芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

親水公園にて その37

 きのうの未明、こんな夢を見た。

 妻が帰ってきて、立ったまま、開口一番、「水泳大会に参加して、疲れたわ」、うれしそうな顔をしている。確かに彼女は高校時代水泳部で、泳ぐことがトテモ好きだった。

「友達が来るの」

 そんな彼女の声がしたとき、五十がらみのイカツイ岩石に似た顔の男が立っている。見知らぬ男だった。正面から向きあった、そう思ったが、彼はもう食卓に両肘をついて、両手のひらの間から笑った顔を突き出していた。

 あわてて私は食卓に積んでいた本やノートをかたづけ、隣室の文机に置いた。机の上には数学の教科書とノートが開かれていた。長男が勉強しているな、私はそうつぶやいていた。この部屋は、妻と私が二十代前半に住んだ、国鉄西宮駅北側にあるアパートの一室に違いなかった。あの頃、私たちは極貧生活だった。

 夢の中の映像と認識はここで終わった。

 これだけのなんの変哲もない夢だったが、もう八年前にこの世を去っている妻の姿態が、今までの夢とは異なって、余りにも生々しく、艶めかしいほどあたたかく私の右肩に近づいていた。目覚めた後でもずっと私の右肩のそばに立ち続けていた。きのうは彼岸の中日だった。けれど、まさか、彼女がそのまま帰ってきたわけではあるまい。

 きのうの朝、家事を終えた後、私は「親水公園にて 序章」を書いた。「親水公園にて」というフォト詩集を何としても完成しようと思った。「序章」に添付する写真はやはり、妻との思い出が深い「六甲山」にしよう決めた。雨の中を親水公園から芦屋浜、芦屋総合公園を彷徨し、潮風大橋に出て曇天にけむった六甲山をスマホで撮っていた。だが、未明に見た妻の夢は書かなかった。まだそばにいるのに、書くわけにもいかなかった。

 きょう、朝から家事をやっているときでも、まだ彼女はあたたかいまま私の右肩のそばに立っていた。けれども私は妻の夢を書くことにした。そしてその文章を「親水公園にて その37」と題した。まだあたたかい姿でいるうちに抱きしめあって、たがいにサヨナラを言うために。

 

 

*写真は、親水公園の入り口。入り口といっても正規のものではなく、市道を越えた脇道からいつも私は侵入している。我が家からは最短だった。私と同じ不精な人が多々いるのだろうか。踏み固められた「けもの道」だった。