芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

脳が休憩を要求する

 不思議な現象だった。原稿を読んではいるが、知覚はしていなかった。目で字面を追ってはいるが、つまり、「あ」は「あ」と認識しているが、脳の外に文字が存在していた。眼球に映像しても、内部までやって来なかった。

 この原稿は、去年の七月十九日から今年の四月一日にかけて、「芦屋芸術十号」から「芦屋芸術十三号」まで発行して、各号に掲載した「えっちゃんの物語」の改稿だった。全部で四篇の作品だったが、私はこの間、この四篇の作品をまとめ上げて、全四章で構成された一つの作品として完成せんと、悪戦苦闘していた。脳の活動を集中させ、その状態を週に五日くらいの割合で、一日数時間、調子のいい日には食事を挟んで十時間くらい持続させた。

 字面を追っていて、知覚不能になったな、そう意識したときには、既に全体が回転していた。大回転だった。前傾してほとんど這うような姿勢で寝室に辿り着き、右肩を下にしてくの字になって寝転んだ。仰向けになると嘔吐を催したのだった。

 きのうの午後三時頃から、きょうの午前四時過ぎまで、泥のように眠った。おそらく目覚める寸前だったろう、おびただしい人があちらこちらで歩いていた。亡妻えっちゃんもいた。彼女は何かイノシシのような獣と戦っていた。そういえば、えっちゃんはイノシシ年だった、何故かそう呟いたときには、もうほとんど目覚めに近づいたのか、薄闇のなかにおおぜいの人が渦になって消えた。

 おそらくこれが性分というものだろう。性懲りもなくベッドから引き剥がすように体を起し、ダイニングルームのいつもの場所で、ふたたび作品の推敲を始めていた。えっちゃんもイノシシと戦っているのだ。