芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

インゲ・ショルの「白バラは散らず」

 私達は、各自、互いに、出来る限り、物事を公平に判断できれば、あるいは、判断しようと一心に努めれば、よりよい方向に向かうための厳しい論争はあっても、相手を罵倒し、断罪し、終に相手を殺戮せんとする狂気の幻想に没入するまで理性が崩壊してしまう状態、言ってみれば、「悪魔=戦争状態」は発生しないのではないか? 物事を公平に判断するために、この私自身の考え方・感じ方を絶対的なるものとしない習慣を身につければ、同時にまた、抽象的美辞麗句ではなく具象的明証性を中心にした言葉を語る習慣をとことん身につければ、少なくとも、自分を神のごとき者として他者を否定する独裁者的観念は発生しないのではないか?

 例えば、過日、私はアドルフ・ヒトラーの本を読んでその感想文を「芦屋芸術」のブログに書いてみたが、先に言ったように、彼の考え方・感じ方だけを聞いて、「ソウダ! ソウダ!」、大声張り上げ合唱しないで、この時代、すなわちヒトラーの国家社会主義の時代に現れた彼の対極に立つ存在者にも光を当てることによって、事柄の真実がより明らかになるのではなかろうか?

 

 「白バラは散らず」 インゲ・ショル著 内垣啓一訳 未来社 1968年8月10日第4刷

 

 周知の通り、一九三九年九月一日にドイツ軍のポーランド侵攻によって開始された第二次世界大戦は、一九四二年の半ばからドイツ軍が侵略する東部戦線はソ連軍の反撃によって苦戦、翌一九四三年一月十日、ドイツ軍が占領していたスターリングラードをソ連軍が包囲・攻撃、二月二日、ドイツ軍は十万人近い捕虜を出して降伏、徐々にドイツ軍の敗色が濃厚になり始めた。

 このスターリングラードが陥落した二十日後、一九四三年二月二十二日、ドイツの民族裁判所のフライスラー長官兼裁判長によって三人のミュンヘン大学に在籍する若者三名、二人は男性の医学生、一人は女性の生物学・哲学を専攻する学生、彼等がギロチンで処刑された。罪状は国家反逆罪。以下の三名である。

 

 クリストフ・プロープスト 一九一九年十一月六日生 二十四歳

 ハンス・ショル 一九一八年九月二十二日生 二十五歳

 ゾフィー・ショル 一九二一年五月九日生 二十二歳

 

 いったい彼等はどんな罪を犯したのであろうか? それは彼等が「白バラ通信」という国家社会主義を批判するパンフレットを四冊、ビラを二枚、ひそかに謄写機で大部を印刷、ドイツ各地にばらまいた罪だった。それでは、その印刷物の内容は死刑に値するほどの危険物だったのか? その内容は、煎じ詰めれば、個人の権利と自由、各人の自由な個性の発達と自由な生活への権利を訴えるもので、既に戦争は行き詰まって前線では多くの若い兵士が犬死にしているのに戦争を強行し、その上、おおぜいのユダヤ人を虐殺している国家社会主義体制を廃絶して、自由で平和な時代の到来を心から希求するものであった。こんな当たり前の文章を書く若者を、信じられない話だが、ナチスドイツは断頭台に送ったのだった。

 これだけではなかった。さらにこの事件で死刑囚が出ている。

 

 アレクサンダー・シュモレル 一九一七年九月十六日生 医学学生

               一九四三年七月十三日 死刑

 

 クルト・フーバー 一八九三年十月二十四日生 心理学・哲学教授

          一九四三年七月十三日 死刑

 

 ヴィリイ・グラーフ 一九一八年一月二日生 医学学生

           一九四三年十月十二日 死刑

 

 例えば、この「白バラ通信」の中心人物であるハンス・ショルは東部戦線に従軍して、兵士がバタバタ死傷していく戦争の悲劇をつぶさに経験している。また、ハンスはそれ以前に、十五歳の時からヒトラー青年団に加入し熱心に活動していたが、この組織は人間の自由と個性を深めるのではなく、逆に訓練と制服による統制によって総統ヒトラーに絶対服従する若者の養成所であることに気づき、身をひいた経験も持っていた。従って、彼の「白バラ通信」による活動は、決して政治活動ではなく、いにしえから伝わって来たキリスト教を源泉にする良心の活動だった。ナチスの兵士として戦死するよりも自分の良心の声に従った活動による死を選んだ。彼の生前の姿、民族裁判所での真を貫いた在り方、ここには既に死を覚悟してまで真実を語ろうとする若者が立っている。

 余談になるが、このドイツの民族裁判所で国家反逆罪によって約五千件の死刑判決が出ている。なお、この「白バラ通信」や著名な「ヒトラー暗殺未遂事件」などの裁判長を務めたフライスラーは、五千件の内、半数以上の二千六百件の死刑判決を彼が出している。ちなみに、彼は一九四五年二月三日、米軍によって裁判所が空襲されたとき、瓦礫の下で死亡した。国家反逆罪。ドイツ人で、ナチスに抵抗した人々がこんなにもいた、これは知っておいた方がいいと、私は思う。

 この本の著者、インゲ・ショルは断頭台で処刑されたハンス・ショル、ゾフィー・ショルの姉である。著者はかつて共に生活した弟妹のその幼少時代から処刑までの日々を、決して器用な名文ではなく、静かに、淡々と語りかけてくる。切なく、悲しい。