津田文子さんから送っていただいた詩誌を読んだ。 「座」第80号 発行/座の会 2025年2月1日発行 七人の詩人が十一篇の詩を発表している。津田さんの手紙によれば、もう三十年近く発行して
詩誌「座」第80号を読む。

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津田文子さんから送っていただいた詩誌を読んだ。 「座」第80号 発行/座の会 2025年2月1日発行 七人の詩人が十一篇の詩を発表している。津田さんの手紙によれば、もう三十年近く発行して
私は二十歳の時に読んだ本を、今、読み終えた。なんでまた、こんな本を、もう一度。 <セリ・ポエティク>Ⅴ「トリスタン・ツァラ」 編者/ルネ・ラコート 訳者/浜田明 思潮社 1969年7月1日発行 &nbs
いいね いい 気持ち 毎日 こうであって 欲しい ふわふわ して欲しい でもね ふわふわ してるって そわそわ してるんじゃあないよ ちょっとした違いだけど ずいぶん違うんだよ ふ と そ だ
瞳は もっと 激しいもので いいと思う なぜって 恋は 見つめあうことから 始まるって そんな話 昔 聞いたわ これって どう 嘘なの どうしてなの 教えて あなた どうして そんなふうに うつむいて ふしめがちに わか
ことばは からだに ならない あたりまえじゃないか そうか それでは 逆も真なり からだは ことばに ならないんだ それじゃあ おまえさん あんたは ことばと からだと どっちが好きかえ 決まってらあ からだ とりわけ
喜ぶつもりで 絶望していた どうして そうなのか わからなかった カウンターに置かれた ロックの氷が 溶けていた そんなの 水に流せば いいじゃん 彼の頭が つぶやいていた そんな夜も あった
最近 また タバコを吸い始めた とても おいしい 二十年位前まで 一日 五十本 吸っていた ある日 ぷつん と火が消えた タバコの それ以来 吸いたい気持ちは 二度と 帰らなかった けれど であった スナックのカウンタ
溺れていた 確かに 溺れていたけれど まったく 気づきもしなかった また 気づこうとさえしなかった 足を踏みはずし 崖から 近所の公園の池に 沈んでいた 音もなく
最近、余り近づく機会がなかった。いや、そうじゃない。それよりも、もっと正確に表現するならば、あれはめっきり現れなくなった、そんな表現が相応しいのだろう。 いつも扉が閉まったままの文房具店。彼が覚えている限りでも、もう
夜の芦屋 小さな繁華街 午前零時過ぎ スナックからの帰り道 ある右手のひらが 彼の右肩に そっと おかれ いつしか 握りしめ でも 振り返らなかった 振り返らず その右手のひらを 背中の方に残し 黙って 歩き続けた 彼
頭が陥没しているのだろうか
にわかには信じがたいことだが、人間の体から波動のようなものが流れ出ているのだろうか。 彼女と出会ったのは時折訪れるスナックだった。五十代の女性。なぜか意気投合してその後、芦屋の小さな繁華街を食事、というより飲み歩いた
愛犬ジャックと散歩の途中 あなたは ちょっと スーパー寄っていい したい買い物があるの 出入り口のガラス扉から 客の邪魔にならないように 十メートルくらい離れて 五分だろうか 十分だろうか わたしは待ってい
いま、日本で「現代」詩を書いている人で、この詩人を一度読んでみよう、あるいは、読んで面白かった、あるいはまた、ちっとも面白くなかった、そんな時間を費やした人がたくさんいるのだろうか。どうだろうか。 <セ
壊れたらどうしよう、確かにそんな不安はあった。 サツマイモを薄切りにして、その上に作品を書いている。何度もインク瓶にペン先を浸して、何枚もの薄切りを積み重ねながら、それぞれのその上に、作品を書き続けている。こうした制
風のいたずらだろうか。思わぬところまで飛んでくるものがある。毎朝、庭掃除をするのだが、けさは常ならず異様な感慨を彼は抱いた。 確かに今まで、さまざまなものが飛んでくるのだった。冬になれば、家の裏の街路樹からわざわざ枯
ちらちら しているって いったい なんだろう スカートだろうか それとも イヤリング? まぶた かも ひとみ かも それとも くちびるのかたすみ 首すじ まゆ毛 ワンピースのライン くつした
それがどうしたというのだろう。 いったい、どうした? だって、ここまでしゃべりつづけて、ふいに彼は沈黙に落ちた。 何か言いたかった。けれど、伝えたいことはもう何もなかった。 つまり これ以上 何も言うことは
そんなこと わかっているけど わからなく なってしまう そんなときも ありました でも だから
悪口が いっぱい 流れていた 悪多川 流飲助 *彼に面と向かって罵られた悪口ではなかった。彼のあずかり知らないところで、ひそかに、さまざまな人に言いふらした悪口だった。そのさまざ
こんな噂を耳にした。 別に読者にこれは真実だ、そう信じていただきたいためにこんな文章を、わざわざ夜更けに勉強机に蛍光灯をつけて、書いているわけではない。そうじゃなくて、ある女性、彼にとって現在のところただ一人の大切な
庭石を置く話になってしまった。 もともとの話の入口は、決してそんな出会いではなく、もっと親密な関係になっていく、いや、もっとあなたと親密なお付き合いがしたいって、唇を笑みで飾り、伏し目がちに、彼の足元へそっと呟きを落
こんな本を読んだ。 「馬的思考」 アルフレッド・ジャリ著 伊東守男訳 サンリオ文庫 1979年4月5日発行 遅々と進まぬ読書体験だった。読了するのにかなりの日数がかかってしまった。昔買っ
左耳にくちびるを近づけて何やらしゃべっている。何をしゃべっているのかわからないが、吐息が耳たぶをつつんでいる。時折、くすぐったくなる。だから、こんな場合、吐息がしゃべっている、こう表現すれば真実めいてくるのだろうか。ど
これは序文だと言われた。よく見ると、彼の左手の中指と薬指の間から一本、細い管が突き出している。これだ、これが序文だ。 おまえが昨夜書いた本文、「いわれなき汚名」、あの短編作品の序文が、お前の体内で悲鳴を上げて、ごらん
未明 ベッドに寝転んで 天井を見あげながら つぶやいていた <会いたい> でも いったい わからなかった 誰に <会いたい> ただ 言葉だけ <会いたい> 浮かんでいた 天井に 何度も
原子力関連施設の一室で彼女と落ち合った。テーブルをはさんで、対面して。 核の重要性について、それを研究・保管する施設の必要性について、彼女は語り続けていた。……将来、人類の存亡をかけた戦い、絶滅か、それとも人類の最終
じっと 見つめあっていた なんでもないのよ 彼女は目を落した
白くなっていた。これからだと思った。これから開いていくのだ。 ただ恐ろしいことに、開いたままだったけれど。 三年後。開かれた地平に向かって、白砂が流れていた。眺め渡したがわからなかった。
机が、テーブルが歩きだした。 夜中に目覚めると、寝室にダイニングテーブルが置いてある。驚きあわててダイニングルームに駆け込むや、中央に勉強机。長年、寝室で使い古した奴が。 元通りに入れ替えるのは彼ひとりの力に余る。
「芦屋芸術二十二号」が出来ました。今年初めての出版です。内容は以下の通りです。 contents <招待作品> 海辺の誘惑 鍋谷末久美 5 蜉蝣(か
本棚の片隅から一冊の文庫本を探し出した。ある事情で、とても読みたくなった。その本は、これだ。 「老妓抄」 岡本かの子著 新潮文庫 平成20年8月5日58刷 この本には九編の短編小説が収録
未明になると いつも 彼は 解体していく とろけ ねば ねば ねば ずる 胴体は 紅色と緑色の混色ゼリー くずれ 首から上 両手 両足 はずれ ずるずるして ずるりん ぴくぴくし
なにもかも なつかしくなってきた この世で出会ったこと すべて なつかしいなんて あの時の その時の この時の あんなにイヤだって シリゴミしたことだって いまじゃア いっしゅん シーン と した &nbs
二週連続で休んでしまった。日曜日の朝、芦屋浜を訪れなかった。理由は簡単。シンプル。つまり、夜遊び。飲んで、酔って、場合によっては帰宅したら午前二時をゆうに過ぎていた。ただ、この歳になって、深夜、飲み屋を徘徊できるなんて
ビリビリになってしまった 過去が 一枚の紙の上に縮小され それを 彼女の両手の親指と人差指が つまみ ひねり 破り 捨てた まだ 生きてはいるが いま 彼は もう 彼ではなかった 一枚の 新しい 紙きれが
彼は刀なんて持ったこともないし、まして使った記憶なんてさらさらなかった。なのに、刃渡り一メートルくらいの日本刀らしき鍔のない、物珍しい鞘に納められた刀を携えているのが分かった。鞘はやけに華やかな絵柄、深い緑色の渦巻きの
彼の 眼前に 今でも 残された 彼女は 指 だけ とりわけ 左手の 人差指と 親指 二本 手首は なかった
夜を見ながら 生きて来た 夜を見ながら ペンを走らせるって トテモ ステキ じゃないか 夜の中で 夜を白紙に写し まき散らされた 星の上で からだは 崩れていく ごらん もう この世に 誰も いない
かさね あわせて いま 浮かぶ 開く そして あえぎ そして もっと もっと よ ねえ だから もっと じっと 深く 頭から 崩れ 腰へ
線状虫がやって来た いったい 何匹いるのだ 五本前後の黒糸触手をうごめかせ ねばねば 接着音をうめき出しながら 頭から やがて もぞもぞ 全身を覆い尽くした 細かい三角形の卵を寝室にまき散らし 無数の線状虫が孵った 死ね
新しい川が出来た そんな噂を耳にした 彼の住んでいる町には どまんなかに 芦屋川という川が昔から流れている 日曜日 彼は終日 新しい川を探し続けたけれど どこに流れているのか わからなかった 未明 頭の中に 流れていた
去年の七月の末、物故の詩人冨永滋の妻冨永多津子氏から一冊の詩集をご恵贈いただいた。早速その年の八月、一読した。だが、「芦屋芸術」のブログでご紹介することは出来ずにいた。それというのも、この詩人は私と同じ年に生まれ、二〇
視野が狭くなっていくのが分かった。このまま何も見えなくなるのだろうか。 最初、砕かれていた。微細に。いったいどうしたのだろう。すべてがゴマ状に破砕され、散乱していた。あたり一面、黒点、緑点、紫点、赤点、さまざまな色点
書くことは サヨナラすることだろうか だったら あなたに 手紙を 書いて このノートに 別れの 手紙を 書き続けて 毎日 サヨナラ
楽しく 生きていくためには 心は 離れなければならない 今まで 出会った すべてのものから すっかり 離れなければならない 楽しく生きるために すっかり すべてから
突然の 別れ あんなに いっぱい くちびるが 空に 浮かんでいたのに けさ 目覚めたら みんな 消えてしまった 畳に 破れて 三日月に似た 赤いゴム状の物 いっぱい
口に注意しなければならない なぜなら くちびるから すでに 愛ははじまっていた あの時 すでに
永井ますみさんから送られてきた詩誌を読んだ。 「リヴィエール198」 発行所/正岡洋夫 2025年1月15日発行 十一名の詩人が十三篇の詩を発表している。また、エッセイは六名の詩人がそれ
やはり思った通りだった。誰もいない舗道を歩いていた。虫はいるだろうか? 一匹でさえいない、絶滅した様子だった。もちろん、言うまでもなく、家一軒、並木もまた見えなかった。山も草も空もない。あるものといえば、一本の舗道の上