芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ルドルフ・ヘスの「アウシュヴィッツ収容所」

 正月早々、重い話をかかえこんだ。……というのも、ボクも長い人生の中で、激昂の余り、他人を絶対否定しようとする傾向になったことは一度ならずある。しかし、そんな状態はいつまでも続かない。ボクの場合、怒りが冷めてくると、たいてい、遅かれ早かれ、自らを恥じて、その他人と和解した。

 ところで、ある特定の他人を否定することがその国家の社会的正義だとしたらどうだろうか? ある特定の他人、例えばロシアの共産主義者とかジプシーとかユダヤ人はそもそも人間ではなくゲルマン民族ドイツ人にとって人種生物学的にいって有害な畜生であり、反国家的生物であり、混血を避けるためにも殲滅しなければならない。ユダヤ人に至ってはこの戦争のあいだに絶滅しなければ将来ドイツ人を絶滅するであろう。これが社会的正義だと決定されたなら、いったいどうであろうか? この世界で真面目に仕事をするということは、毎日数千人のユダヤ人を虐殺することだった。

 

 「アウシュヴィッツ収容所」 ルドルフ・ヘス著 片岡啓治訳 講談社学術文庫 2001年3月21日第7刷

 

 この著者の考え方は端的に表現すればこうだろうか。「全SS隊員が、その世界観の熱烈な信奉者となった暁には、アドルフ・ヒトラーの国家は永遠に安泰であるだろう。自らの自我を理念のために完全に放棄することを欲する熱狂者によってのみ、一つの世界観は支えられ、永遠に維持されるのである」(本書184頁)。

 従って、このアウシュヴィッツ収容所の所長だった著者は、戦後、アウシュヴィッツで絞首刑の判決を前にして、ガス室でユダヤ人を大量虐殺した指導者のSS隊員だったことに対していささかの罪意識もなく、この手記でその事実の詳細を淡々と語り続けている。上司ヒムラーの命令に絶対服従し、右顧左眄することなく、信念を持って、毎日数千人のユダヤ人をガス室で虐殺するアウシュヴィッツ収容所の所長として精力的に活動した。その事実を極めて真面目に書き続ける。そしてそれが、つまり上司ヒムラーの命令を忠実に実行することが彼にとって人生で最も大切なもの、社会的正義だった。……やはり、同盟国だった日本人も気をつけた方がいい。