芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

夜明け前の恋

 梅雨明けが来て空が白むのはずいぶん早くなったけれど、まだ未明なのか、黒々とした室内のベッドに寝転んでいる私の脳の上に亡妻「えっちゃん」が生き生きとして動いていた。もちろん、後付けで「脳の上に」という表現をしてみたが、睡眠から目覚め始めて、これは夢だ、そう気付いた時にそんな言葉が閃いたのだろう。

 夢の中で、えっちゃんとはかなり長い間いっしょに生活していたが、今、この文章を書き出している午前六時前には、ほとんどの映像がぼんやりとして形を無くしてしまった。ただ、鮮やかに残像しているのは、前を膝下までボタンで留めるワンピースを着た彼女が足を崩した私の前で畳の上に横たわっているのだが、彼女の足もと近くに、思い出せそうで思い出せない顔の男がうつ伏せになって左手を伸ばし、手のひらで彼女の膝頭から足首に向かって繰り返し、柔らかい波が寄せるように、しなしな愛撫するのだった。彼女はじっと私を見つめて微笑んでいる。

 映像が黒ずんでしまって途切れているのだが、いつの間にか、私は亡妻「えっちゃん」を抱き起こし、すると、またしばらくすべてが黒ずんでしまって、辺りが薄明かりに浮かび出した頃には、私は右手で彼女の肩を抱きしめ、肩を並べて、灰色の街路を歩いているのだった。

「こんなことじゃ、別れた方がいいな」

「いますぐ、別れる?」

 私たちはこんなとりとめも無いやりとりを交わした。彼女はいつもの仕草で、下からじっと私を見上げ、優しく微笑んでいるのだった。

 亡妻の長い夢が消えていき、開いた両眼に暗い天井が映る間際に、「明日はえっちゃんの八回忌だ」、そんな言葉が私の脳裏に急流のような音をたてて流れていた。