芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

シェムリアップ第一夜

011.3.10(木)。ホーチミン市11:40発ベトナム航空VN-827、シェムリアップ国際空港12:40着。

国際空港といっても、タラップを降りると、ターミナルまで100mくらいのんびり歩いていく。

シェムリアップは人口80万人。カンボジアで4番目の都市。国民は80%が農業に従事し、長い戦乱で、国民の3%が地雷の被害にあっている。観光客は年間250万人が訪れ、その70%は日本人や中国人、韓国人などのアジア人である。耕作には牛、水牛を使っているが、みなとてもやせている。かつて食べなかった肉類をカンボジアの人々は食べるようになった。犬は食べない。ノーリードで地べたに寝そべっていたりあちらこちらうろうろしている犬、人間と共生しているおおぜいの犬たちを僕は見た。
1863年、フランスの植民地になり、その後の悲劇は、おおよそのところ周知されていると思う。

1991.10.23.カンボジア和平パリ協定。

1992年、アンコール遺跡群、世界遺産リストに登録。

僕はそのアンコール遺跡群を観光に来たのである。

タ・プロム。僕が見ておきたかったアンコールの遺跡のひとつ。ジャヤヴァルマン七世が1186年に母のために造った仏教僧院。東西約1000m、南北約500mのラテライトの壁に砂岩で建築されている。熱帯のジャングルの中で修復されないまま今日に至ったタ・プロムは巨大に成長したスポアンに押しつぶされそうになっている。将来、もう一度ジャングルに還ろうとして。

「クリスタルの古老」タ・ケウから、921年ハルシャヴァルマン一世創建のプラサット・クラヴァンへ。ヴィシュヌ神を祀っている寺院だが、ここで僕は、写真集「ANGKOR」(日本電波ニュース社2010年4月1日発行)と「アンコールの遺跡」(霞ヶ関出版昭和44年3月20日発行)の二冊の本を、行商しているカンボジア人から買った。買ってみると、著者が日本人で、日本の出版社から出版された本だと知れた。アンコール周辺では、小さな子供から大人まで行商して、三つで千円と連呼している。それから、12世紀末にジャヤヴァルマン七世が創建したスラ・スランを見て、ホテル:ル・メリディアン・アンコールへ到着。

ところで、昼間に買った「アンコールの遺跡」という本だが、著者は三人で、今川幸雄は昭和32年から40年までカンボジア大使館勤務、川瀬生郎は昭和34年から37年までカンボジア国立ユーカントール高等学校講師、山田基久は昭和35年から38年まで川瀬と同じ高等学校講師。不思議な情熱さえ感じられる本だが、この時期、カンボジアはシアヌークを中心に1949年、フランス連合内での独立を獲得し、1953年、警察権、軍事権を回復して完全に独立したカンボジア王国時代である。この王国は、1970年、シアヌークの外遊中に親米派のロン・ノルがクーデターをおこすまで続く。