芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ストリンドベリの「死の舞踏・其他」を読む。

 七月二十三日のブログで私は「痴人の告白」という長編小説の読書感想文を書いた。この作品は昭和三年十一月二十日に新潮社から発行された「世界文学全集 第28巻」に収録されていた。この本には同じ作者の作品で、戯曲が二曲と短編集が入っている。

 

 「死の舞踏・其他」 ストリンドベリ著 三井光彌訳 新潮社

 

 まず戯曲は、「死の舞踏」と「罪また罪」の二曲、そして「結婚物語」という短編集だった。この短編集は原書では三十篇で成立しているが、本書ではその中から六篇と、シェーリングの独訳書に入れられた「ロメオとユリア」という一篇を加え、合計七篇翻訳されている。

 ストリンドベリは生涯に三回結婚してすべて離婚しているが、ここに翻訳された「罪また罪」は二度目の結婚の破綻後、一八九九年に書かれている。もう一つの戯曲「死の舞踏」は三度目の結婚の時、一九〇一年に上梓された。

 私はストリンドベリという作家は自分の実人生の根元を見すえてその上に言葉を絨毯のように織りなしていく傾向の作風だと思うのだが、その絨毯の繊維は現実と妄想とが複雑怪奇に組み合わされ、入り乱れている。

 さて、「死の舞踏」の場合は、窮極のエゴイストの救済劇だった。救済へのキイワードはルカによる福音書第二三章三四、十字架に付けられたイエスの言葉だった。

 

 「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(日本聖書協会1954年改訳から引用。本書では文語訳)

 

 すなわち、神は人間のすべてを許している、窮極のエゴイストもまた神に許されている、ストリンドベリはそう表現している。無神論者だった彼が五十歳を過ぎて、神秘主義者になったのだろうか。少なくとも、徹底した自己否定の果て、この世を肯定して生きんとしているのであろう。

 もう一つの戯曲「罪また罪」も絶望からの回復を目指した作品だと言っていい。「死の舞踏」と併せて読むと、ストリンドベリの自己否定する姿がより鮮明に見えてくるだろう。

 短編集「結婚物語」は「痴人の告白」と同時並行して書かれている。特に、この当時の男女平等の価値観から出てきた女性解放の思想を厳しく批判している。極めて具象的なところから批判しているので、人間は平等だと結論している人でも一読する楽しみはあるのではないか。