葉 形象 音 にまみれて 未明 まんじりともせず 天井を見つめ こうして 生きています