芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

訪問する女

 こんばんは。ドアホンを鳴らさず、いきなり玄関フロアの方から夜の挨拶が聞こえた。玄関ドアの鍵を閉めてベッドに横たわったはずなのだが。それにしても今何時ごろなのだろう。こんな夜更けに何用があって、この女はやって来たのだろう

消えたくちびる

この世が終わっていく   てのひらを閉じて まなざしは振り返り ふたたび てのひらを開いて あなたと愛しあった この世が   やはり 日が暮れていた 振り返った まなざしは絶え てのひらが そして く

常にいる女

途切れ 途切れ の 映像 女が出て来るが 極めて親しみ深い 幼少の頃から ずっと いっしょに暮してきたような そんな 不思議な いったい誰だろう   わたしのことを ニックネーム「とんちゃん」 そう呼び続けて

なんとでも言ってください

雨が降れば ボクは傘をさします 傘をささなければ 体が濡れます でも ときたま 事務所に傘を置き忘れたまま 帰宅することがあります 途中で雨が降ると ボクの体は濡れます 忘れる奴は バカな奴さ ええ なんとでも言ってくだ

「芦屋芸術二十二号」を出版します!

 「芦屋芸術二十二号」の編集・校正が終わりました、今年初めての出版です。発行日は三月一日。内容は以下の通り。   contents <招待作品> 海辺の誘惑                           

空が晴れている

いま わたくしは内面の究極を歩いている 頭の中に流れる川は 河口に向かって 限りなくひろがっていく こんな言葉を口ずさみながら    存在するものはみな  永遠の一部  無数のひとかけら  すべての一部が消滅す

芦屋ビーチクラブ その62

 午前一時過ぎ、ノートに作品を一つ書き、仮眠。三時半ごろ起きて、その作品を「芦屋芸術」のブログに投稿。  きのうの夜から庭の鉢や花壇の植物が気になって仕方がない。少し早めに家事に取り掛かった。午前五時半。  朝食や花の水

未明の幻影から

物事をつきつめはしない 浮かんだことだけを書く   だって 未明だから 闇一色だから   いま ほら 暗い頭の中に こんな白い文字が 浮かんだ     霊魂は残らない  でも 塵は残る  

一部

からだの 所有者が わからない   あの人に あの人のからだの 所有権などあるのだろうか   それとも からだは 永遠の一部だろうか 無限のかけら   いま この世に現れた あの人のからだ

しるし

ここは どこだ 夜の果てに 音が している   あすの夜も もう一度 ここまで 帰っておいで   ひっく   たっく   そんな しるしの 音が

耳、あなたの。

あわただしい 一日だった それでは まだ あの山では 滝が落ちているのだろうか 滝の音が聞こえているのだろうか もうすぐ 一日が終わる サヨナラ あわただしい 背中 そして唇 夜がやって来たら ベッドに寝転んで もっと 

そんな あんな   でも だって   だったら どう   言葉が ちぎれて 浮かんでいる   青空 あの 究極の方へ   頭に川が流れている

帰路不明

 JR大阪駅のプラットホームを東から西の方に向かって歩いていると、十メートル余り前方にN議員が秘書を二人連れて立っている。こちらを向いて手を振り、笑っている。一人の秘書は左手にワインのボトルを掲げて、左右に振りながら何か

芦屋ビーチクラブ その61

 最近、身辺がせわしない。平日の午前中は相変わらず事務所に顔を出して仕事をし、午後からは、私が運営している文芸誌「芦屋芸術」二十二号の編集・校正を中心に精を出している。そのうえ、「別冊關学文藝」七十号に原稿を二月中旬頃ま

すぐそばに

四十三年間 愛しあった あなたは 十年余り前に 死んでしまったのに 見つめている 笑っている 懐かしい さまざまな服を着て   すぐそばに 毎日

白紙に返る

たくさんの魚が泳いでいた 色とりどり わたしは 特に 十年前に亡くなった オレンジ色の服を着た魚が好きだった 今でも   ほんとに にぎやかだった 心の水槽では 毎晩 こんなに いっぱい   魚が泳い

記憶の果てで

 犬だと聞いているが、犬種はわからなかった。搬入しなければならならなかったが、一匹ではなく、十匹か、それとも数十匹いるのか、それさえわからなった。じゃあいったい何がわかっているのだ、そう詰問されたなら、答えに窮してしまう

脳に描いて

このたびは どうも ありがとう ございました   また こんな このたび が  ありますように   なんども この十年間 夜の枕もとで そう 言いきかせてきましたから   ぜひ  もういちど

もはや ない

かつて さまざまな人の 唇が開いて 音が流れていた   かつて さまざまな唇から さまざまな音が 流れ 溢れ 漂い そして すべて 消えた   あれから 七十五年の歳月が過ぎたけれど この脳には 何も

一行の愛

なぜ おまえが 好きになったか それだけは 話しておきたい つまり わたしにとって 愛は 生命でも 人類でも 神でも 理想や理念でもなく 眼前に座っている おまえだけだった おまえと愛しあうこと これが わたしにとって 

芦屋ビーチクラブ その60

 私の運営している文芸誌「芦屋芸術」の22号を今年の三月一日に発行予定。だからこの間、寄稿者の原稿の編集・校正に没頭していた。ほとんど終了。だが、私自身の原稿の編集・校正が終わっていない。午前四時頃からその作業を中心に時

後藤光治個人詩誌「アビラ」20号を読む。

 後藤光治さんから詩誌が送られてきた。    後藤光治個人詩誌「アビラ」20号 編集発行/後藤光治 2024年12月25日発行    構成は従来通りだから、私にはかなり入りやすい詩誌である。  まず巻

「千葉県詩集」第57集を読む。

 宮武孝吉さんから詩集を送っていただいた。    「千葉県詩集」第57集 発行人/秋元炯 発行人/千葉県詩人クラブ 2024年11月3日発行    一〇六名の方が詩を寄稿しておられる。それぞれ二頁が割

きた

てのひらの 上に ちいさな かけらが 置かれていた   それは 冷たかった だが 溶けなかった   溶けなかったが 冷たかった とても   冷たいまま ついに 凍りついてきた

水鳥のままで

 余程のことがない限り、毎日お昼ごろ、私は散歩に出かけている。だいたい同じ場所を歩いている。芦屋浜を歩きながら海を見つめ、公園から六甲山を仰ぎ、さまざまな思いが去来するのにまかせて歩いている。時折、キャナルパークへも足を

輝く未明

ここ数年 空白の中を歩いている ひたひたしていた足音が絶えた 足が消えた   歩くたび 足の裏の形が ひったりして 凹んでいた   少なくとも 九人の足 十八本の足首  すべてが 消えた  

詩誌「交野が原」第97号を読む。

 金堀則夫さんから送られてきた詩誌を読んだ。    「交野が原 第97号」 編集・発行人/金堀則夫 2024年9月1日発行    三十三人の詩人が三十四篇作品を発表している。そして評論・エッセイが二篇

芦屋ビーチクラブ その59

 一月五日日曜日、朝八時。今年初めての芦屋ビーチクラブ。  去年十二月から年始までの夜回りでまだ少し体を崩しているが、よし、ここは一発、積極的に体を動かして、飲酒病からの完治を目指した。  年始早々、気付いたことが一つ。

「百奇妙物語」紹介文の原案

 「泳いでいる」というテーマで書かれた百の物語を集成した作品集の紹介文。ここでは、この紹介文の原案をまずご紹介しようと思う。第一話は、「唇が泳ぐ話」。  確かにその館に入れば、サウナ状態になっていて熱い水蒸気がモウモウと

詩誌「現代詩神戸287号」を読む。

 永井ますみさんから詩誌が送られてきた。    「現代詩神戸287号」 編集/今猿人・神仙寺妙・永井ますみ 2024年12月10日発行    十七人の詩人が二十二篇の詩、そして「エッセイ」一篇と「あと

夜の食事

スマホのアルバムに 写真百枚分くらい 空白ばかり 残っている JR芦屋近くの いつものお店 2004年ものの 甲斐ワイン おいしいね そんな会話をして 食事をしたのは ついさっき 1月2日 昨夜のことではなかったか スマ

違うとTONはつぶやいた

今年の正月 三日未明 TONの住んでいる芦屋 天気予報では 晴れの予想だった だが いきなり 暴風雨がやって来た だが また なぜだ カーテンの向こう側 窓の外は快晴だった 満天 星星が煌めいている   意外だ

「恋」

秘密裏に脈々と続いている そりゃ そうだろう 続いているから 秘密   続かないから あれは噂かも

唇を飲む男

スライスしたリンゴの 芯の部分に 唇の形をした穴が開いている こんな簡単なことさえ 今まで 気づかなかった 今夜 初めて知った 知った以上 夜明けまで リンゴをスライスし続けて 今まで出会ったいろんな人の唇を 探し求めた