芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

コロレンコの「マカールの夢」

 この作品は一八八五年「ロシア思想」に発表されたもので、極地ヤクウトの密林の中に住む貧農の夢を描いている。実際、作者自身が政治犯としてシベリアに追放されて働きながらその地で生き抜いているので、雪に覆われたスサマジイ自然と苛酷な労働の世界、この辺境を生き生きとした言葉に刻んでいる。また、過労にあえぎほとんどアルコール中毒になっている極貧の農夫が、クリスマスの雪の上に横たわりながら夢の中で、人間であることを否定されてきた自分の哀れな全生涯を共に泣いてくれる人々を見いだし、人間扱いされなかった自分の命を肯定するに至る。

 

 「マカールの夢」 コロレンコ作 落合東朗訳 日本ブック・クラブ発行 1973年3月20日七版

 

 私はこの物語の作者「コロレンコ」という音に耳を澄ましていると、この音をどこかで聴いていたな、そんな記憶が脳裏によみがえってきた。

 

 「ロシア文学論」 ローザ・ルクセンブルク著 「ローザ・ルクセンブルク選集第4巻、189~225頁」 救仁郷繁訳 現代思潮社 1970年1月10日新装第1刷 

 

 この「ロシア文学論」と題された作品は、ローザ・ルクセンブルクがブレスラウ監獄に収容された時、一九一八年七月、監獄内でコロレンコの作品「わが同時代人の歴史」をロシア語からドイツ語に訳した際、そのドイツ語版への序文として書かれたものであった。しかし、この序文はコロレンコのみならずロシア文学を中心に文学全般にわたって記述された論文になっていて、革命家ローザの本格的な文学論だった。従って、この論文はコロレンコの文学を理解する上でも重要な文章であるばかりか、革命家の頂点に立つローザの文学観を知る上でも必読書だった。

 例えば、ローザは芸術に関してこんな発言をしている。スターリン主義者やナチストのような或はそれに類する絶対的な理念を所有していると妄想する人たちはしばしば自らの思想的理念的立場から芸術を批判、意向に沿わない作品は排斥する傾向にあるのではないかと私は思うのだが、資本主義社会よりはるかに自由な世界を目指す超一流の革命家ローザは、まったく違った、自由な人だった。自分の革命思想にこだわらない彼女の自由なのびのびとした芸術感を知る一端として、例えばこの文章を以下に引用する。

 

 芸術のおいては、「革命家」とか「進歩的な人」というような鋳型は、もともと意味がないものである。(「ロシア文学論」194頁)

 <中略>

 真の芸術家にあっては、その人が推奨する社会救治策は副次的なものである。芸術家における芸術の源泉、活き活きした精神こそが決定的なものであり、芸術家が意識的に定める目標は重要でない。(「ロシア文学論」195頁)

 

 彼女はこうした表現の真実性からさまざまな詩人・作家の作品に迫って行く。反動作家、退廃芸術といった他愛のない一言で作品を切り捨てるわけではない。逆に、詩人・作家たちが表現した事柄の真実に迫ろうとするのだった。

 ローザはコロレンコに対してもさまざまな切り口から論評しているが、その一つをあげて私の拙文の幕を下ろす。

 

 コロレンコは短篇の一つの中でこう述べているー「人間の幸福、人間の貴い幸福こそ、魂にとって何か癒やす力、励ましになる力をもつものなのです。ご存知のとおり、いつも私が考えているのは、もともと人間には幸福でいる義務があるということです。」(「ロシア文学論」200頁)

 <中略>

 幸福は人間を精神的に健全にし、純潔にするということである。(「ロシア文学論」200頁)