芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

レーニンの「帝国主義論」

 第一次世界大戦の最中、一九一六年春、著者が亡命中のスイスのチューリッヒでこの本は書かれた。その当時交戦中の先進資本主義国、すなわち、イギリス、フランス、アメリカ、日本、これらの国々と交戦するドイツ、この五大国は「資本主義の最高の段階としての帝国主義」国家であること、全地上に存在するほとんどの土地を植民地として分割が完了しているが、帝国主義国家それぞれの力関係の不均衡が発生し、各国がさらに自国に有利な権益を求めて激しい再分割のための闘争が開始されていること、そしてその根元には資本主義社会の生産の集積による自由競争から独占への転化、巨大な企業・巨大な銀行・巨大な軍事力を背景にした政府が癒着して、もはや帝国主義段階に至った先進資本主義国はその利害対立を戦争によって解決する以外に残された道はない、経済・政治の客観的事実をその当時の資料・経済学論文などを駆使してこの書は明らかにしたのだった。

 

 「帝国主義論」 レーニン著 副島種典訳 国民文庫 1971年1月30日 新訳第24刷

 

 私にとって、トテモ懐かしい私の百冊の本のうちの一冊だった。私は思い出す。この本を勉強するため、宇野弘蔵の「経済政策論」にも手を出した。宇野氏は、私はマルクスが知らなかったことをひとつだけ知っている、それはレーニンの「帝国主義論」だ、どこかでそういった主旨のことを述べていた、私の脳裏にそんな記憶まで残っている。余談になるが、宇野氏は、資本論第二巻の再生産表式における拡大再生産の延長に帝国主義を論じたローザ・ルクセンブルクの「資本蓄積論」を批判しているが、言うまでもなく、これは宇野理論でいう原理論と段階論の区別と関係にもかかわる問題ではあるが、関心のある方はご自分で勉強していただくとして、あの頃、つまり二十代前半だったが、私はさまざまな事柄、例えば彼は小説では太宰治や井伏鱒二の語り口が好きだと告白しているが、また、私は経済学の一学徒であって社会主義者ではないとも告白しているが、そういった事柄も含めて、宇野弘蔵から学んだことは深く広く、今でも心から感謝している。

 私の話はドンドン横道へそれてゆく。この歳になって、もう性格は変わらない、変えようもない、なお、いまさら、変えたくもない。ところで、もちろん私は経済学も革命理論も専門家ではないので、レーニンの「帝国主義論」、この書は私が見る限り経済学の根元を著者レーニンの革命理論が裏打ちしていると思うのだが、学問的にどうこう論じる能力なんて、私にはない。それならば、君、何故こんな本を読むんだい? ハイ。その答え。私が若い頃に強くひかれた事柄に向きあって、こんな歳になってしまったが、もう一度主体的にかかわっていきたい、あれだけ心がひかれた事柄の真実はいったい何だったのか? これを見極めたい一心で私は読書するのです!

 イギリスにおける産業資本は一八六〇年代にその頂点に達し、その頃マルクスは産業資本をモデルにして「資本論第一巻」を書き上げ発表するのだが、その後、一八七三年の恐慌以来、所謂「カルテル」が発展し、十九世紀末の活況と一九〇〇年から一九〇三年にわたる恐慌によってカルテルは全経済生活の基礎となり、資本主義は帝国主義に転化する(本書28頁を参照)。従って、二十世紀に至り、古い段階の産業資本主義から新しく形成された独占体、金融資本が経済社会を支配する新たな帝国主義に転換した、これがレーニンの基本的な二十世紀初頭の資本主義社会の認識だった。また、帝国主義段階に達した資本主義の特徴として、古い資本主義が基本とした自由競争による商品の輸出が、独占体が支配する資本主義は資本の輸出が典型的となった。だから言うまでもなく、二十世紀になって、先進資本主義国における独占団体の成立は、資本蓄積の巨大な規模に至った少数の富裕層が独占的な地位を確立し、その過剰資本を有利な投資へ、例えば植民地の民衆を収奪する方向へ投資された。反抗する植民地の民衆を弾圧するため、背後に軍隊を並べていたのは周知の通りであった(特に本書80~81頁参照)。この結果、先進資本主義国間において、その収奪する植民地の分割のための闘争、「経済的領土のための闘争」を基礎にして、一定の関係が形成されていった(本書98~99頁参照)。もちろん過剰資本の形成は、少数の巨大銀行が参加した巨大企業における株式や社債などによる資本の調達、国家が発行する債券を巨大銀行が民衆から調達した資金で引き受け融通する、そういった手法でいよいよ加速するのだった。かくして、世界はひとにぎりの高利貸国家と圧倒的多数の債務国家とに分裂した。(本書130~131頁参照)。

 さらに付言しなければならないのは、レーニンは革命家としてその当時の帝国主義国家だけではなく、例えばドイツ社会民主党も批判しなければならなかった。この書では、特に修正主義者・日和見主義者カウツキーを中心に批判して、所謂「労働貴族」の発生を論じている。興味があれば直接この「帝国主義論」を読んでいただきたい。というのも、帝国主義国家の中国分割について論述しながら、「帝国主義は、世界の分割を意味し、ひとり中国にかぎらぬ他の国々の搾取を意味し、ひとにぎりの富裕な国々のための独占的な高利潤を意味するものであって、それはプロレタリアートの上層部を買収する経済的可能性をつくりだし、そのことによって日和見主義をつちかい、形どらせ、強固にする。」(本書135頁)。実際、ドイツ社会民主党の議員はカール・リープクネヒトを除いてすべての議員が戦争の戦時公債を国会で承認している。ご存じかと思うが、戦時下、一九一六年五月一日、メーデーの日、ベルリンのポツダム広場でリープクネヒトは「戦争はやめろ!」と民衆に向かって演説して逮捕され投獄されている。かの著名なる革命家ローザ・ルクセンブルクも、政府・資本家が自分たちの利権のために戦争を始めるが、実際に戦地で血を流すのは自国の労働者・農民と他国の同じ労働者と農民である、だから、世界の労働者・農民に向かって彼女は叫ぶ、「戦争はやめろ! 政府を倒せ!」

 その後の、ロシア革命の成立、リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクたちの虐殺、レーニン亡き後、スターリンの指導によるソビエトの歴史、一九九一年のソビエトの崩壊、これは「帝国主義論」とは違った時空に属するもので、より深く理解するためにはそれなりの研鑽が必要なのは論を待たない。

 第二次世界大戦後、先進資本主義国はかつてない高度成長を成し遂げ、各国の政府は豊かな税収を国民に分配する所謂「福祉国家」を目指している。レーニンの「帝国主義論」は既に過去の遺物であり、戦前までは通用した経済学の学説の一個の古典だろうか。現代はもう、巨大産業・巨大銀行・政府の巨額な軍事への投資、それを背景にした外交、そういった状況は消滅したのだろうか。