芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

D.クーパーの「家族の死」

 もうずいぶん古い話だが、一九七〇年前後の頃、個人的に言えば私が二十歳になるかならないか、そんな頃のお話だが、「家族帝国主義」という言葉があった。今でもこの言葉が残っているのかどうか、私は詳らかにしない。それはとにかく、この「家族帝国主義」の下には「粉砕」という言葉が続くのだった。つまり、「家族」は、帝国主義段階に達した資本主義社会を支える一単位、またその原型を反映しており、その偽りの愛を粉砕して、真実の愛を根底にした社会を創造していく、その頃の一部の若者たちの革命に対する熱い思いの一表現だった。

 

 「家族の死」 D・クーパー著 塚本嘉壽、笠原嘉共訳 みすず書房 一九七八年六月五日発行

 

 この本の原書は、一九七一年に英国で出版されている。まさに私が上述した、「家族帝国主義」、この言葉の内実を著者なりのさまざまな言葉で表現したものだった。この頃、英国も仏国も米国も日本国も、世界同時的な革命への情熱が一部の若者を中心にしてみなぎり、あふれかえったものだった。おそらく白人同士が徹底的に殺しあった第二次世界大戦、キューバ革命やゲバラのボリビアでの革命と死、朝鮮戦争、ベトナム戦争などが世界の若者の背に重くのしかかっていた時代だった。こんな世界に投げ出された自己がいかに世界に向かって応答すればいいのか、ほとんど迫害妄想に近い状況だったのかもしれない。

 私はこの著者の本では先日、「反精神医学」を読んでいる。この本は一九六七年に英国で発表されている。著者は精神科医であり、統合失調症の治療・研究から、この病の病因は物理的身体的なものではなく、主に一夫一婦制の家族という社会の抑圧機構の一単位から発症する、そう結論した。また、統合失調症の患者を治療する精神科医及びそのスタッフも、著者によれば社会の抑圧機構の一単位だった。彼等は所謂「狂気」を社会から隔離する任務を遂行しているのだった。従って、著者は、反精神科医として自己変革する途上で、反精神医学を提起したのだった。

 言うまでもなく、「家族の死」は、抑圧された自分自身の死、同時にまた人間を商品として取り扱う資本主義の死滅を意味するだろう。

 

 私は悲しんでいる

 死を抹殺することで解放する

 本当の暴力が少いことを

 愛をこめて死の真只中に

 爆弾を据える暴力が少いことを。(本書177頁)