芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

プリーモ・レーヴィの「溺れるものと救われるもの」

 この歳になってボクにもハッキリわかってきたことは、人はみなそれぞれ独自で一回限りの時間を生きているのであってみれば、他人の生きている時間を理解することは、トテモ困難な事柄だ、逆に言えば、この「ボクの生きている時間」を他人に理解してもらうのも、トテモ困難な事柄なのだ、こんな単純なことだった。まして、「アウシュヴィッツの時間」を理解することは、ボクにはほとんど不可能と言ってよかった。

 

 「溺れるものと救われるもの」 プリーモ・レーヴィ著 竹山博英訳 朝日文庫 2019年11月30日第1刷

 

 この本について、ちょっとわかったようなことを書くことが出来るのかも知れない。しかし、正直に言えば、ボクにはわからなかった。また、わかったような顔は出来なかった。著者自身、こう言っている。

 

「ラーゲルの歴史は、私もそうであったように、その地獄の底まで降りなかったものたちによってのみ書かれたと言えるだろう。地獄の底まで降りたものはそこから戻って来なかった。あるいは苦痛と周囲の無理解のために、その観察力はまったく麻痺していた」(17頁)

 

 これほどまでに、アウシュヴィッツという時間の真実は、プリーモ・レーヴィにしてから、語り尽くすことは出来なかった。語り尽くすことが可能かも知れなかった人々は、「そこから戻って来なかった」のであってみれば、著者の自責の念の深さ、もしこう言ってよければ、無実で存在することの罪の深さを、ボクは知った。言い換えれば、生き残った人々は、ひょっとしたら、ただ「生き残った」という事実だけで、日夜、罪の意識と「戻って来なかった人々」の幻覚に責め苛まれたのかも知れない。

 また、プリーモ・レーヴィはこうも言っている。大切なところなので、少し長くなるが引用したい。

 

「ラーゲルの『救われたものたち』は、最良のものでも、善に運命づけられたものでも、メッセージの運搬人でもない。私が見て体験したことが、その正反対のことを示していた。むしろ最悪のもの、エゴイスト、乱暴者、厚顔無恥なもの、『灰色の領域』の協力者、スパイが生き延びていた。決まった規則はなかったが(人間の物事には決まった規則はなかったし、今でもない)、それでもそれは規則だった。確かに私は自分が無実だと感じるが、救われたものの中に組み入れられている。そのために、自分や他人の目に向き合う時、いつも正当化の理由を探し求めるのである。最悪のものたちが、つまり最も適合したものたちが生き残った。最良のものたちはみな死んでしまった」(104~105頁)

 

 従って、ボクのような劣等の読者が、この書を理解したなんて傲慢な態度は、ちょっと恥ずかしくて出来ない。傾聴するのが精一杯だ。

 ただ、これだけは学んでおいた方が身のためだろう。自由で楽しく人生を送る基本知識だ。これなら劣等生のボクにも理解できる。つまり、著者は「アウシュヴィッツの時間」がまたどこかで再生する可能性がある、そして、その時は、少なくともその国がこんな状況になっていく、ヤマシタ君、理性を逸脱した「美しい言葉」で国民を洗脳する権力者に注意しろ、そう警告している。

 

「不寛容、権力への野望、経済的理由、宗教的、政治的狂信主義、人種摩擦などで生み出される、未来の暴力の大波から逃れられると保証できる国はほとんどない。だから感覚を研ぎすまし、予言者、魅力的な魔法使い、良き道理に支えられていない『美しい言葉』を述べたり書いたりするものに、警戒をする必要があるのだ」(265頁)

 最後に一言。巻末の年譜によれば、この本は一九八六年四月に発表され、翌年四月十一日に著者は自死した。