頭がかゆくなった
作者別: Toru Yamashita
死
からだが なくなる
七月のアーモンド
終日雨の予報だったが、幸い、曇り空から雨は落ちてこなかった。 お昼ごろ、散歩に出た。きょうはちょっと寄ってみたいところがあった。総合公園の西南端あたりにあるアーモンドのささやかな小径。左右五本ずつ並んでいるだけの。
詩誌「現代詩神戸」285号を読む。
永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。 「現代詩神戸」285号 編集/今猿人・神仙寺妙・永井ますみ 発行所/永井ますみ 2024年6月10日発行 この詩誌は十七人の詩人の詩作品二十
詩誌「ガーネット VOL.102」を読む。
いま、こんな詩誌を読み終わった。 「ガーネット VOL.102」 編集・発行/高階杞一 発行所/空とぶキリン社 2024年3月1日発行 十人の同人の内、ひとりは休会中で、九人で運営されて
十年目のバラに
小雨の降る中、お昼ごろ芦屋浜から総合公園を散策。まっすぐ北に向かう中央の小道を選んで公園事務所の前に出る。そこにはバラが咲いている。誰もいない。わたしは毎年何度も飽きもせずバラ園をめぐり歩いている。十年前のきょう、七月
十年目の波音
雨があがったので、夕方芦屋浜へ出るといつになく波音が高い。久しぶりに海が荒れている。水際へ出てしばらく見つめていた。 まだ あなたになにがあったのか わからない わたしの中に 生きているのに 十年
詩誌「交野が原」第96号を読む。
金堀則夫さんから送っていただいたもう一冊の詩誌を読み終えた。 詩誌「交野が原」第96号 編集・発行人 金堀則夫 2024年4月1日発行 すべてを読み切った後、私は、私同様いわゆる「現代詩
十年後の声
近所のスーパーで食材を買い、夕方五時過ぎ、散歩に出た。 昼間の散歩は相当の暑さで過酷だった。土曜日だというのにほとんど人気はなかった。けれど、今は風も出て涼しくなっていた。散歩姿もチラホラ。 芦屋浜から総合公園に入
亀と白いキキョウ(続続続続)
昨夜、阪神芦屋駅近くのスナックで一人で飲んで、家にたどり着いたのは十一時を過ぎていた。 けさは少し寝坊してしまった。六時に起床。家事や朝食を終えて八時前に亀の池の掃除。一週間ぶり。というより、週に一度は掃除をしてやら
詩誌「交野が原」第95号を読む。
金堀則夫さんからこんな詩誌が送られてきた。 詩誌「交野が原」第95号 編集・発行人 金堀則夫 2023年9月1日発行 この詩誌は二十九人の作家の詩作品と三人の作家の評論エッセイ、そして十
たけにしよしかず個人詩誌「季刊ぽとり」第74号を読む。
武西良和さんから詩誌が送られてきた。 たけにしよしかず個人詩誌「季刊ぽとり」第74号 2024年6月1日発行 この詩誌はすべて著者の作品で構成されている。詩三篇、<万葉集を読む52>、<
十年間 だった
雨が降りそうで降らない。曇天ではあるが、時折雲の切れ間から陽が差し込み、蒸し暑い。Tシャツの背中ばかりか胸のあたりまで汗が。 やはり今日も真昼の旅に出かけた。旅といってもいつもの親水中央公園経由、芦屋浜めぐり、六甲山
クタとグダ
クタと クタを 重ねあわせたら クタクタ あなたはいつまでも グダグダ だから わたしはいつもクタクタ
もう笑いものになってもいい
猛暑日 阪神芦屋駅前を はだしで歩いていた コンクリートの熱で 足の裏をやけどした 帽子をうちわ代わりにして 午後二時十五分
知能を持つ穴
緻密な穴があるのがわかった どうやら その穴は いったん潜りこんだら 二度と脱出できない構造になっているらしい そんな噂が拡散したため 誰もがこの穴の存在を知りながら あえてもぐりこみ その構造を明らかにせんとする研究者
亀、無我夢中で。
昨夜七時ごろ、スナックへ一人で寄り水割りを飲んでいたら、超有名な元プロボクサーが私のカウンター席の隣に座った。テレビなどで作られたキャラクターとは裏腹に、気さくで素直な男。気軽なおしゃべり。顔立ちも優しくこれで世界チャ
言葉ひろい
散歩道には ときたま 言葉が落ちている 毎日 昼と夕に 親水公園を通り抜け 芦屋の浜から 総合公園を うろうろしてるので 言葉を拾っては こころの籠に収めて 海を見つめ 空を仰いでいる 違う お金じゃない
波に乗る言葉
午後零時過ぎ きょうも散歩に出た 朝から曇ってどんよりしていて もうここまで梅雨が来たのだろうか 親水公園を抜け 芦屋浜の東屋から 砂浜をたどり 浜辺に立った 水際でカラスの群れが遊んでいる 何羽も波を浴びて水浴を楽しん
十年 一昔だった
真昼の 暑い盛りに きょうも 芦屋浜から 総合公園に入った 中程に ビオトープへ向かう 道がある 人工の細流があって 小さな石橋がかかっている 昔は ジャックと 彼女がそばにいて 確かに小さいけれど とても晴れやかな場所
ヘンリ・ミラーの「北回帰線」を読む。
最近私はM・ミオ―&J・ランジュの「娘たちの学校」、ジョン・クレランドの「ファニー・ヒル」を読んだので、そう言った流れの中でこの本を読んだ。 「北回帰線」 ヘンリ・ミラー著 大久保康雄訳 新潮文庫 平成
六月の赤トンボ
真昼時 曇天の下 いつものように 芦屋浜から 総合公園を散歩した ムクドリが飛び交い カラスやスズメがはしゃぎまわって 木々も 芝生も 雑草も いちめん 六月のみどりに塗られている 西公園の池には コイが泳ぎ 今年初めて
わざわざ
ボクを慰めるために ボクの心の中まで 言葉がやってきた わざわざ ボクを慰めるために ボクはそれをノートに写した
不帰
チャリリン という音がした 耳をかしげた いったいなんだろう そのまま 首をかしげていた 午後三時から 夕暮れまで 音は二度と帰らなかった
亀と日曜日
きのう、土曜日に亀の池を掃除する予定だった。けれど、きのうのブログに書いた作品「男やもめ」の通り、午前三時ごろに起きて作品「診察室第三夜」を書いた後、五時前後からぶっ倒れて寝込んでしまった。 従って、まだ体は本調子で
歳月の過失
あちらこちらの街角や路地を歩いていた。果物屋の前を通り過ぎるとき、二人の男女が店先でしゃがんで、顔を彼の方へもたげている。男が立ち上がって中腰になり、女を指さしながら彼に話しかけてきた。 「この子があなたと一緒になりた
男やもめ
Ⅰ六月十五日朝五時過ぎ こんなことがあった めまいがして 倒れて 意識が 離れてしまった 夢だけになってしまった 帰れなかった Ⅱ朝八時過ぎ &nb
診察室 第三夜
(博士が語る) これはこれは。昨夜は眠れましたか。えッ? 眠れない? そいつはいけませんなあ。一日十時間、いや、それ以上に充分睡眠をとらなきゃあ。脳ミソがパサパサになって、粉末状に、つまり黄な粉になって荒れ狂いますよ。
「芦屋芸術二十号」が出来ました!
「芦屋芸術二十号」が出来ました。内容は以下の通り。 contents <招待作品> ほのかに薫る花冷えの回遊 藤井章子 5 人間性の回復
旅行に行っている
こころがなくなるより からだがなくなるほうが もっとつらい だから こんなふうに思えばいい まだ あなたは生きている きょうは 旅行に行っている *真昼の炎天下、午
浮かんでいた
ふたりのときは なにも浮かばなかった ひとりになってから 浮かんでいた いっぱい あふれるくらい あなたと遊んだ さまざまなときが *きょうのお昼、零
財布
薄暗い長い橋を渡って、この料亭で酒を飲み、支払いの段になってから、会議があったホテルのロッカーに上着をかけっぱなしだったのを彼は思い出した。上着の内ポケットに財布が入っているのだ。店に事情を説明して、灯りに浮かんだ階段
告知日
孤独なのか 悲しみなのか わからなかった わからなかったけれど きょうも 歩いていた *きょうは真夏日に近い暑さだった。午後零時過ぎ。散歩の途中、親水公園の木陰に立って真昼の空を
診察室 第二夜
(博士が語る) 君はなんだなあ、結局、夢を見ているんだ、夢を。 夢を見るのはいい。だが、君のように、夢を生きちゃあ、ダメだ。わかるかい? そうだろ? ベッドから起きて寝間着姿で長靴を履いて、近所の公園で遊ぶなんて。君
診察室
(博士が語る) 正常値なんてないのではないか。すべては大なり小なり狂っているのではないか。だって、もし正常値があるなら、いつの時代でも同じ正常値、同じ常識だけで生きていけるのであってみれば、人間の世界は苦のない世界、楽
激流になるまで
楽しい一夜を過ごした。そういえばこんな夜は久しぶりだった。酒もなかった。女もいなかった。ひとりぼっちだった。まわりは闇が囲んでいた。しかし、幸せだった。水の音がした。その音は、彼を拒絶するのではなく、和解しようとしてい
亀と蚊取り線香
普段から毎日家で酒を飲んでいるが、誰かに誘われない限り、滅多に一人で飲み歩くことはない。誘いの手が、この火曜日と木曜日にやって来た。夕方六時頃から、はしごして、午前零時頃まで飲んだ。 きのう、金曜日は午前中だけいつも
白昼夢
夢の中を列車が走っていた 運転手の姿が見えないので きっと おもちゃの電車だ そんなことを 考えながら 列車の座席に座っていた 大きな黒犬を連れた女が 通路を左から右へ歩いて 消えた 悲鳴が聞こえた あの女の声に違いな
唇に耳
破綻したのか 叫んでも 無音 壊れてしまったのか
来世
なにがなんだかわからなくなってきた 冷蔵庫に生ハムを入れておいたのに 子ブタが座っていた ボクの左手の人差指をくわえた 一気にのみ込んだ 大きくなって 冷蔵庫が破壊された モウと鳴いた 牛が立っていた そうか ボクの来世
書けない?
しばらく自問自答していた。書かないか、書けないか、あるいはもう書きたくもないのか、いったいどうしたというのだろう。ここ数日来、彼の頭には言葉が浮かばなくなった。不毛な自問自答だけが流れ続けていた。頭の中はもう空っぽだ。
芦屋ビーチクラブ その39
今朝のビーチには驚いてしまった。漂流物、つまり浜は流れ着いたゴミだらけ。大きな流木もある。八時から一時間くらいの清掃作業ではとても原状回復は無理。 それでも自分たちの出来ることはすべて、やりきった。メンバー、みんな、
亀と植木屋
昨夕、友人から電話があり、いつものスナックで落ち合った。帰宅したのは十一時半ごろだった。明日は朝八時ごろ我が家の庭の剪定に植木屋さんがやってくる予定だった。といって、もうほとんど明日になっているのだが。 朝、五時過ぎ
後藤光治個人詩誌「アビラ」18号を読む。
個人詩誌を運営していくのは、詩作品を発表する喜びだけではなく、詩を中核にした心の全体像へ接近する喜びもあるのではないだろうか。それは丁度、一方の皿に個人詩誌を発行する労力と費用と苦悩が乗せられていて、危ういバランスが取
「現代詩2024」を読む。
私は所謂「現代詩」と呼ばれている作品を三十代半ばあたりから余り読んでいない。従って、日本現代詩人会から送られてきたこの本に掲載されている詩をすべて読ませていただいた。 「現代詩2024」 編集・発行/日
時間への後悔
頭が言った 侮辱するな 足が答えた ごめんなさい 尻が鳴った ほんとにごめん 不満が噴き出した 脇が濡れて ほっぺがふくらんだ時 思わず平手打ちした ちょっと待て 私はその手の指を見つめ
脳、それは超自然物体だった。
脳は上がってゆく すいすいしている 果てはない 脳よ お前は超自然物体だ 脳は 既に無数 それぞれの脳は 固有の宿命を生きた だから かつて無数の宿命が存在した そして今もなお上がってゆく 宇宙にちりばめられた無数の宿命
「季刊イリプスⅢrd07号」を読む。
この文芸誌を松村さんから頂いた。私はこの4月の末に縁あって松村さんが経営している出版社澪標から「散乱詩集 一日、一詩。」という詩集を出したが、私の詩集の広告がこの文芸誌に掲載されているので送ってくれたのだろう。この文芸
危ぶない
これ以上 行き場がない 空間 空間であって もはや空間でない どんづまり 何も浮かばない 時折 ミシ ミシ という どこか 破れているのか 破れ目から 何かがやって来るとでもいうのか
芦屋ビーチクラブ その38
きょうは五月最後の日曜日。芦屋浜の清掃の日。 思ったよりゴミの漂着は少なかった。そのぶん、タバコの吸いガラが目立つ。おそらく暖かくなってきて、海を見つめ、タバコを一服。ステキな気晴らし。そして足もとに吸いガラ。愛煙家