芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

福田須磨子の「われなお生きてあり」

 一九四五年八月九日、自宅にいた父と母と長姉は、原爆によって家もろとも灰燼に帰し、著者は勤め先で被爆、壊滅した長崎の原子野のかつて自宅があった場所に父の欠けた湯飲み茶碗を発見し、そこを掘ってみると三体の白骨が出てきた。おそらく彼等は居間で茶飲み話をしながらくつろいでいたのだろう。
 富裕な青果商の末子として生まれた著者は、北京に在住していて敗戦の年の十二月に帰国した次姉だけが身寄りで、わずかに残った資産も親戚連中にむしりとられる。その後、被爆者という烙印を背負って病院の入退院を繰り返しながら、貧困のどん底でさまざまな職業を転々し、被爆者に対して余りにも冷酷なこの世を漂流する。

 「われなお生きてあり」 福田須磨子著 ちくま文庫 1987年7月28日第1刷

 ボクはこれ以上、語る言葉を持たない。この本の初版は一九六八年七月三十日、筑摩書房より刊行された。事柄の真実はすべてに先立つ、そういっていいのではあるまいか。読後、ボクの脳裏にそんな言葉が浮かんで来た。 
 著者は、一九二二年に生まれ、一九七四年四月二日、原爆症で入退院の果てに五十二歳の生涯を閉じた。被爆者として常にのしかかる死の恐怖、そして生きる意味が長崎の原子野のごとく崩壊し荒廃した虚無との闘いの生涯でもあった。