芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

鹿児島県大島郡の昔ばなし「旅人馬」

 気になることが、ひとつある。

 きのう私はブログに「日本の昔ばなし(Ⅰ)」の読書感想文を書いた。その中にこんな一文があるのだが、下に引用する。

 

 「長者が貧乏人に、貧乏人が長者になる逆転劇が多々あったにせよ、結局、金持ちと貧乏人が併存する元の秩序に帰るのだった。」

 

 確かにこの本を読んだ限り、人間の世界を描いた物語では、主人公は金持ちと貧乏人が多かった。彼らが様々な劇を演じてくれるのだった。しかし、ほとんどの結末は上記に引用した辺りに落ち着いていた。おそらく私たち物語を聞く側にとって、元の秩序に戻ることで、胸をなでおろし、ホッとするのだろう。

 ところで、何故、わたしが「ほとんど」の結末、という言葉をわざわざ使用するのかといえば、この物語を一読してもらいたい。

 

 「旅人馬」(「日本の昔ばなし(Ⅰ)」151~154頁、岩波文庫)

 

 この昔話の概略はこうだ。兄弟のように仲がいい金持の子供と貧乏人の子供が一緒に旅に出た。泊った宿で貧乏人の子供が制止するのも聞かず、金持の子供は宿の囲炉裏に生えた稲で作った呪われた餅を食べてしまい、馬に変身する。その後、貧乏人の子供がこの呪いを解く方法を探し当て、馬になった金持の子供を元の人間にもどす、そんな救済劇だった。

 ここからが、問題の個所になる。二人の子供は家に帰り、この出来事の一部始終を金持の父に報告する。この昔話の結末はこうなっている。

 

 「金持は、そうかといって、有るだけの財産を二つに分けて、半分は貧乏人の子に分けてくれました。それで貧乏人の子も、金持になったということです。」(本書153~154頁)

 

 上掲の通り、金持の父は自分の子供と貧乏人の子供に財産を平等に二分して分け与えたのだった。先に私は、「ほとんど」という言葉を使用したが、こういう結末を迎える昔話もあることを指摘しておきたかったからである。深読みになってしまう恐れはあるが、大切なのは、金持が貧乏人の子供に「ごほうび」をあげたのではなく、自分の子供と平等に二分して財産を分け与えたところにあるのではないか。

 この昔話は、鹿児島県大島郡に伝わっていた口承の物語の聞き書きだった。大島郡といえば、もう五十年余り昔、私は二十二歳のころ、まだ沖縄が日本に復帰していなかったため日本の最南端だった奄美大島から与論島まで一ヶ月くらい放浪した記憶がある。その当時に出会った地元の人々はみな優しかった。自宅に呼ばれてごちそうになったこともある。ハブ酒もいただいた。また、与論島からは、沖縄が見えた。

 大島郡は、薩摩と琉球の政治・文化の境に位置する群島である。まさに、辺境の地だった。