芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

八原博通の「沖縄決戦」

 厖大な悪夢を見ていた。そしてそれは悪夢ではなく、現実だった。より正確に表現するならば、現実が悪夢を超えて押し寄せてきた。

 

 「沖縄決戦 高級参謀の手記」 八原博通著 中公文庫 2015年6月25日再版発行

 *この本は、1972年8月、読売新聞社で発刊されたものを中央公論新社が文庫化した。

 

 さて、この本は、戦争としてはまことに奇妙な話だが、第二次世界大戦の末期での沖縄、最初から沖縄駐留の日本軍が敗戦することを熟知した上で、アメリカ軍を出血し、消耗させ、沖縄本島に出来る限り長期間引きとどめて、日本の本土決戦を有利にせんと志した沖縄守備軍第三十二軍高級参謀の手記だった。その上、さらに奇妙な話だが、この高級参謀は、アメリカ軍の圧倒的な軍事力によって、本土決戦でも日本軍および日本の民衆は玉砕し、日本帝国は壊滅すると認識していた。壊滅する時期を半年先まで延命させるか、いや、一年先まで何とか延命させるか、それが沖縄戦における使命だ、この高級参謀はそこまで明晰に認識していた。

 まず、私が何故この本を手にしたのか、そのいきさつから書いてみたい。

 過日、私は吉本隆明の「高村光太郎」(飯塚書店版)を読んで、高村光太郎が書いた「琉球決戦」という戦争詩を初めて目にした。この詩は一九四五年四月二日に「朝日新聞」に発表され、所謂「一億玉砕」、あるいは、「一億特攻」の詩的表現であり、日本の民衆へ向けた玉砕へと誘導する詩と言うより、この際ハッキリしておこう、これは詩ではない、上手に書かれたアジテーションだった。同時に私は、このアジテーションが発表される二十日余り前、三月十日、東京大空襲により東京は半ば破壊され、新聞やラジオの報道だけではなく、おそらく、その惨状を高村は眼前にしただろう。しかし高村は眼前の事実を一切無視し、むしろ日本民族精神主義に一層のめり込んだのだろう。さらに私は推量した。この「琉球決戦」という巧みなアジテーションを朝日新聞紙上に発表した頃、既に三月辺りから連合軍が沖縄に集結し、いよいよ沖縄で開戦した期をとらえて、「琉球やまことに日本の頸動脈、/万事ここにかかり万端ここに経絡す。」(「琉球決戦」7行~8行)、この玉砕へのアジテーションをタイムリーに発表したのだろう。

 上記のようないきさつで、私は沖縄における四月一日から始まった連合軍の沖縄上陸、それに対抗する日本軍の姿をより正確に学びたい、トテモ長い前置になってしまったが、かくして、八原博通の「沖縄決戦」という本を開いたのだった。

 さて、沖縄決戦の前年、三月下旬に高級参謀として沖縄に赴任した著者は、戦略の計画を準備する毎日を送るのだが、その年の十月十日、連合軍の空爆で那覇市の大半が焼尽に帰した時、このような感慨を抱いている。ひとつは、焼夷弾による火災現場をバケツの水送り方式防空法など児戯に等しいこと、ふたつには、大本営は航空至上主義にもかかわらずほとんど友軍機の出撃の指示が為されず、空しく郷土は蹂躙され、家を焼かれ、県民は肉親を失った。(本書65~66頁参照)

 

 そればかりではなく、詳細は本書に譲るが、大本営と沖縄の現場の軍部との亀裂、それは大本営が自分たちの考え方を絶対視して現場を顧みないことに主として原因しているのかも知れないが、当初作成していた戦略の抜本的な変更を著者は余儀なくされる。こうしたさまざまな過程の中で、その十二月頃だろうか、著者はやがてやって来る沖縄戦の終末を予感している。長くなるが、敢えて引用しておく。

 

「日本の運命も見え透いている。自己の運命も決定的である。軍司令官や参謀長は、人ごとにそしてあらゆる機会に、沖縄必勝を説法されるが、これはおそらく軍統率上の便法であり、沖縄県人の民心安定の配慮に出るものであろう。

 戦勝はこれを信ずるものに帰すというが、それは勝敗の公算が浮動しある場合の話で、わが第三十二軍の如き状況ではない。私にはことの帰結があまりに明瞭である。多情多恨にならずにはいられない。親切に身辺の世話をしてくれる当番兵にも、そのやがて来る運命を思い、軽い憐れみをさえ覚える。司令部の食堂で、賑かに談笑しつつ食事をする牛島将軍以下数十名の将校眺め、この親愛な将校全員が玉砕する日の光景ー事実そうなったーを想到し、思わず暗然となり箸をおくこともあった。」(本書93~94頁)

 

 もちろん、私は軍事の専門家ではなく、沖縄戦における八原高級参謀の戦略の是非についてとやかく論じるつもりはない。ただ、さすがこの沖縄戦の戦略を考え抜いて実行した著者の精細にわたった戦争状況の推移の記述を読んでいると、さながら、沖縄本土の激戦地をめぐり歩く思いがした。そして、言うまでもなく、第三十二軍は完全に潰え去り、軍司令部は戦争を断念する日が来る。昭和二十年六月二十三日午前四時三十六分。

 

「ようやく彼らをかきわけ、出口に顔を出そうとする一刹那、轟然一発銃声が起こった。騒然たる状況に敵艦からの砲撃かと思ったが、経理部長自決の拳銃声だったのだ。今度は坂口が両将軍着座の瞬間、手練の早業でちゅうちょなく、首をはねたのだ。停止させられていた将兵は、堰を切ったように断崖の道を走り降りた。

 高級副官、坂口大尉、私の三人は出口に転がっているドラムかんに腰を下した。坂口は私に「やりました!」と顔面蒼白ながら、会心の笑みを浮かべた。」(本書438頁)

 

 ここに、沖縄県生活福祉部援護課が一九七六年に発表した沖縄戦による被害状況をあげておく。

 

 日本側死者・行方不明者  188,136人

   その内  沖縄県外出身正規兵  65,908人

        沖縄出身者     122,228人

         その内  94,000人が民間人

   日本側負傷者数は不明

 アメリカ側死者・不明者  20,195人

         戦傷者  55,162人

 イギリス軍死者         85人

 アメリカ軍戦闘外傷病者  26,211人

 

 もうひとつ、この本を読んで気づいたことは、現在イスラム過激派などで盛んに用いられている戦術、所謂自爆テロのことだが、沖縄戦でも空軍や海軍の若い兵士達の自爆攻撃ばかりか、陸軍でも爆弾を抱えてアメリカ軍の戦車へ突撃する日本兵がたくさんいた、そして敵軍に大きなダメージを与えた、そうした事実を私は学んだ。また、上記に見たとおり、敗戦の責任を取って沖縄第三十二軍司令官牛島満中将、参謀長長勇少将は自決した。私は、戦記物に類した書物は読むのが恐ろしくて、記憶にあるのは、せいぜいトルストイの「戦争と平和」やショーロホフの「静かなドン」を読んだくらいで、第二次世界大戦も詳しく勉強していない。ただ、この戦争の日本側の中心人物、所謂A級戦犯と呼ばれた人々から始まって美しい一億玉砕詩を謳って民衆を扇動した詩人や思想家に至るまでの人々は、玉音放送に流れる無条件降伏の前後、自決したのかどうか、不勉強にして私は知らない。それはともかく、この本を読んで、日本人の自爆攻撃志向に愕然とし、責任を取って自決するのが道理だ、そんな強い傾向にも呆然とし、それ以上に、自分の命ばかりか、他人の命も粗末にして、極論すれば、物体が破壊するかのごとく見ている。つまり、本書を読んで、戦争とはいえ、沖縄の民間人への日本軍人達の対応をじっとご覧になれば、一億玉砕思想は、自他共に限りなく物体化してしまう、そんな姿が歴然するだろう。余りのスサマジさに、人間とはもはや救いがたい存在、否、救われてはならない存在だ、ドス黒い認識が私の脳裏にへばりついていっぱいにしてしまった。