芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

運命

 何故この子と知りあったのだろう。不思議だった。彼なりにあれこれ考えては見たが、今となっては運命の出会いだ、何か縁があったのだ、そう思う以外に手立てはなかった。結局、いくら考えても無駄骨に過ぎなかった。無駄な時間だった。答えのない疑問だった。とりあえずこの子の名前をE子と呼んでおく。

 事の発端が起こった家は五十階建ての巨大な公団住宅の八階辺りだったろう。薄暗い廊下に何十軒あるのだろうか、奥まで見通すこともできないくらいたくさん並んでいる玄関のひとつだった。まだE子が五歳かせいぜい小学校低学年だった頃だから、ずいぶん昔の話で、その家のドアホンは壁にベージュ色をした固定電話の有線の受話器と同じような機種が取り付けられていた。彼女はその受話器を取って左手に握りしめドアに背中を向けて廊下を走りだした。電話線が切れた。バシッとかなり大きな音がした。彼は彼女を抱きとめ、謝罪しようとして、もう一度その家の玄関前まで連れて歩いた。ところが、彼等が玄関の前に立ったと同時にドアが開き、五十歳前後の女が出て来て、

「どうしたんですか」

「この子がドアホンの線を切ってしまったんです。申し訳ありません」

 まあ仕方ないですね、その女がおだやかにそう答えたので、もうすっかり許されたのだ、彼はそう早合点した。その子の肩を抱いて廊下を数メートル歩いた時、騒ぎを聞きつけた女の姉が背後から、

「少し待ちな。許さないからね。必ず弁償してもらうよ。損害賠償するよ」

 

 途方に暮れていた。損害賠償は未成年のE子にはされず、その身元引受人であり管理責任者でもある彼にやって来たのだった。遅延金も含めてかなりの額になっていた。

 何度も召喚状が来て彼は出かけた。だが彼ひとりでは何処へ行けばいいのか見当もつかなかった。彼は兄に頼んで一緒に裁判所へ出かけた。ところがやはり兄も場所がわからずもう夜の八時に近かった。こんな時間に裁判所は開廷しているのだろうか。もし門が閉ざされていたら、遅延損害金はさらに膨らみ続けるだろう。ドアホンのために、破産だ!

 

 それからの話は、いよいよ錯綜し混沌としてくる。また、彼は語りたくもなかった。世を避けて現在カンボジアに彼は住んでいる。心の整理がつかなかった。ただ、これだけはお伝えしておこう。つまり、少女の成長はとても早い。今、E子は彼の妻だった。