芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ハロン湾

3月13日(日)。
ハノイから3時間余りバスに乗ってトンキン湾の北西、ハロン湾に向かって。

1964年8月2日、4日トンキン湾事件。
8月4日の事件は後日明らかになった通り、米国の捏造である。

僕の記憶に間違いがなければ、朝8時過ぎにホテルを出て、二度、紅河にかかった橋を渡ったと思う。この北の紅河(ホン河)は南のメコン川と共に、ベトナムのもっとも豊かな農地だといっていい。紅河デルタでは二毛作、メコンデルタでは三毛作。

米はタイに次ぐ世界第二の輸出国で、コーヒーは主に米国などに輸出しているが、ブラジルに次ぐ輸出国である。おそらく将来ベトナムの自国ブランドのコーヒーのメーカーが生まれるに違いない。例えば商品名「ベトカフェ」とか。

田植えも終りに近づいている。残り少ないスペースになった水田でノンラー(笠)をかぶった農夫たちが前かがみに弓なりになった背中を見せている。私見を述べれば、ノンラーをかぶって背中だけを見せている姿、この形象はベトナムでもっとも純化された美だと言わなければならない。僕はノンラーをかぶってアオザイを着た花売り娘ふたりの後姿が刺繍された画を8ドルで買った。それは今、我が家のリビングの棚に置かれたデバター(シェムリアップで買った女神だが)の横で後姿を。

ホテルを出発した朝、ハノイの空はいまにも雨が降りそうな暗い灰色だったが、辺りが明るんできたかと思うと、港に着く頃、不意に晴れわたった。

エメロード号に乗船。ハロン湾クルーズへ。今夜はシャワーのみの船室に宿泊。

1965年2月7日。
米軍、北爆開始。

ハロン湾は石灰岩質の2000もの島々が奇岩を突出させて「海の桂林」と呼ばれているが、むしろ中国の桂林の方を「陸のハロン」と呼んでもいいじゃん、とベトナムのガイド。
ハロン湾の落日。嘘のように綺麗だ。僕と家内は甲板に立ちすくんでいた。球体内部は薄桃色から薄紫に移行して、すべてはゆっくり闇に沈み。