芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

芦屋ビーチクラブ その31

 きょうはちょっと寝坊して五時前に起きた。短詩を一篇書いた。後ほど挿絵を描いて「芦屋芸術」のブログに午前中には発表する。  六時になって家事を始めた。朝食の準備や花の水替え、庭の掃除など。八時十分前に家を出た。芦屋浜に向

そこで終わる

もうすぐ 「」(かぎかっこ)がやって来て あなたはその中で閉じられる   今まで 夢中になって書いてきた あなたの文章が   そこで終わる

松村信人の「似たような話」を読む。

 縁あってこの本を手にした。しかし、縁とはいっても、限りない偶然の果て、この本を開いていた。    「似たような話」 松村信人著 思潮社 2018年10月1日発行    これも偶然だったが、著者と私は

こうして死に近づいていくのです

彼は一日二個のゆで卵を食べている 朝 一個 昼 一個   十年前 妻を喪ってから 毎日 朝と昼を自分で作っている 夜はいつも外食だが   だから 一日二個の卵の殻をむく 十年一日の如し きょうまで七千

つくづく 彼は

十年間   あの世で待っている人がいる こんなことを確認していた   つまり 毎日 あの人で 明けて あの人で 暮れた   不思議だと思った つくづく そう思った   この十年間

壊れた柵を探し続ける男

 きょうは一日、老朽化した柵を探し歩いた。事が起きてからでは遅い。第一ホール第一打席のティーグラウンドの北側の柵がグラグラしていた。それを発見したため、彼はすべての柵を確認しなければならない、そんな信念を抱いて歩き続けた

ひととき

 きょうまで追いたてられて生きてきた。朝、インスタントコーヒーをすすりながら、仕事に出かけるまでのわずかなひとときを、こんな思いに彼はひたっていた。  いったい何に追いたてられてきたのだろうか。借金取りだろうか。待てよ。

破裂しそうだった

 どうしようもなかった。体が風船になってぷくぷく膨らみきっていた。頭の中でいろんな言葉がどんどん走っていた。走るなと叫んでも、走り続けるのだった。だからどうしようもなかった。彼は自分に言い聞かせていた。頭の中からいくらで

復活しちゃった

 期待が外れてしまった。あなたはお化けになって帰ってくれなかった。仕方なかった。彼はツマラナイ日々をツマラナイ本を読んだりツマラナイ詩を書いたりして暮らしている。  そうだ。何もかも仕方なかった。ツマリ、ツマラなかった。

狂いゆく脳

 なんの変哲もない話をしよう。   ある女性と食事を共にした後、駅の改札口で別れた。スマホで時間を見たらまだ九時過ぎだったため、このまま帰宅するつもりだったが心がわずかに揺らいでしまった。何故かこのまま帰ってしまうのが心

芦屋ビーチクラブ その30

 私はいつも我が家の庭に八年前に亡くなった愛犬ジャックの形見、彼の食事用のステンレスの円形容器に水を満たして、鳥たちの水飲み場のために木製の棚を作り、その上に置いている。そして毎朝食器をキレイに洗って水を入れ替えている。

ふたつのてのひら

 原因は不明だった。ウイルス性のものが全身を覆っているのだろうか。  この症状を痛みだといえばいいのか。苦しみなのか。それとも悲しみと痒みが交錯している、そう表現すればいいのだろうか。  ウイルスから身を守るため、まはだ

言葉は 言葉だけで

見えなかった 気づかなかった   何度もすれ違いながら 背中を向けて歩いてたんだろうか   そのたびに用事が出来てたんだ 玄関に帽子を置き忘れたりして   まったく容赦しなかったな あなたが

 特段これといった関係があったわけではない。ちょっとだけ顔見知り、その程度の間柄だった。  十年前に妻を喪ってから、いつの間にか行きつけになってしまった居酒屋でその夜も一人で飲んでいると、彼女が来た。扉口に立った彼女の眼

 開いていた引き戸を閉めた時、手前に立っていた室内物干しスタンドにあたり、洗濯物が部屋の床に散らばった。 「もっと注意してやらなかったら、いかんな」  背後で父の声がした。 「文句あるなら、自分でやってよ」  私はきっと

孤独

 夜中に目が覚めた。スマホを見ると二時を過ぎていた。もう一度瞼を閉じようとしたが、じっと天井を見つめたまま、まんじりともしなかった。だが私は思い切ってベッドから体を引きはがし、外着に着替えていた。  二月の終わりに近づい

芦屋ビーチクラブ その29

  あいにく今日は雨だった。芦屋ビーチクラブは中止。   朝、芦屋浜へは寄らず、九時半になって雨の降りしきる中を家を出た。芦屋で二ヶ月に一回、日曜日にやっている「ぺラゴス神戸」という文章の会に出席するために。   夕方、

不思議な頭

どうしたんだと言ったら こうしたんだと答えた   馬鹿じゃないかとシカッタラ シッカリシタラ しっぺ返しされた   わかった顔なんてしちゃイケナイ 注意すると きょうは行ケナイ なんてショートメールが

再生することはない

このまま終わっていくのかもしれない 地に落ちた枯葉が 宙に浮いて もう一度 小枝にとまり 緑色によみがえり 再生することがある 会議では 激論の末 この主張が否定された ものみな 再生はない 特定された生命体が 死体にな

詩誌「座」第77号を読む。

 津田文子さんから詩誌が送られてきた。    「座」第77号 座の会 2024年2月1日発行    六人の詩人が九篇の詩を発表している。それぞれ、生きてきた時間の厚みを感じさせる言葉だった。森山貞子の

泡の夜

人体が 泡に分解している トテモあわただしい話だった   両手がなかった まだ手のかたちは残っていた けれどそれは紫色の泡だった   だから気づいたんだ 全身が泡なんだろうと もう夢であっても なかっ

意味不明でもいいじゃないか

チーズと思ってかじったら 消しゴムだった おいしかったね そうつぶやいて かじられた消しゴムを 筆箱にしまった   ロンドンで ドローンしていた どうかしましましたか 三十前後の青年が真顔でたずねてきた アアお

芦屋ビーチクラブ その28

 朝八時ごろ芦屋浜に着くと開口一番、リーダーの中村さんから、 「山下さんは皆勤賞やな」  こんなお褒めの言葉を授かった。期待にこたえなければならない。まだやり残している東側の防波堤の下あたりに生えている雑草を抜くことを、

ペトロニウスの「サテュリコン」を読む。

 こんな本を読んだ。紀元65年ごろ、ローマ帝国のネロが皇帝だった時にその側近によって書かれた作品だった。    「サテュリコン」 ペトロニウス作 国原吉之助訳 岩波文庫 2023年7月27日第9刷  

芦屋芸術十九号が出来ました!

 芦屋芸術十九号が出来ました。三月一日が発行日ですが、きょう我が家に届きました。内容は以下の通りです。             contents <招待作品> 強い味方                     

無音の声から

声はつながっている 決して大きな声ではないが といって 小さな声でもない   それは無音の声 脳を走る声だった 生まれてからこのかた つまり ずっと   いままで その声はつながっている 脳の奥で そ

不思議なままで

ひとすじの川が流れている あちら側と こちら側を 引き裂くために   あなたはすべてを投げ出して もう一度 出来るのか この川を渡ることが 出来るだろうか   こちら側から あちら側へ あるいは あち

四元康祐の「シ小説・鮸膠」を読む。

 こんな作品を読んだ。    「シ小説・鮸膠」 四元康祐著 澪標 2023年7月25日発行    散文と詩と短歌を組み合わせて、鮸膠(にべ)という男の世界を構成した作品だった。この世に結びつこうとする

芦屋ビーチクラブ その27

 きょうの砂浜は昨夜の雨で湿っていた。  先週の日曜日、芦屋浜の掃除をしているとき、東側の堤防の階段の下あたりに雑草がかなり生えているのに気づいた。来週はそれを抜こう、そう決めた。  リーダーの中村さんに、「ボクはきょう

高階杞一の詩集「夜とぼくとベンジャミン」を読む。

 こんな詩集を読んだ。    「夜とぼくとベンジャミン」 高階杞一著 澪標 2017年7月20日発行    全体が五部に分かれている。いったいどんな詩集なのか、頁を開いてみよう。  さまざまな言葉の実

有馬敲の詩集「もっと 光を」を読む。

 こんな詩集を読んだ。    「詩集 もっと 光を」 有馬敲著 澪標 2021年6月10日発行    よみやすく、わかりやすい詩集だった。著者の八十代半ばから九十歳になった直後の心象風景を描いたものだ

永井章子の詩集「出口という場処へ」を読む。

 こんな詩集を読んだ。    「出口という場処へ」 永井章子著 澪標 2018年9月30日発行    全体が二部に分かれている。  前編は、「出口という場処へ」と題されて十三篇の詩で構成されている。「

落山泰彦の「旅と俳句のつれづれ草紙」を読む。

 私は今までにこの著者の本を三冊読んでいる。「石を訪ねて三千里」、「石たちの棲む風景」、「私の青山探訪」。すべて芦屋芸術のブログに読書感想文を書いているので参考にしてほしい。  著者の最初の著作は2011年2月発行だが、

頭蓋骨崩壊

頭の中で 雨が降り続けていた しとしと 十年間 毎晩   胴体の皮も手足の皮もメチャクチャ破れて ネチャネチャ崩れ始めて お粥になって 味噌汁状態になって   顔も 思い出も ぜんぶ豚汁になって ねち

恵方巻

 二月三日、友人から恵方巻をいただいた。翌朝、切って食べるのは面倒だからそのまま丸かじりしてしまった。おいしかった。  ところで、恵方巻って何だろう。知らなかった。ネットで調べてみると、節分の時に食べる魔除けご飯のような

芦屋ビーチクラブ その26

 きのうの夜の雨で、曇天の下、浜辺の砂は湿っていた。  二月最初の日曜日。きょうもまた午前八時から白い大きなビニール袋と火バサミを手に、芦屋ビーチクラブのみんなとゴミ拾いをした。  比較的ゴミは少なかった。  いつもより

詩誌「リヴィエール」192を読む。

 永井ますみさんから詩誌が送られてきた。    「リヴィエール」192 発行所/正岡洋夫 2024年1月15日発行    本誌には十三人の作家の詩作品十五篇、七人の作家のエッセイ七篇、また、二〇二三年

アレクサンドラ・アンリオン=コードの「コロナワクチンその不都合な真実」を読む。

 私は新型コロナワクチンを一度も打っていない。昔から注射が嫌いだった。自然体が好きだった。学生時代に強制的に打たされたのは別にして、社会人になってからインフルエンザのワクチンも含めてほとんど注射から遠ざかっていた。といっ

洪水映像

水が増えない 裏の土手では 滝になって落ちている もう朝日の出るころで 全体が薄ぼんやりしている そんな灰色やもやの中から 水があふれ  あちらこちら ほとばしっている チュッパー パッチュー チュパッチュー 水音が騒い

「アルファさん」、祝完成!

 今年の一月一日元旦から、本日三十一日まで一ヶ月間、毎日「アルファさん」を連載してきました。お話と線描画(落書)をセットで書き続けました。  一昨年の十月三十一日から十一月三十日までの三十一日間、また、昨年の十一月二十二

アルファさん 第三十一夜 別れ

 オメガちゃん。あの世からこの世にやってこれるのは、三十一日間だけなの。ごめんね。ずっといるからって、嘘ついて。でも、愛しあった奥さんもワンチャンもネコチャンもみんな喪って半ば狂ってしまったあなたの姿をあの世から見ていて

足が出ていた

きのう会った顔も 消えていた   頭の中は 無色だった   また 彼 あるいは 彼女と 何をしゃべったのか   右の耳は 無音だった   左の耳は 忘れましたと聞こえてきた &nb

アルファさん 第三十夜

 アルファさんはいつも笑顔だった。怒ったり悲しんだりさげすんだりしている表情なんて見たこともなかった。やさしい笑顔だった。愛情の波を感じた。  彼女といる時だけ、イヤなことを忘れて、ボクは純粋だった。いっしょにいるだけで

アルファさん 第二十九夜

 アルファさんはオレンジ色の水着を着ていた。  いったいどうしたんだろう。よく見れば、彼女の背後に屋外プールがあった。誰も泳いでいない冬の夜のプール。一月二十九日の未明。  どうなってるんだろう。ボクも濃紺の水着姿だった

芦屋ビーチクラブ その25

 一月最後の日曜日。快晴。  きょうの芦屋ビーチクラブでは、みんな白い大きなビニール袋と火バサミを手にして浜辺のゴミ拾い。もちろんボクもそれを手に、芦屋浜の東端から西端までウツムキながら歩いた。  何故かタバコの吸い殻が

アルファさん 第二十八夜

 こんな夜中に青空が広がっていた。月もなく星もなく、ところどころ綿雲が浮かんでいた。  一月二十八日午前二時。公園には人っ子ひとりいなかった。ボクとアルファさんはブランコに乗って遊んだ。ウキウキして、空に浮かんだ雲になっ