芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ストリンドベリの「痴人の告白」

 先日読んだ戯曲「春のめざめ」、「地霊」、「パンドラの箱」の著者ヴェデキントは、一八九一年頃、パリで十五歳年上のスウェーデンの作家ストリンドベリと出会っている。そして、彼はストリンドベリが二度目の離婚をした時の妻、オーストリアの女流作家フリーダ・ウールとの間に一子をもうけた。

 また、一月ほど前に読んだトロツキーの「文学と革命 第Ⅱ部」(内村剛介訳、現代思潮社1969年5月15日発行)の中に「西欧にて(思いつくまま)」という論評が掲載されており、この論評は一九〇九年一月三十日から三月三日にかけて発表されているが、ストリンドベルヒについて言及していた。(同書220~221頁参照)

 こうした事情から、私は昔開いたこの本を再び開いた。

 

 「痴人の告白」 ストリンドベリ著 三井光彌訳 新潮社 昭和三年十一月二十日発行

 

 余談になるが、私はストリンドベリという名前を耳にすれば、鮮明に脳裏に浮かぶ文章がある。

 

 それは或本屋の二階だった。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新しい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリンドベリイ、イプセン、ショウ、トルストイ、……

 <中略>

 そこに並んでゐるのは本といふよりも寧ろ世紀末それ自身だった。

 <中略>

 彼は梯子の上に佇んだまま、本の間に動いてゐる店員や客を見下した。彼等は妙に小さかった。のみならず如何にも見すぼらしかった。

「人生は一行のボオドレエルにも若かない。」(芥川龍之介作品集第四巻、昭和出版社、昭和四十年五月二十日発行、211~212頁)

 

 何故か十代に何度も読んだこの文章が私の頭に浮かんでくるのだった。私は芥川の作品では、彼が死の直前に書いた「歯車」、上掲に引用した「或阿呆の一生」、「西方の人」、この三作を熱心に繰り返し読んだ高校時代の思い出が胸に迫ってくる。これらの作品は小説というより、告白、自伝ないし遺書に近い文章だった。この度読んだストリンドベリの「痴人の告白」と通底するものだった。小説からも崩れて、否、フィクションを頭の中で構成するのではなく、その手慣れた道を利用して、ここには、ただ緊張の余り遂に裂けんとする絹布のように痛切な実人生の文章だけが存在するのだった。

 さて、ストリンドベリは無神論者ではあるが、いったいどんな無神論なのか? 

 

 「神」は廃せられた、そして今や「女」が代ってその位置をしめた。(「痴人の告白」35頁)

 

 男爵夫人マリアと出会ったとき、主人公アクセル、もちろんストリンドベリのこの作品における仮名だが、彼はこのように述べている。しかし、ここで「女」と言っているが、それは決して女一般ではなく、あくまで男爵夫人マリアというただ一人の女性だった。従って、そもそもの出会いから彼女を聖なるものとして所有せんとしたため、彼は彼女の俗なるものを許すことができなかった。聖俗併せて愛すことができなかった。そればかりではなかった。彼女の男関係を疑い、彼女から生まれた子供を自分ではない別の男の子供ではないか、そういう猜疑に取り憑かれてしまった。彼女と同性の女友達との関係をも疑った。彼は執拗に推論し、その推論が真実だと妄想した。

 

 故国の人々に久しぶりで会って見ると、<中略>、マリアは神聖な殉教者で、私は、妻に欺かれたと妄想している狂人だ、と思われているのだ!<中略>

 私は病気になった、もう死期が近付いたと自分で思った程にひどく病気になった、そして、死ぬ前に自分の一切の過去の生涯を書いて残そうと決心した。自分は一の吸血鬼に騙され通して来た人間だという事を茲に至ってはっきりと発見した。この女の為めに塗り付けられた一切の汚辱を自分の体から洗い清めるまではどうしても生きなければならない、彼女の不貞な行いの動かぬ証拠を到る処に蒐集して復讐する為めに、再び生に帰らなければならない。(「痴人の告白」263~264頁)

 

 かくして、ストリンドベリはこの作品を執筆した。一八八七年九月、著者三十八歳の時に起稿され、翌年三月に脱稿している。フランス語で書かれ、著者は発表する予定ではなかったが、一八九三年、ドイツ語訳がベルリンで出版され、その後、一八九五年にフランス語原本がパリで出版された。因みに、ストリンドベリは妻シリ・フォン・エッセン(作品中のマリアの実名)と一八九一年に離婚している。

 この作品は、現実と妄想との間、愛と憎との間、興奮と冷静との間を激しくピストン運動する、世にもまれな作品だった。現実とそれに対応する妄想、それに伴う心情があたかも化学者の如く微細に記述され、驚くべき心の曼荼羅を描くのだった。貴重な作品だろう。