芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「W・Sひょうご 20年のあゆみ」を読む。

 ウカツだったとはいえ、私はいままでDVに関してほとんど無関心だった。そしておそらく私だけではなく、おおぜいの人々が、いまだ無関心ではなかろうか。各自、さまざまな事情によって。例えば、私たちは、「たち」とはつまり私と六年余り前に永眠した亡妻にとっては、たがいに愛しあって毎日楽しい生活を送っていたので、DVの惨状に思いも及ばなかった。また、私たちのご近所でもそういった惨状のウワサは耳にしなかった。もちろん、家庭の内情まで存じあげないけれども。

 惨状、そう、DVという言葉によって無関心だった私がまず思い浮かべるイメージといえば、同じ屋根の下で暮らす同居者からの一方的な暴力、同居する相手の精神あるいは肉体を物体化する、言い換えれば、一方の強者は精神で他方の弱者は単なる物体だと、そんな錯誤の毎日だった。だから、弱者の物体がもう一度人間として復活するためには、とりあえず、惨状を繰り返す屋根の下から脱出しなければ如何ともしがたいのではないか、私はそんなふうにもイメージするのだった。

 

 「W・Sひょうご 20年のあゆみ」 編集・発行 W・Sひょうご 2020年10月

 

 この本は、亡妻の大の仲良しだった女友達からきのういただいた。早速読んでみたが、そして彼女からDV被害者の救援活動をしているのは既に耳にしていたが、今回、この本を開いて、DVにまったく無知だった私も、私など知らない場所、いや、知ろうとしなかった場所で、同居者のバイオレンスに苦しんでいる人々がこんなにもいるんだ、おそらく、ワラにもすがる思いで「W・Sひょうご」に電話し、面談し、場合によってはシェルターに保護されたのだろう。日本人であろうと、中国人、フィリピン人、ブラジル人、インドネシア人であろうと、へだたりなく対応したことも、これからの日本の進むべき道として、大きく評価されなければならない。

 一九九八年に準備会を発足させ、二〇二〇年三月に活動を終了したおおよそ二十年にわたる活動記録、これがこの本の姿だった。惜しむらくは三十五号まで発行されたニュースなどの資料も記録として残して欲しかったと思うのは、私ひとりではあるまい。

 この活動によって救われた人々、慰められた人々も多々あったろう。ありがとう。そして、お疲れ様でした。