出発しなければならないのはわかっていた。振り返ってみれば、先程まで眠っていたベッドは消えていた。背後に帰る場所はなかった。
前には、まだダイニングテーブルは置いてあるが、徐々に薄いガラスになって透き通り、やがて消えようとしていた。前にも後にも室内はなかった。左右にもなかった。硬い透明な空間に囲まれて身動きひとつ出来なかった。上下が開いて体が浮かんでいた。スーと上へ移動している、音もなく。
上は、もう秋なのに菜の花がいちめん咲いていた。思えば小学校低学年のころ、家の北側にあった菜の花畑で自殺したあの青年は今頃どうしているのだろう。睡眠薬の大量投与。あれくらい青ざめた人は、それ以来、二度と見かけなかった。秋の頭の空洞に菜の花が咲き乱れ、青年が立ちあがった。青ざめた人を見た。