芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

今村欣史の「完本コーヒーカップの耳」

 確かに文章はいったいどこから出てくるのかわからない。頭から出てくる、そう言ってしまえばそうに違いないのだけれど、この本の文章は阪神沿線西宮駅近辺のとある喫茶店から出てきた。

 

 「完本コーヒーカップの耳」 今村欣史著 朝日新聞出版 2020年2月28日第1刷

 

 書名の「コーヒーカップの耳」の「耳」は、喫茶店「輪」のマスター「今村欣史の耳」だった。そしてこの書は、このマスターの耳に登場する、彼の経営する喫茶店の「お客さんのお話」を再現したものだった。五十名余りの常連のお客さんが、なかなか他人にはしゃべれない自分の過去の経験を、何の利害関係もなくて親しくなったマスターにうっかりしゃべってしまった、千夜一夜物語ほど長くはないが、大阪弁の人情話の数々だった。

 読みやすくて、肩がこらない、それでいて人情の機微がしみいる小話だった。静かな喫茶店でコーヒーを飲みながらこの書を開くのも、一興だろう。